「蟹工船」ブームが収まらない。ブームの背景分析や「現代の蟹工船」に対する期待感が,随所で語られている。しかしその声は,少し上ずってはいまいか。単なるブームなら,これまでもどこかで経験してきた。過剰な評価や期待は禁物だ。ただ,これをチャンスとして,経営のあり方や,弱者や彼らを取り巻く仕組みについて大いに議論することには,意義がある。

 前回のオーソドックスな議論に続いて,今回は若者たちの現場の議論を交えながら検討する。

吉本隆明氏は精神的な抵抗力の弱さを指摘

 前回,作家の雨宮処凛氏と高橋源一郎氏の対談における,雨宮氏の「蟹工船がリアルに感じられるほど,今の若い人の労働条件はひどい」という発言と,それは「プロパガンダの一種」ではないかといったん疑問を呈しながら,最終的に肯定する高橋氏の発言を紹介した。

 現代において「蟹工船」ほどの劣悪な労働状況が,果たしてあり得るのだろうか。評論家の吉本隆明氏はこの疑問について,次のようにやや否定的に分析する(文芸春秋2008年7月号「『蟹工船』と新貧困社会」より)。

「働いてもプアだということはあるにしても,まだ比喩的な要素が強く,文字通り飢えたという実感を持つ若い世代はそれほど多くない。(中略)本当の問題は貧困というより,何か人間の精神的な抵抗力が弱くなってしまったことにあるのかもしれません」
「『蟹工船』を読む若者たちは,貧困だけがつらいのではないでしょう。貧困だけなら,敗戦直後のほうがもっとひどかった」
「ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって,本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。(中略)その苦しさが,彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません」

 その一方で吉本氏は,「給食費や高校の授業料が支払えない家庭」,「条件の悪い派遣の仕事や日払いのアルバイトで食いつながざるを得ない」,「ネットカフェ難民の出現」,「産業革命時代の肺結核に相当するのが精神的な病気」などの状況が存在することは認めている。

 それらの苦境については,「蟹工船」エッセーコンテスト入賞作品で,もっともっと切迫感を持った体験談として語られている(遊行社刊「私たちはいかに「蟹工船」を読んだか」より)。

「汚物の生くささが漂ってくる労働現場,拷問が繰り返される労働…,私が日々目にし,耳にしているソレに違いなかった」
「今私の周りで起こっている事は,敵が誰なのか見えない。しかしどこからともなく攻撃し労働者の心と体を撃ち抜き,知らぬ間に彼女は休職に入っていく」
(東京都 女性25才)

 ネットカフェ難民が取り沙汰される折,興味深いことにエッセーコンテストはネットカフェからの応募部門を設けている。そこには,さらに切実な現実が語られている。IT時代にネットカフェが弱者に仮の棲家を提供するとは,彼らの助けになっているのか,溜まり場になっているのか,なんとも皮肉な巡り合わせではあるが。

「『蟹工船』で登場する労働者たちは,私の兄弟たちのようにすら感じる身近な存在だ」
「私も労基法以下の不安定労働を強いられている派遣社員なので,周旋屋の紹介で働く彼らとは立場も同じだ」
「『殺される』という言葉が作中に何回も出てくるが,私もよく,『このままでは社会に殺される!』と感じている。企業にとって必要な時期だけ雇って,いらなくなったら物でも捨てるかのように解雇されてきたが,そのうち年を経るにつれ,このままでは劣悪な環境の職場にすら雇ってもらえなくなって,路頭に迷って死んでしまうのではないだろうか」
「カムサッカの海と,空一面の吹雪の方が,暖かいといっても過言ではない」
(埼玉県 女性34才,ネットカフェから投稿)

「アスベストの建物は無数に存在している。(中略)足場を組んだ高層ビルは冬の海と同じで落ちたら助からない。でも落ちていかなくてももう死んだも同然の僕だ。飯だってまともに食べれない。(中略)仕事の上の人達は派遣を人と思っていない。(中略)一日中働いてなんで僕達は貧しいのだろう。書けるような住所はない。書けるような職場もない。(中略)仕事があるだけで満足と思える部分もある。(中略)家だけじゃなくマンガ喫茶も転々と移動だ」
(東京23才のネットカフェの住人)

 筆者の経験や見聞からは,距離があり過ぎる。つい,吉本隆明の「精神的な抵抗力の弱さ」に組みしたくなる。しかし,よくよく耳を澄ますと,エッセーコンテスト入賞者たちと同じ声が周辺からも聞こえてくる。業績不振の責任を取って,飛び降り自殺をした管理者がいる。永年安月給と屈辱に耐えていたが,ついにうつ病になって出社できなくなり,やがて辞めていった下請け会社のプログラマがいる。ソフトウエアの会社を立ち上げるため退社したが,失敗して再就職の道がなくネットカフェに泊っていると噂のあるSEもいる。

 弱者の存在には,吉本氏が指摘するように「精神的抵抗力が弱くなった」という心理的な面もあるだろう。だが,よくよく事態を凝視するとエッセーコンテストに登場するような,まさかと思う物理的な弱者も見えてくる(前者の精神的抵抗力の弱者については,機会を改めて検討することとする)。

 さて,彼らは事態にどう対応しようとしているのか。エッセーコンテスト入賞者の「蟹工船」読後の感想を参考にすると,いろいろ見えてくる。

 まず,彼ら自身の物の考え方・見方が読後変わったという感想がある。これは,皮相的な物の見方をしたり,モラールに欠如したりする今の若者としては,まことに新鮮である。

 次に,個々人で動け,それが集団で動くのと同じ力になるという感想がある。しかし,個々人が動くだけでは限界がある。最も重要なことは,団結の呼びかけだ。しかし,実際のところは評論家的に他者に団結を呼びかけているだけのようだ。これら若者の考えが実社会に対してどれだけの力を持つのかには,疑問がある。

 一方で,実社会への影響を含めて考えると,前回も検討した「弱者の動き」,「経営のあり方」,「国の政策」の3つについて,それらの相互関係の見直しが必要になる。そして,資本主義社会における労働組合運動の役割についての議論にもなる。

 次回,その辺のテーマについて,若者の意見をもう少し分析しながら,検討を続ける。