その頃には、もう予約入れてましたってば。
404 Blog Not Found:Math - π vs. ナベアツ - id:itaさんのコメントそれが昨日届いたので早速読了。
この方法、いけるわ。
本書「数学ガール/フェルマーの最終定理」は、「数学ガール」の続編。
目次 - 書籍『数学ガール/フェルマーの最終定理』より- あなたへ
- プロローグ
- 第1章 無限の宇宙を手に乗せて
- 第2章 ピタゴラスの定理
- 第3章 互いに素
- 第4章 背理法
- 第5章 砕ける素数
- 第6章 アーベル群の涙
- 第7章 ヘアスタイルを法として
- 第8章 無限降下法
- 第9章 最も美しい数式
- 第10章 フェルマーの最終定理
- エピローグ
- あとがき
- 参考文献と読書案内
で、副題の「フェルマーの最終定理」は、かなり釣り的要素が強い。本書の扱う範囲の数学は、ブルーバックスで言うと
のあたりなのだけど、本書の大部分は1.と2.で、3.はしっぽ程度に登場する。しかし、今のところこれが一般書の限界かも知れない。現時点でフェルマーの大定理を追うためにはどうしても楕円関数を通らざるを得ず、その楕円関数に関する一般書が皆無だからだ。本書でも、これらの「種本」でさけられない「整数のことを楕円関数を経由して解決する」という唐突感はさけられない。
それでも、この三冊のブルーバックス、そして Simon Singh のあの「フェルマーの最終定理」と比べると、本書のとっつきやすさはすごい。「僕」と一緒に見る加算、じゃなかったミルカさん、テトラちゃん、そしてユーリちゃんの話を聞いているうちに、数学がわかった「感じ」がするのだ。
そう、「感じ」、これなのだ。本シリーズが他と一線を画するのは。
他の数学書では、専門書でも一般書でも、登場人物は「著者」と「読者」だけだ。「著者」は次の章に「わかったもの」として進んでいくし、それが本という形態である以上それは仕方がないのだけれども、ここであまりに多くの読者は「おいてけぼり」を食らう。数学というのは何やら「Hunter x Hunter」でゴンたちが受けたハンター試験の第一問、すなわち「ゴールの位置も距離も知らされず、ただ試験官の後を走っていくマラソン」のような感じにさせられる。おいてけぼりを食らったらそこで失格というわけだ。
しかし、本書では「数学ガール」たちがあなたについている。テトラちゃんはちゃんとつまづくべきところでつまづくし、それをミルカさんが厳しく、あるいは「僕」がやさしく助け起こす。読者はここでは孤独ではないのだ。
これは、どえらいことではないのか。
学問というのは多かれ少なかれ孤独なものだが、数学というのはその極北でもある。そして孤独になりがちなのは、「出来ない子」よりむしろ「出来る子」なのだ。「出来ない子」というのは数も多いので市場としても有望であり、対策本も教材もたくさん存在するし、教師たちも慣れている。しかし「出来る子」は、簡単に教師からも教材からも見放される。それに対する「救済」は、たいてい大学までおあずけだ。しかし「出来る子」になってしまうのは、たいてい12才から18才、大学に入る前なのだ。残念ながら、大学というのはこういった「出来る子」たちが集える場所にはなっていない。飛び級が存在しないに等しい日本ではなおのこと。
もちろん、数学者となるためには、いつか孤独に耐えられるようにならなければならない。しかし誰もが数学者になれるわけではないし、またその必要もない。あまりに早く孤独に放り出されて、その先を目指す旅の仲間が実はいることを知らずして幻滅する可能性が、あまりに大きいのだ。
その意味で、本書の「旅の仲間」方式は、実にいい。本書の内容程度で孤立してしまうには、現代数学というのはあまりに先に進んでいるのだ。孤高になるのは文字通り100年早いのに、それを強いられる子たちのなんと多いことか。本書はそういった子たちへの救荒本なのだ。孤高の一人旅を始めるのは、もう少し先に行ってからの方がいい。
この夏休み、一人で悶々と数学をやるのもいいけど(私の14-15歳がまさにそうだった)、本書で数学ガールたちと一緒に旅行してみるのもいかがですか?一人旅もいいけど、仲間と旅するのもそれはそれで楽しいものですよ。
Dan the Rolling Stone
P.S. ミルカさん、お大事に。
P2.S. 次はゲーデルの不完全性定理をおながいします>hyuki。むしろこちらの方が「夏の怪談」向けなのだけど。