2009年が始まりました。2008年を振り返ってみると、これからのトレンドを決めるようなニュースはあまり起きなかったと感じています。これは私の個人的な印象というだけではなく、毎年RFID十大ニュースを発表している米国の業界紙RFID Updateも2008年は発表を行いませんでした。そこで今回は、今までの連載の中では断片的にしか取り上げてこなかった導入義務付けの現状について,改めてまとめてみようと思います。

 RFIDが一般のIT関係者に知られるようになったのは2003年ごろに始まった導入義務付けへの動きによるものでした。多数の企業を巻き込んだ導入義務付けによりRFID製品の量産が進むとともにRFID利用のノウハウを持った企業が増加し、結果としてRFID技術が普及する、という観測がなされたのです。当時導入義務付けの中心と考えられていたのは、米国防総省、ウォルマート・ストアーズ、そして医薬品トレーサビリティ(e-ペディグリー)です。国防総省の現状については連載第4回(「米国防総省のRFID利用の現状」)で述べましたので、この記事では残りの2つについて現状をご紹介したいと思います。

ウォルマート・ストアーズの導入義務付けの現状

 2008年の初め、ウォルマート・ストアーズは導入義務付けに関して新たな行動を起こしました。同社の会員制卸売り部門サムズ・クラブでの個品(販売単位)への導入義務付けです。サムズ・クラブは会員制で卸売り単位での販売を行う店舗で、全米に約600店舗を持ち、2007年度の売り上げは420億ドル(ウォルマート全体の12パーセント)でした。それだけでジャスコやイトーヨーカドーを上回る非常に大規模な小売りチェーンです。

 サムズ・クラブは2008年の1月7日にサプライヤーにタグ付けを要請する文書を送付しました。その内容は、2008年1月31日からテキサス州の物流センターの1つでパレットへのタグ付けを開始、段階を踏んで対象物流センターを拡大すると共にパレットからケース、販売単位へとタグ付けの対象を広げていき、2010年10月31日には全ての物流センターで販売単位へのタグ付けを義務付けるというものです。タグが取り付けられていない場合、サムズ・クラブが代わりに取り付ける費用としてパレットあたり2ドルの罰金が徴収されることになっており、実際に罰金を支払っている納入業者が存在することが報道されています。

 これだけを見ると導入義務付けの取り組みが着実に進められているように見えますが、関連する報道をよく調べてみると問題点も浮き上がってきます。まずは情報発信の不足です。この導入義務付けについて、サムズ・クラブはプレスリリースを出しておらず、展示会などでの口頭での発表、納入業者やRFIDベンダーからの報告という形で報道がなされてきました。さらにいくつもの納入業者が「サムズ・クラブからタグ付けについての指示を直接受け取っていない」と主張しています。ウォルマート本体が行っているパレット・ケースへのタグ付けと比べ、販売単位へのタグ付けははるかに複雑であり、また消費者が直接手に取るということでプライバシ上の懸念も存在します。本来細かなガイドラインの提示・公表が必要なのですが、それがなされていないのです。

 また、罰金を支払っている納入業者がいることも気になる点です。ウォルマート本体の導入義務付けが話題になったころと比べ、「slap-and-ship kit」と呼ばれる、最小限の対応のためのRFID導入パッケージは使い勝手も価格も大幅に改善されています。本来ならサムズ・クラブが納入業者から罰金を徴収していることは、サムズ・クラブが本気であることを示しているはずです。それでもなお納入業者が対応キットを買わずに罰金を支払っているということは、納入業者はサムズ・クラブの本格導入は遅れる(あるいはできない)だろうと高をくくっているということを意味します。

 サムズ・クラブ以外のウォルマート・ストアーズでの導入義務付けの動きはどうなっているのでしょうか。こちらは大きな動きはありません。私が特に注目している点は、アパレルや書籍、CD・DVDなど、個品タグ付けを行って実際に効果が出ると考えられているジャンルの商品への取り組みです。同社はこれらのジャンルの商品で一時パイロットを実施していたのですが、最近は新たな取り組みをほとんど起こしていません。

