最近,いくつかのユーザー企業への取材で,驚いたことがある。行く先々でWAN高速化装置の話を聞くのだ。特にそういう事例を探したわけではない。どの取材も,純粋にシステムやネットワークの最近の運用状況を尋ねるのが目的だった。

 どちらかというとサーバー周辺の話題をテーマとした取材でも,WAN高速化装置を利用しているという話が出てくる。必要は発明の母というが,最近は動きが少なくなっていた企業のネットワークでも,不況対策という必要に迫られ,様々な動きが生まれているようだ。

 よくご存知ない方のために簡単に説明しておくと,WAN高速化装置というのはWANに流れる通信量を減らし,遅延の影響を抑えるためのアプライアンスである。データ圧縮,キャッシュ・サーバー,プロトコル最適化などの手法を使う。

 基本的に,WAN越しに通信する2拠点に対向で設置する。例えばWAN越しにデータ・センターのファイル・サーバーにアクセスして文書ファイルを開く場合,30秒かかっていたものが数秒などごく短い時間で済むようになる。

WAN高速化がクラウドのサービス・メニューに

 こうしたWAN高速化は,大企業に限らず,中小企業や一般家庭にも広がっていきそうだ。さらに,ユーザーがほとんど意識することなく使われるようになる可能性も十分ある。ユーザーは,WAN越しのサーバー・アクセスの体感速度が格段に速くなったと感じるだけだろう。

 というのも,WAN高速化装置が仮想アプライアンス(仮想マシンとして動作するソフトウエア)として提供されるようになるからだ。米リバーベッドテクノロジーが2010年に提供する計画を明らかにしている。

 ベンダーとしてのターゲットは,ユーザー企業やデータセンター事業者が運用するプライベート・クラウドと,Amazon EC2をはじめとするパブリック・クラウドである。もちろん,SaaS(software as a service)も対象になる(そもそも,クラウド・サービスに含まれていると突っ込まれるかもしれない)。

 これらの事業者がクラウド・サービスのメニューにWAN高速化を取り込めば,ユーザーは自然な形でWAN高速化機能を使えるようになる。別に仮想アプライアンスを使わなくても,事業者がアプライアンスを採用すればサービス・メニューとして提供できる。ただ,仮想アプライアンスなら使用量に応じた課金がしやすくなり,ユーザーにはメリットが大きそうだ。

グーグルも動き出す

 「ユーザーが意識することなく」とは大げさだと言われるかもしれない。前述のように,通常は対向で同じ製品を設置する必要があるからだ。

 しかし,拠点側のWAN高速化装置が,例えばルーターやホーム・ゲートウエイに組み込まれていたらどうだろう。WAN高速化装置の製品ラインアップには,モバイル用としてパソコンに搭載する専用ソフトがある。ベンダーによってはソフトウエアをOEM供給している。すそ野の広がりを考えれば,このソフトウエアを組み込んだ安価なルーターが出てきてもおかしくない。

 クラウド・サービスの事業者がサービスとして提供する可能性も,現時点では未知数である。だが,そう遠くないうちに自然にクラウド・サービスのメニューに組み込まれていくのではないかと筆者は考えている。

 通信事業者は今や,WAN高速化装置の最大の販売チャネルになっている。一方で,通信事業者はクラウド・サービスに積極的な姿勢を見せ始めている。彼らのクラウド・サービスにWAN高速化の機能が組み込まれるのは,そんなに不自然ではないだろう。

 ユーザーが意識することなくWAN高速化の仕組みが広まっていくかもしれないと考えた理由は,もう一つある。米グーグルが動きを見せていることだ。

 グーグルは2009年11月,同社が開発した「SPDY」(スピーディ)という新プロトコルをブラウザの「Google Chrome」に実装し,開発者向けに公開した。SPDYは多重ストリーム,リクエストの優先順位付け,HTTPヘッダー圧縮など,前述したWAN高速化装置とよく似た仕組みを実現するためのプロトコルである。

 グーグル社内ではSPDYに対応したWebサーバーのプロトタイプを構築し,テストを実施している。サーバー側での対応さえ進めば,Chromeユーザーは知らずにSPDYを使うことになる。

国内の拠点間接続でも効果がある

 そもそも日本国内でクラウド・サービスを使うためにWAN高速化が必要なのか,という疑問を抱く方もいるかもしれない。国内に閉じた通信なら,遅延時間は短いからだ。実際,WAN高速化装置が登場した当初,いくつかの企業ユーザーに利用意向を尋ねてみたが,反応は芳しくなかった。

 当時の企業のIT部門における合言葉は「サーバー統合」である。サーバー統合の初期段階では,手を付けやすいファイル・サーバーが主な対象だった。

 WAN高速化装置は,こうした遠隔地のファイル・サーバーへのアクセスを高速化するためのツールとして登場した。しかし,当時のユーザーの反応はいま一つ。「確かに拠点から本社のファイル・サーバーから文書ファイルを取り出そうとすると,LAN環境よりも遅い。一つのファイル取得に数十秒かかることもある。でも我慢できる範囲」というものが多かった。

 最近はその認識が変わりつつあり,WAN高速化装置を国内の拠点間を結ぶ場面で使うケースが増えている。リバーベッドによると,2009年で最大規模の案件は国内拠点の接続だったそうだ。

 だったら,クラウド・サービスの広がりとともに,WAN高速化がユーザーにとってごく当たり前の仕組みになる可能性は十分ありそうだ。筆者が偶然出会ったあるユーザー事例では,応答速度が2倍くらい高まったという。

 このユーザーは,国内で拠点に残っていたファイル・サーバーを専用ホスティング・サービスに移行しようとしていた。そのファイル共有のパフォーマンス向上のためだけに,各拠点にWAN高速化装置を展開するのだという。

 冷静に見れば,クラウドのようにシステムのアーキテクチャを変えてしまうわけではない。技術的にもこれからすごく進化するというテーマでもない。トピックとしては「ふ~ん」というレベルのものだ。それでも筆者は,訳もなくちょっとワクワクしてきた。