御無沙汰してすいません。しばらく仕事に集中していたもので,なかなか書けないでいました。

 実はいまだそんなに時間も精神も余裕がないのですが,日経ビジネス方面から「書け」という神託があったような気がしたので,今回は頑張って書きたいと思います。

 さて,その「神託」というのは

“無責任感”が漂うソフト開発の現場 普及するオープンソースの落とし穴 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080930/172081/

 です。

 つい先日,あるところで「前世紀のLinux」という記事を書いたので,ちょっとだけ20世紀気分になっていたのですが,まったくその当時の延長というかその時期に散々「ダメだ」と書いていたことがいまだに言われているのを見て,呆れるやら脱力するやらです。

問題の記事

 さて冒頭に挙げた記事で問題の中心となっている個所はどこでしょうか? もちろん件の記事と私の問題意識はだいたい同じです。その個所とは,

どの程度の作業で改修できるのか,すぐさま担当者に尋ねてみた。返ってきた回答は,「OSSなので,サポートの対応範囲外です。こちらに瑕疵はありません。」

 というところです。

 同じことの繰り返しを書いてもしょうがないですし,「何であれ瑕疵はベンダーの責任」という結論についてはまったく異論はありません。それが正しいベンダーの取るべき態度だということは,当然のことだと考えています。そういった意味では,この記事に私がつけ加えることは何もありません。

 個人的につけ加えるなら,そういったベンダーは実名晒しをして,業界から退場して戴く。それがそのベンダーにとっても,業界にとっても,ユーザーにとっても良いんじゃないかと思います。自らに問題解決能力のないことを他人のせいにしているという点で,IT業界にも向いていないのですから,IT業界からも退場して戴きたいところなのですが。

 まぁdisるだけなら自分の雑文でやれという声が聞こえそうなので,もう少し冷静な話にしたいと思います。

昔のITベンダーの仕事

 少し個人的な昔話を交じえての話になります。

 昔々,まだ私がメインフレームのSEをやっていた20年くらい前の話です。その頃はまだ「SEはメインフレームのおまけ」だった時代の陰を引きずっていました。時代は既にそういったことはやめようという声が主流になりつつありましたが,現実には様々な理由で「1台に1人」くらい貼りつきの技術者がいました。それはメインフレームの単価が安くないとか,エンドユーザーには扱いが難しいとか,様々な理由がありました。ただ,そういったどちらかと言えば後向きの理由の他に,「ベンダーがベンダーとしての責任を果す」という意味でもありました。つまり,納入したシステムの責任は最後まで面倒を見るということです。そのため,すぐに対応できるそれなりの技術を持った人が,客先常駐していたわけです。

 最近はそういった世界から離れて久しいので,今はどうなっているのか知りませんが,当時はカーネルパニックのようなことが起きたりハードウエア障害が起きたりすれば,SEも営業も呼びつけられて顧客に叱られる。それが当たり前でした。最も,アプリケーションの方の信頼性はそこまでありませんでしたが,それでも最低限自動復旧のシーケンスくらいは組み込んであったものです。それくらい信頼性の要求はシビアであり,そのためのメインフレームでした。その当時の他のコンピュータ,オフコンやミニコンはそこまでの信頼性はなかったのです。

 そういった信頼性を出すのは,高い信頼性のハードウエアなりソフトウエアなりと,定期的な保守作業の結果です。また,それと同時に「それが当たり前」という空気の結果でもありました。

 そのために,極力ブラックボックスを作らないで,「すべてが見通せる」ための努力をしたものです。もちろんメーカー製のハードウエアなりソフトウエアなりですから,非公開情報も少なくありませんし,すべてのソースが公開されているわけでもありません。しかし,様々な手段を使ってなるべくブラックボックスが少なくなるように努力をしていたものです*1

 その当時の技術者が今の技術者よりも優れていたというわけではありません。ただ,そうやって信頼性を確保することが当然という空気があり,そのための努力をしていた(させられていた)というだけです。また,ハードウエアもソフトウエアもメーカーが把握していましたから,うまく人脈を使えば情報が引き出せたりもしたわけです。また,メーカーはベンダーの差別化のためもあって,資本関係のあるベンダーには多めの情報を流したりしていました。

*1 そのやり過ぎた結果が「IBM事件」だったりするわけですが。