9月からWindows7の企業向けボリュームライセンスの販売が始まったが、このWindows7の発売の“意味”について考えてみる。「えっ、何を今さら」と言われそうだが、Windows7の話を書こうというのではない。マイクロソフトが「普通の会社」になった象徴として考えてみたい。そう、「覇者の時代」の終焉の話である。

 この前も書いたように、Windows7は大成功を約束されたOSである。なんせWindows Vistaがメタポすぎたから、現在Vistaを使っているユーザーも、Windows XPで様子を見ているユーザーも、キビキビと動くOSに対する期待は大きい。皮肉なことだが、現行のVistaの失敗がWindows7への高いニーズを生み出した。だからWindows7は絶対に成功する。

 それに、マイクロソフトもVistaの失敗に懲りてか、Window7の発売にあたっては極めて低姿勢だ。ことあるごとに、これまでのWindowsビジネスについての“反省”を口にしているそうだ。実際、Windows7ではアプリケーション・ソフトや周辺機器などの互換性確保に最大限気を配り、価格も大幅に引き下げるなど、ユーザーが買いやすく、ITベンダーが売りやすい商材に仕立てた。

 その甲斐あってか、9月1日時点で日本企業だけでも163社が半年以内の導入を表明したそうだ。Vistaの時は18社だったそうだから、まだまだ景気が低迷している、このご時勢を考えると、発売時期のマーケティングとしては大成功と言っていい。やはり、顧客やパートナー企業の意見や不満に耳を傾けてみる価値はある。

 周知の通り、マイクロソフトはクラウドコンピューティングの波に乗ったグーグルの勃興により、IT業界での覇権を失いつつある。以前なら「マイクロソフトの考えるPCの未来」なんて話をすれば、ユーザーもITベンダーも耳をそばだてたが、OSの付加価値がネットに吸い上げられてしまった今では、そんな話をしても関心を示す人は少ないだろう。

 だからと言って、覇権を失うのは必ずしも悪いことではない。覇者の時代のマイクロソフトは、ある意味“嫌われ者”でもあった。事実上マイクロソフト製品しか選択肢がなかったため、ユーザーやパートナー企業に対して“殿様商売”をやっていたし、マイクロソフトの牙城に挑むベンチャー企業に対しては財力と業界支配力にモノを言わせて、容赦なく叩き潰したからだ。

 だが、覇権を失ったらそんなことはできない。「普通の会社」として、ユーザーやパートナー企業に対して、買っていただけるよう、売っていただくよう、努力をしなければならない。Windows7の初期の成功は、そうした努力の現われと言ってもよい。クラウドの時代と言っても、WindowsやOfficeはかなりのボリュームで売れ続けるはずだから、今後マイクロソフトは、決定的な影響力は無いものの、「普通の巨大企業」に変貌していくだろう。

 それはちょうど、IBMが辿った道だ。マイクロソフト以上に“嫌われ者”だったIBMは1990年代半ばに、マイクロソフトにOS/2を粉砕されて覇権を失った後、“尊敬される”サービス・カンパニーになった。マイクロソフトはどうか。Windows Azureなんかもクラウド・ビジネスの橋頭堡というよりも、サービス・カンパニーへの第一歩といったほうがよいかもしれない。

 さて、マイクロソフトから覇権を奪いつつある形のグーグルだが、なんかヘンだ。ITベンダーにとっては気になる存在だが、無視していてもビジネスに影響は無い。つまり、マイクロソフトやIBMのそれとは違い、グーグルの覇権は見えない。そもそもグーグルは広告を収益源とするメディア企業。既存のメディア産業のビジネス基盤を突き崩しながら成長してきた。ITベンダーから言うと、グーグルは“よそ者”である。

 同じ覇者でも“嫌われ者”よりも“よそ者”のほうが、ITベンダーにとっては間合いの取り方が難しい。完全無視を決め込んで、今や信頼できるパートナーとなった“身内”のマイクロソフトと付き合い続けるのもいいだろう。しかし、ユーザーへの影響力の大きさを考えると、将来・・・うーん、難しい。