サン・マイクロシステムズの身売り騒動、シスコのサーバー市場への参入、このところ米国のITベンダーの身辺が騒がしかった。そう言えば、サンもシスコもスタンフォード大学のコンピュータ・ネットワーク・プロジェクト「Stanford University Network」を源流とする企業だ。サンがIBMにふられた今、ひょっとして・・・うーん、まさかね。

 このコラムで昔を懐かしんでも仕方がないのだが、サンの盛衰、シスコの勃興はIT産業の歴史を象徴し未来を暗示するものなので、今回は特別に書きとめておきたい。

 サンが最も光り輝いていたのは1990年代前半だ。「オープン・アーキテクチャ」を旗印に、業界標準OSのUNIXを前面に押し立ててIBMを追い詰めようとした。サンが主導するUNIX標準化の動きに強い危機感を持ったIBMが、別のUNIX標準化団体を設立して対抗したのもこの頃だ。ちなみにサンの「SUN」とは、Stanford University Networkの頭文字。まさに時代の寵児。「The Network is The Computer」そのものだった。

 だが皮肉なことに、サンが追い詰めたのはIBMではなく、当時IBMの対抗勢力に育ちつつあったDECだった。DECは、異なるアーキテクチャの製品が乱立するIBMに対して、今で言うPCクラスからメインフレームまでをシングル・アーキテクチャで統一し、IBMの顧客基盤を切り崩そうとしていた。だが独自仕様であることが災いして、サンの掲げる“オープンの理想”の前に魅力を失い、敗退していった。

 サンにとっての最大の誤算は、UNIXの標準化に失敗したことだろう。サンをはじめコンピュータ・メーカー各社の利害が衝突し、標準化の試みは霧散した。後に残ったのはUNIXの流れをくむ各社独自のOS。サンの場合はSolarisだ。結局サンはDECと同様、独自仕様の製品を売るコンピュータ・メーカーの地位に転落し、UNIXの理想の実現はLinuxの登場を待たなければならなくなった。

 そして90年代後半、ウィンテルのPCが勃興し、予想もしない形で事実上の業界標準が確立する。IBMのメインフレームの牙城を攻略できたのは、IBMと最初から真っ向勝負を挑んだDECでもサンでもなく、当初IBMやサンがその重要性を認識しなかったパソコンという市場を切り開いたマイクロソフトとインテルだったわけだ。その頃、サンはJavaで局面打開を図ったが、時既に遅し。ジリ貧の道を歩むことになった。