「Linuxの開発モデルは,別に新しいモデルじゃない。普遍的なものだ」---Linus Torvalds氏が来日した際,最も印象に残ったのは,彼のこの言葉だった。なぜなら記者は「オープンソース的な,多数による協業は,ソフトウエア以外の他の分野でも有効だろうか」というコラムを書き,そのことについて考えていたからだ。

昔からあるモデル,生物の進化のように

Linus Torvalds氏(写真:加藤 康)
Linus Torvalds氏(写真:加藤 康)
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 「Linuxは,何千人もの技術者が,誰にも命令されることなく協力し,1つの,きわめて精密なものを作り上げている。これは,人類の歴史上初めてのことではないか。このようなあり方が,ソフトウエア以外のもの作りや社会の問題解決にも広がるだろうか」---記者の質問に対し,Torvalds氏はこう答えた。「Linuxの開発モデルは,別に新しいモデルじゃない。新しいとすれば,それはソフトウエアの開発に適用したことだ」。この回答に,記者は少なからず衝撃を受けた。Linuxの開発モデルは,インターネットの出現で可能になった,新しいモデルだと思い込んでいたためだ。

 記者は今年の夏に「『オープンソース的』という言葉の誤解と希望」と題するコラムを書いた。記者自身「オープンソース的」という言葉を,多数の共同作業による開発のあり方を示すために使っていたのだが,オープンソース・ソフトウエアは必ずしも多数の開発者により作られるものではない。企業など,特定少数の開発者によって開発されるものもある。

 それでも,代表的なオープンソース・ソフトウエアとして名前があがるLinuxやRubyなどは多くの開発者の協力のもとで作られている。インターネットで世界中の人々が距離や組織の壁を越えてコミュニケートできるようになったことが,何千人もの人々により何百万行もの巨大なソフトウエアを共同で開発することを可能にした。

 この“オープンソース的”---あるいはWiki的,マス・コラボレーションなどの言葉で表現される,ソフトウエアにおける新しい創造や改善の方法は,他の分野にも拡大できるだろうか。それが記者がコラムを書きながら考えていた問いだった。

 しかしTorvalds氏は記者のこの思い込みを軽くかわした。「これは昔からあるモデルだ。例えば生物の進化がそうだ」(Torvalds氏)。多くの参加者がそれぞれのアイデアを試し,その中から優れたものが残る。計画に基づいて開発していくよりも,多くのアイデアが実際に試されるため,より環境に適した進化が実現できる。

 ただし,このモデルは高コストだ。多くの試みが行われるということは,無駄に終わる失敗も多くなる。だからこそ,これまでソフトウエアの開発に適用されることはほとんどなかった。「けれども」と,Linuxの中核開発者の一人である米NovellのJames Bottomley氏は補足する。「多くの参加者が共同で開発すれば,一人あたり,一社あたりの開発コストは少なくて済む。それがLinuxが成功した理由だ」(Bottomley氏)。

 「それではLinuxのモデルは,普遍的で当たり前のモデルなのだろうか」,記者の問いかけに,Torvalds氏は「その通り」と答えた。ソフトウエア以外のもの作りや社会の問題解決にも広がるか,などと問う必要はない。ずっと前から様々な場面で行われてきたことなのだと。

教育や医療,行政への拡大

 Torvalds氏が来日したのは,日本で初めて行われたカーネルの中核開発者の会議「Kernel Summit」(関連記事)と,The Linux Foundationなどが開催した国際技術会議「Japan Linux Symposium」(関連記事)への出席のためだ。

 Japan Linux Symposiumでは,多数の協業,マス・コラボレーションの企業や社会への広がりを描いた本の著者が講演した。「ウィキノミクス」の共著者Anthony Williams氏である。ウィキノミクスは,誰でも書き込めるインターネット上の百科事典「Wikipedia」とエコノミクス(経済)を合成した言葉だ。

 Williams氏は,Wikipediaには代表的な伝統的百科事典「Encyclopedia Britannica」の15倍の情報が集まっていると述べる。マス・コラボレーションの実例としてWilliams氏は以下のような動きをあげる。教師が作った教材やカリキュラムを共有する「Curriki」,同じ病状を持つ患者同士が情報を交換する「PatientsLikeMe」,道路の破損などを地図上で行政当局に報告する「FixMyStreet」など。「教育や医療,行政様々な分野にマス・コラボレーションが拡大している」(Williams氏)。

 公共分野だけでなくビジネスにもマス・コラボレーションは大きな意味を持つものになっている。「米P&Gは新製品のアイデアのうち50%を社外に求めている。ある課題に対する解決策を募集するInnocentiveという研究開発市場サイトを利用している。米Dellは顧客から新製品のアイデアを募集するサイトIdeaStormを開設している」(Williams氏)。