健康管理にITを活用するビジネスが活発化しているという。2008年春に特定検診・保健指導が始まり,メタボリックシンドローム対策への関心が高まっていることが背景にあるそうだ(朝日新聞2008年10月21日付)。

 しかし,問題とされる「肥満」は自己責任ではないのか(注1)。健康管理へのIT活用の背景に,特定検診や保健指導,あるいは流行のメタボリックシンドローム対策があるのかどうかは知らぬが,それ以前から自分のために自分自身で肥満対策に取り組まなければならなかったのではないか。しかも,ITの力を借りるなんて…。

 肥満は自己責任とする一例として,米国では肥満は経営者の資格に欠ける証拠だとよく言われる。古い話で恐縮だが,それを目の当たりにした経験がある。

 20年ほど前,筆者は商談で米国はシリコンバレーにあるA社を何度も訪問した。余談だが,米国では当時から健康志向が強かったのだろう。アップル,ヒューレット・パッカード,マイクロソフト,サン・マイクロシステムズ,シリコングラフィックスなどを訪問したとき,どの社も既に社内禁煙が徹底していた。しかも喫煙者数は極端に少なく,彼らは屋外で悪事でも働いているように喫煙していた。日本は20年遅れて,そうなった。肥満に対する認識も同じだろう。

 さて本論だが,当時A社を訪問すると,打ち合わせの席にVice PresidentのD.C氏という女性が出席することがあった。彼女はかなりの切れ者で,優れた経営者のように見受けられた。だが超肥満体で,会議室へたどり着いた時はもちろん,打ち合わせ中もやっと体重を支えているかのように,ハーフーハーフーと呼吸をしていた。ティータイムにドーナツに大量のジャムをつけて頬張り,周囲を驚かせたことも稀ではなかった。ある時,A社を訪問しても彼女を見かけないのでスタッフに理由を尋ねると,「休暇をとっている」ということだった。そのときは別に気にも留めたかったが,それから半年ほどして日本経済新聞に興味ある記事を発見した。

 たしか「国際」のページだったと思う。真ん中あたりのカコミ記事に「米国経営者が肥満で解雇」(記憶は曖昧だが,多分そんな内容だったと思う)と掲載されていた。それが,なんと彼のD.C氏のことだった。突然,しかも日経紙上に目立つように報道されていたことに,筆者は驚いたことを覚えている。

 メタボリックシンドロームには個々の事情があって,一概に論ずることは出来ないのだろうし,体重も減らせばいいというものでなく,食生活の内容も大切だ。ただ体重について一般論を言えば,筆者自身の経験から言って,減らそうと思えば減らせるものだ。筆者は小柄ながら一時,70kg近くの体重があり,検診の際に医師から糖尿病対策として減量をかなり強く指示された。そこで一念発起し,2年間で十数kg減量した。何のことはない,大食いの早食いを改めて腹八分目,毎日小1時間のウォーキングを実行したのだ。ただ,毎日単純なウォーキングを続けるには動機付けが必要だった。趣味としてゴルフにかなり執心していた当時の筆者は,ゴルフで後半に疲れが来てスコアが乱れることを防ぐという目的が,ウォーキングの動機付けになった。

企業のIT導入に酷似する健康対策のIT活用

 そういう意味では,メタボリックシンドローム対策の動機付けになるのであれば,ITを利用することも有力な方法と言えよう。

 NTTデータでは,2007年秋に社内運動会を開催した。運動会といっても,社員一人ひとりが歩数計を身に付けて,そのデータをパソコン経由でサーバーへアップロードし,ネット上で歩数を競い合うバーチャルな運動会である。2007年11月から2008年1月までの3カ月間で社員5000人が参加したという。歩数計をパソコンにつないでデータを送ると,専用サイトに順位が表示される。運動会は部署ごとの対抗戦となり,いやがうえにも仲間意識や実行意識が生まれる(関連記事)。同じように,自転車用メーターで走行距離や消費カロリーを計算,利用者専用サイトに表示して,仲間と共通の目標を目指すSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もある(関連記事)。

 このほか,検診結果をネットで見られるサービスもある。このサービスでは,健保組合から社員の検診結果を送ってもらい,データベースに登録する。社員が健保組合から受け取ったIDとパスワードを入力すると,検診結果の図やグラフを見ることができる。専用サイトには,社員自身が毎日の歩数や体重の変化を書き込めるという。

 個人の健康情報はPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)と呼ばれる。PHRを活用したビジネスは新たな産業として注目されている。医療機関・薬局・家庭と分散している個人の健康情報を集約し,有効活用しようとするもので,経済産業省は2008年3月,PHRシステム推進するための課題をまとめたという(以上の例は,朝日新聞2008年10月21日付より引用)。

 比較的小規模な事業者が多い医療・健康業界にとって,これらのIT活用にはIT投資に対する負担や,個人情報保護というセキュリティの問題がある。それに加えて,実行上の重要な問題もある。

 それはITはあくまでも手段であるという問題だ。ITが健康管理してくれるわけでもなく,メタボリックシンドロームを改善してくれるわけでもない。それらを活用する本人がどれだけ本気で取り組み,どれだけ持続的に実行に移せるかという問題である。それはあたかも,企業がIT導入をする際に,業務改革をいかに徹底するかが問題であって,その業務改革の手段としてITがあるに過ぎないということに酷似している。

 ITによる健康管理では,まず業務改革に相当する意識改革や継続的に実行する生活態度の改善があって,その後に手段としてのITがある。その意識改革や生活態度の改善は,自分自身が決心して実行するしかない。そういう意味で「自己責任」と言える。

 ITは健康管理,メタボリックシンドロームの分野にまで入り込んでいる。それを新たなビジネスチャンスとして注目する,あるいは自身の健康管理に利用しようとすることは大いに結構だ。しかし,企業へのIT導入では経営者の多くが,ITを導入しさえすれば企業が近代的になって,業務改善が進み,企業の存続と発展が保障されると認識する過ちを犯した。健康管理にITを利用する者は,これと同じ愚を繰り返してはならない。

(注)ある学説では,肥満の原因の一つにドーパミン受容体が麻痺して大脳基底核への快感信号が弱まるという,薬物依存症に似た食物依存症によるものなどがあると言われている(2008年11月16日放送のNHKスペシャルより)。ただし,ここではあくまでも一般論として論じている