前々回前回は,どの会社でも通用する仕事術を構成する7つの力のうち,(4)の「交渉する」をテーマに事例を使って説明した。7つの力は以下の通りである。

(1)教える
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る

 交渉術は非常に重要であり,上司やリーダー,マネジャーとして仕事を進めていく中で必ず役に立つ。ぜひ,実際に試していただきたい。交渉に関しては,日経SYSTEMSの連載も併せてご覧いただきたい。

 今回は,6つめの「褒める」を取り上げる。これも,どの会社でも使える重要な仕事術である。組織をマネジメントしたり,部下を指導する場合も必要になる。上司や取引先の重要人物を動かす場合にも,大いに役立つだろう。

 褒めるためのポイントは大きく5点ある。その説明に入る前に,筆者が忘れることができないエピソードを紹介しよう。

担当外の仕事を嫌う

 大野(仮名)氏は,入社3年目の若手SE。もともと営業や企画を志望していたが,配属されたのは情報システム部門だった。彼は3年経っても,自分の仕事が今ひとつ好きになれなかった。

 「指示された最低限の仕事しかしない」「前向きでない」「暗い」というのが,大野氏に対する周囲の評判だった。先輩や管理職が大野氏に対して担当範囲外の仕事を頼むと,「自分の仕事はここまでです。それ以上は私の仕事ではありません」と明確に線を引く言動をとり,担当外の仕事をするのを嫌った。

 そんな大野氏に転機が訪れた。きっかけになったのは,他の部門から新たに課長が転勤してきたことだ。

 部下になった大野氏の振る舞いに問題があると,課長は強く感じた。「自分の好きでない仕事は嫌々やる」という行為は,あとあとまで悪い評判として付いて回るからだ。

 一方で,課長は大野氏の素質を見抜いていた。大野にはSEの適性がある。能力も高い。頑張って力を発揮すれば,きっとよいリーダーや企画担当者になれる。じきに,大野はこの仕事が好きになるはずだ。課長はこう考えていた。

 ただ,「今の振る舞いや行動が5年目になっても続いているようだと問題だ」とも感じていた。そのような行動を続ければ,周囲から「やる気がない,駄目な人間」とのレッテルを貼られてしまうからだ。

「大野は変わったよ,非常にいいな」

 そこで課長は大野氏に対し,「もっと範囲の広い仕事をして,いろんな経験を積んだほうがよい」とアドバイスした。何回も大野氏と話し合う機会を持ち,指導を続けた。最初は面倒だと感じていた大野氏も,次第に課長の言うことを受け入れるようになった。

 すると大野氏の態度が少しずつ変化してきた。上司や先輩が頼んだ仕事を嫌がらずに引き受けるようになったのである。

 大野氏はそのうちに,持ち前の能力を発揮し始めた。大学時代に何十人ものメンバーをまとめていたリーダーシップ,舞台の脚本を書いた経験で培ったシナリオ表現力,交渉力,コミュニケーション力---これらを使い,仕事で成果を出したのである。

 周囲は徐々に,大野氏の仕事ぶりを評価するようになった。課長は,これを好ましく思った。人が何か課題を克服し,能力を改善している場合は,さらに改善を進めていってもらうことが重要だ。そこで課長は,周囲の人間,特に管理職や影響力のある人たちに,このように言ってまわった。

「大野は変わった。ひとつ上の仕事を学ぶようになったよ。リーダー向きで,非常にいいな」

 課長の言葉は,上司や先輩から大野氏にも伝わった。それを聞いた大野は,より範囲の広い仕事を進んで担当するようになった。リーダーの心得や,マネジメントの学習も積極的に進めた。

 それから10年以上が経ち,大野氏は課長としてプロジェクト・マネジャーや企画の仕事を担当するようになった。「指示された最低限の仕事しかしない」「前向きでない」という姿は影も形もない。教育にも興味をもち,多くの部下や後輩を指導するようにもなったということだ。

他人が褒めると効果的

 筆者はこの話が非常に好きである。筆者のコラムにはたびたび「課長」が登場する。いま紹介したエピソードは,課長の人材育成能力を表したものだ。

 課長がここで使ったのは「褒める」という方法である。大野氏は自分の能力を改善したいと考え,実行に移している。そんな大野氏を褒めることで,さらに改善の効果を高めることを狙ったのである。

 褒め方にはいくつかあるが,課長が使ったのは「間接的に褒める」方法である。本人に対して直接言葉をかけるのではなく,本人と関係の深い人間に褒め言葉を伝えることで,自然と本人に伝わるように働きかけた。

 第三者である他人から褒められると,「本当に自分を認めてくれている」という思いにつながり,高い満足感が生まれる。本人を前に直接言葉をかけるというストレートな褒め方は,褒める方が照れてしまったり,褒められた側がその場しのぎのリップサービスだと思ってしまうことが多い。