 上記のように、ウォルマート・ストアーズでの導入義務付けはいささか手詰まり状態の感があります。同社がRFIDの導入を諦めることはありえないでしょうが、今後数年間は今までに実施した導入義務付けから得られるはずの利益を現実化していくという地道な作業が続くのではないでしょうか。

医薬品トレーサビリティの現状

 もう一つの大規模な導入義務付けは米国の医薬品サプライチェーンの中でのトレーサビリティで、しばしばe-ペディグリーと呼ばれます。医薬品トレーサビリティは粗悪な偽造品を防いだりリコール時に対象の医薬品を迅速かつ確実に見つけ出したりといった消費者保護を目的としています。

 医薬品トレーサビリティのための規制は連邦政府が行うものと各州が独自で行うものとがあります。その中でもRFID関係者から注目されていたのはカリフォルニア州のものでした。その理由は、カリフォルニア州が米国最大の市場であること、規制の内容が他の州や連邦のものと比べて厳しいことです。

 そのカリフォルニア州による医薬品トレーサビリティの導入は、2008年の3月に2年の延期が発表されました。2009年1月1日から導入の予定だったのですが、2011年1月1日へ変更されたのです。

 延期の最大の原因はカリフォルニア州の規制が厳しすぎ、企業の対応が間に合わなかったことです。他の州の規制ではトラッキングの対象区間は医薬品が卸売り会社に届いてから小売店に届くまでですが、カリフォルニア州は製造時点から消費者の手に届くまでです。また、他の州ではトラッキングの単位はケースであるのに対し、カリフォルニア州では使用単位(薬瓶など)です。この2点の違いによるシステム開発の難易度の差は非常に大きく、正式に延期が発表される以前にも、関係者の間では一部の大手を除いては2008年中に対応作業を終えられる企業はほとんど無いだろうと見られていました。

 この延期により、カリフォルニア州規制の導入は連邦政府規制の2010年より後になることが決まりました。従来は、カリフォルニア州規制がデファクト・スタンダードになり連邦政府規制はその影響を受けると考えられてきたのですが、連邦政府規制が先になるとこの予測が崩れてしまいます。ほとんどの企業は全ての州と連邦の規制が統一されることを望んでおり、カリフォルニア州の規制の実施は連邦政府規制の影響を受けることになるでしょう。

 さらに問題になる点は、現時点でもトレーサビリティに利用される認識技術が確定していないということです。RFIDタグを使うか2次元バーコードを使うかについては激しい議論が続いています。当初は業務の改善余地が大きいRFIDの利用が有力視されていたのですが、導入が近づいてきてみるとコストが安くて済むということで2次元バーコードを推す声が大きくなりました。さらに、RFIDタグの中でも13.56MHzかGen2かについての最終的な決着は付いていません(現時点ではGen2が優勢です)。

 医薬品トレーサビリティは導入さえ決まれば企業に選択の余地はありません。ですが、上記のように要求の詳細が決まっていない状況のため、多くの企業は現時点で様子見の立場を取っています。

導入義務付け以外のマーケットの立ち上がり

 上に述べたとおり、現時点では導入義務付けがRFID利用の拡大を促すという期待は世間からほとんど失われています。連載第3回(「けん引役が変わるGen2市場と『ハイプサイクル』の変遷」)で述べたガートナーのハイプサイクルで言えば「幻滅期」の谷間の底に達したのではないかと思います。

 しかし、これらの導入義務付け案件の動きが止まったことでRFIDマーケット自体が失速したかというと、それは違います。5年前に考えられていたほどにはマーケットは大きくなっていませんが、RFID製品、特にGen2製品は種類が増えて安くなりました。その結果、導入義務付けと関係のない用途、たとえば工場内の工具の管理などにもGen2製品が導入され、長距離読み取りのメリットを安い価格で得られるようになっています。その意味では、導入義務付けはマーケットに対してはRFID関係者が求めていた役割を果たし終えたと言えるのかも知れません。