先日,心を壊した若いエンジニアの話を聞いた。

 上司に自分の考えを否定し続けられ,何を言っても相手にしてもらえなかったという。彼にはたまに会ったときに相談を受けていたのだが,誰も彼を追い込んだ環境を改善することができなかった。

  上司と部下はいつの時代でも少なからず問題を巻き起こす。上司は指導という名目で部下に高い負荷をかける…。部下はそれを指導でなく「逃げることができない精神的圧迫」と捉えて深く傷つく。

 注意しなくてはならないことは,上司が「指導」と信じる行為が,部下にとっては耐え難い「パワハラ」になる可能性が少なからず存在することである。

 「指導とパワハラの境界(あいだ)」は非常に曖昧である。筆者には,これに関して,強く記憶に残っている話がある。今回はこれを紹介したい。

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 もう,6年くらい前になるが,某IT系企業の部長である奥田氏(仮名)と話をした。彼は同期トップで部長に昇進した男だが,部下からの評判がすこぶる悪かった。部下も何人か辞めているし,部下に話を聞くと「横暴」,「凶暴」といったネガティブな声が多く出る。

 「パワハラ上司」

というのが,部下たちのつけた呼称だ。

 一方,上司からの評判は上々である。「やりきる」,「成功させる」,「力を引き出す」,「鍛え上げる」これが上司たちの評価である。

 筆者は,奥田氏がどんな手法で部下を指導しているのかが気になった。そんなときに,奥田氏と話をする機会に恵まれた。

 もともと,部下指導の話をする予定はなかったが,話の流れを部下指導や能力評価の話に持っていった。もちろん,彼の「メソッド」を聞き出すためである。

奥田: いいか芦屋さん,仕事のコツは「自分で考えない」ことだよ。自分が知っていることは部下に細目まで指示すればいいが,自分が知らないことはそうはいかない。そこで,自分では考えず他人の頭を使う。
芦屋: どのように?
奥田: 部下の頭を使う…。まず,締め切りを設定する。部下に時間を与える。締め切りになったら,結果を要求する,出来なければ追求する。これだけだよ。この手順を守れば,出来の良い奴は必死で考えて出してくる。その中から,一番出来がよいものを採用すればいい。
芦屋: なるほど。上司であるご自身が答えを持っていて…,結論があってそうなるように部下を指導していくということではないのですね。部下に全てを考えさせて,その中からよいものを選ぶということですか。
奥田: そのとおり。これが一番いいな。自分の能力以上のことができる。自分は全部知らなくていい。部下を使えばいい。最良のものを引き出す。それが組織での仕事だ。
芦屋: でも,なかなかアイデアが出てこない,考えつかない部下もいるのでは?
奥田: いるな,そういう奴。どんなに言っても考えてこない奴。そういう奴は俺の下から異動になるな。残念だけどしょうがない。力がないのだからな。努力する奴は評価し,しない奴は評価されない。それが実力主義ではないのか。
芦屋: 部下の方に方向性を指示して,考えつかないならヒントを与えるようなこともしないと?
奥田: しないな。あくまで部下の仕事だからな。あなたは,部下にそうしたことをするのか?
芦屋: そうでないと,部下が困り果てて,壁を乗り越えられない場合もありますので。
奥田: それでは,いつまでも部下は甘えるぞ。それに上司は全仕事についての答えを持っていなくてはならなくなる。それでは身体がいくつあっても足りない。チームで働くことにもならない。部下に下した仕事は部下のもの。責任は部下が持つものだ。
芦屋: 厳しいですね。
奥田: 「指導」される側は苦痛を伴うものだ。それを「パワハラ」というのは甘えだ。最近の部下は弱い奴が多いが,昔はみんな上司から負荷をかけられて,しごかれて成長したんだ。それに耐えられない奴はいつまでも成長しない。なあ,芦屋さんもそう思うだろう?