「くたばれコンピュータ!」を読んだ。元松下電工インフォーメションシステムズ社長であり、現在は経営コンサルタントなどとして活躍する濱田正博エカイユプリュス代表が2008年1月に出版した本である。

 聞けば、“新3K職場”と言われ、就職先として人気のなくなったシステムエンジニア(SE)の復活を願って書いたのだという。日本での情報システム産業の歴史は50年になるが、そのうち30年を当事者として目の当たりにした濱田氏ならではの現場感で、この産業の変遷を振り返る。「くたばれコンピュータ!」というタイトルだが、コンピュータに振り回されることなく、こき使ってやろうではないか、という濱田氏の気概が反映されたものらしい。

 筆者の目を引いたのは「SE今昔物語」と題した最終章である。ここで濱田氏は、SEという職業そのものに注目して持論を展開する。SEの仕事の内容を再定義し、どのような人間が求められるかを議論し、その後、やり甲斐の維持という本題に論を進めていく。副題は「SEのやる気にかかる近未来の情報システム」である。

何故やり甲斐が感じられなくなったのか

 「くたばれコンピュータ!」で、タクシー業界の規制緩和に言及している部分がある。タクシー業界では規制緩和で参入障壁が下がり、タクシーの台数が増えた。引退後に低賃金で働く年配の運転手も増えた。需給ギャップが広がったため、「賃金が下がる一方」と嘆く働き盛りの運転手は多い。

 濱田氏はタクシー業界の状況を見るにつけ、どうしてもIT業界の将来に思いが及んでしまうそうだ。タクシー運転手に求められるのは、かなり普遍性の高い技能であり、人材は容易にみつかる。安全という重要な責務を負っているにも関わらず、賃金が安いのはこのためだ。SEであっても、誰でもできるような仕事をしている限り、発注者が安いほうに流れるのは当然の成り行きだ。中国、インド、アジア各国のSEだけでなく、日本国内の比較的安価なパートSEも手強いライバルになるのだ。

 濱田氏の指摘によれば、SEの人物像も昔と今では違ってきており、そのために様々な問題が起きているという。曰く「昔のSEは開放的で、よくしゃべり、よく動く。しかし今のSEは閉鎖的で静かで動かない。ユーザーとの関係も、昔のSEは強かったが、今のSEは弱い」という。「行き過ぎた分業体制」の弊害もある。例えば、担当する範囲が大きなシステムの一部である場合、トラブルが発生しても「私が関係した部分ではない」と言って、責任範囲を矮小化する傾向がある。当然、達成感も薄い。もっと小規模なシステムなら、そうはならないだろうという。

 「システム開発も製造業のようなセル生産方式に切り替えてはどうか」と、濱田氏は提案する。現状の分業の仕方では、自身が今やっている作業が、どんなことに役立つのか分からない。これを、1人または数人で、ゼロから最終製品まで作り上げるようにし、各自が明確に責任を持てるようにする。そうすれば、自分で考える力も養える。

 SE個人の戦略はどうすべきか。濱田氏のアドバイスは「ユーザー寄りのSE」と「技術よりのSE」のどちらかを指向せよ、というものだ。前者はユーザーの課題を聞いて考え、様々な可能性の中から最適なものを提案する。一方後者は、特定の技術を極めている。「あいつが詳しい」と社内外から言われ重宝がられる。いわばゼネラリストとスペシャリストである。モティベーションの持ち方も全く違う。だが、この両者を組み合わせてこそ優れた情報システムが構築できるのだ。

 濱田氏によれば、ゼネラリストの代表と言えるプロジェクトマネジャーの理想像は刑事ドラマのボスである。本社にいて指示を出すだけで、そこから動かない。動くのは刑事、しかもベテランと新人の2人組が明確な役割分担の下で動く。目的も「犯人を捕まえること」と明確である。逮捕するための情報はボスに集められ、共有する。一方、スペシャリストの理想像は映画「7人の侍」である。1人ひとりの侍が異なる専門性を持ち、強い信頼を得ている。

“敵”と信み(よしみ)を通じる

 情報システム構築においては、様々な対立構造が発生する。濱田氏がまず挙げるのは「レガシーSE」と「オープンSE」の関係だ。「メインフレーム時代の開発は縦方向のコミュニケーションが重要で、徒弟制度的な面が強かった。一方、オープン系の開発では社内外の横のコミュニケーションを重視する」という。

 「極端に言えば、レガシー系はおおむね守旧派であるのに対し、オープン系はベンチャー精神を持ち、自分たちが技術的に優れていると考えがち」という。レガシー系SEがいなければ、情報システム構築が進まないという状況に、オープン系SEは不満を抱く。どちらが悪いという話ではない。情報システム構築の多くは、こうしたある種の対立構造の下で進められているからこそ、両者が「より緊密な関係を作る」ことを意識しなければならないのだという。前述の「ユーザー寄りのSE」と「技術寄りのSE」の間にも、対立関係は生じるかも知れない。

 各所で多くの講演をする濱田氏が最近よく挙げる言葉がある。「よしみ」である。漢字では「信み」と書くので、「通信」とは信みを通じること、すなわち信頼や友好関係を交わすことという意味になるという。オープンSEとレガシーSE、ユーザー寄りのSEと技術寄りのSEが信みを通じて“融合”することに意味があると濱田氏は考えている。

 なお、「くたばれコンピュータ!」は書店にはない。自主出版だからだ。在庫が自宅に山のように積み上げられているそうだ。