先日,「我が意を得たり」の記事が眼に止まった。2008年9月18日付の日本経済新聞「大機小機」欄の記事である。以下に引用させて頂く。

…景気後退の中で農林水産業者や中小企業の関係者などの生産者は「痛み」に苦しみ,勤労者は格差問題などに起因する「不安」に悩まされている。彼らは原油や食料価格の高騰という世界全体の構造的な価格体系の変化への必死の対応に迫られている。確かに日本経済は難しい局面に差しかかった。だがその将来はここで小泉改革を続けられるかどうかにかかっている。我が国は持続可能な財政を維持しつつ,新価格体系への移行のほか,グローバリゼーション,少子高齢化への対応などの課題を解決していかなければならない。景気対策に従来型の財政出動は許されないと断言しても良いだろう。

 時まさに麻生内閣が発足し,小泉元首相の引退が発表された。「構造改革」は影を潜め,「IT革命」も表通りから消えて久しくなる。

構造改革なしでITに効果は期待できない

 今から5年前の2003年11月27日,IT戦略本部における「第21回IT戦略会議」で,構造改革とITについて,華々しい議論が展開された。その議事録には,「民間保存文書の電子的保存を容認するなど,ITの利用を促進するための規制改革を進めるべきではないか。また,電子政府,電子自治体機構への取り組みを強化すべきではないか」(事務局)とある。

 同会議では,ソニー株式会社会長兼CEO(最高経営責任者)の出井伸之氏(肩書きは当時)から,「ITと小泉内閣総理大臣が進めていらっしゃる構造改革との統合ということを是非考えていただき,日本経済活性化というものと,いっそう直結していただきたい。(省略)各国ともこれから二国間の話も多くなるので,是非電子的な外交というものを,伝統的な外交とか経済援助に加えてやっていただけると非常にいいと思う」という発言があった。出井氏は同年7月に開催された「HITACHIコンベンション2003」の講演でも,「小泉首相は経済や産業に対する興味が薄いのでは。ITと構造改革がいかに結び付くかという様々な提案をしたが,興味を示しつつも今一歩前にこない」と不満を示しつつ,「共通インフラを行政がきちんと考えれば,日本の競争力は確実に高まる」と期待を寄せていた。

 これらは,構造改革とITの関係を如実に物語っている。

 企業においてITは業務改革の手段に過ぎない。まず業務改革があって,それを助ける手段としてITがあるとされている。また,業務改革をしない従来業務に,新しいシステムをそのまま適用しても効果は期待できない。

 マクロ(社会全体)についても同じことが言える。ITによって社会を,経済を,あるいは政治を救おうと考えたら,構造改革がまずあり,そこへITを適用しなければ効果は期待できない。

 例えば,遠隔授業である。旧来の制度に,いきなりITを導入しても効果はない。直接の対面授業でなくても同等の効果があればよい,同時かつ双方向でなくてもよい,通信制で取得できる単位数を大幅増加する,テレビ会議方式にインターネット活用を追加する,などの規制緩和があれば,「通信制」と「通学制」のボーダーレス化が進む。やがて,その差はなくなるとさえ見られる。

 慶應大学の国領二郎教授も2000年7月の時点で,全く同じことを指摘している。「何よりも基本認識が大切だ。ITが産業で力を発揮するのはビジネスモデルが変化するときであって,旧式ビジネスモデルの中にいくら新技術を投入しても効果は短期で終わってしまうことを強調したい。もう少しマクロな表現をすれば,IT革命によって経済を救おうとするなら,経済構造改革は待ったなしだ。」,「ITの冠のもとに従来構造を維持する施策にすり替えたりしてはならない」(国領研究室ホームページに掲載された日経ネット 2000年7月18日付け「ネットビジネス最前線」記事より)。

 しかし,構造改革には功罪がある。目下,功罪の罪が大きな問題として取り上げられている。

 公共事業費削減,郵政・道路公団の民営化,規制緩和,三位一体改革,不良資産処理,派遣労働解禁などにより,金融と経済は再生した。だが,その一方で,所得格差,地域格差,非正規雇用増加,社会保障の歪などを生んだ。例えば,労働者派遣法改正により,ソフトウエア開発などの業務の派遣期間は,「3年」から「制限なし」になり,非正規社員が増加する一因になった。

 2004年に改正された「改正労働者派遣法」を読むと,一見いいこと尽くめだ。「厳しい雇用失業情勢,働き方の多様化等に対応するため,労働者派遣事業が労働力需給の迅速,円滑かつ的確な結合を図ることができるよう」とうたわれた。しかし良かれと考えた改正が,結果的に非正規雇用を増やすことになった。

 そして,2008年9月24日労働政策審議会の部会で,「日雇い派遣」の原則禁止など労働者保護の強化策を盛り込んだ報告書がまとめられ,了承された(ただし,ソフトウエア開発など専門性が高く,労働者側の交渉力が強いとされる18業種は例外のまま)。しかし,この「日雇い派遣の原則禁止」だけで,全ての問題が解決するとは考えられない。そのうえ,政局の国会解散含みで,労働者派遣法の改正は成立の目途が立たないとも言われる。

 こんな対策は,もっと早い時期に検討されるべきではなかったのか。秋葉原の無差別殺人事件がきっかけで検討の俎上(そじょう)に上ったというのでは,政治は多くの国民の悩みに目をつぶっていると言われても仕方あるまい。さらに言えば,日雇い派遣の問題は,もっと多方面から議論されるべきではないのか。「原則禁止」と短絡思考するのではなく,同一労働同一賃金,非正規雇用者の最低限の生活を保障する制度などなど,検討テーマは山ほどある。もっと早く,もっと多方面から。これは,「構造改革」の名の下に打った施策すべてについて言えることだ。功罪の罪を,政府はあまりにも長い間放置し過ぎた。

 前掲の日本経済新聞「大機小機」は,次のように結ばれている。『誰が新総裁になるにせよ,総選挙後の首相が誰であるにせよ,小泉構造改革を通ってきた有権者は「痛み」に目をやりながらも,「改革の心」をしっかりと持ち,引き続き構造改革を理解し支持していくものと信じたい』。国民の理解や支持が大本とは言え,目先にとらわれず,日本の5年後,10年後,あるいは50年後を見て,政治家にしっかりしてもらいたいものだ。