YAPC::Asia::2008

もうすぐやってくる。東京にやってくる。

世界最大のYAPCが、世界中のPerl Hackersをともなって。

日本の Perl Community に、国際競争力があるおかげだ。

梅田望夫×まつもとゆきひろ対談 第2弾「ネットのエネルギーと個の幸福」(後編):ITpro
エンジニアが幸せになるためにはその産業が国際競争力を持つことだと思うんだよね。

いや、実はその産業だけではなく、その産業をも含めた「国力」があるから、だ。

オープンソース・プログラマーというのは、実のところ最高に贅沢な生き物である。成熟した先進国でないと誕生しないし、誕生しても生長できないのだから。

オープンソース・プログラマーというのは、つい最近までは道楽か機関研究員でないとやってられない稼業、失礼、業だった。稼いでないから稼業とは言えないよね。オープンソースの代表でもある Unix (Linux/BSD/その他含む)も、AT & Tの研究所で生まれて UCB で育った。道楽も研究機関も、国際競争力のある国でないと維持できない。

ましてや、オープンソースプログラマーであることそのものに給料を支払うようになったのはごくごく最近のトレンドで、これまたそういう余裕のある会社は国際競争力のある国でないと成り立たない。インドや中国はオープンソースのヘビーユーザーではあっても、コントリビューションという点では実に微々たる者だ。Encodeの中国語サポート一つとっても、やってくれたのは台湾のAudrey Tangだったし、インド諸語サポートは(私を含め)誰もわかる奴がいないという理由でずっと棚上げ状態が続いている。

それゆえ、私には

エンジニアの幸福感に国際競争力が必要ってのはおかしいと思うよ - ひがやすを blog
「エンジニアが幸せになるためにはその産業が国際競争力を持つことだと思う」というのは、ちょっと違うでしょうってこと。

という台詞がひどく罰当たりに聞こえる。もしひがさんが日本以外の国に生まれ育ってオープンソースプログラマーを志したらこんな牧歌を歌っていられるのですか、と。

今のこの状態が、いつまでも続くと思ってはならない。

「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」

弾:私の思い描く10年後はちょっと悲観的で、日本語が弱くなっていると思う。どういうことかっていうと、日本語で同じだけの仕事をしても、得られる量がより少なくなってる。今こうして対談を日本語でしてるけど、それが成立するのも、今は日本語でそれを欲する人が充分いるから。2年はとにかく、10年ともなると本誌もわからない(笑)。私自身連載を持ってた雑誌が何度も休刊の憂き目にあってるし。10年後も日本語で仕事できるのか。

ま:人口はどんどん減るからね。

弾:いや、日本の人口の減り方より、日本語でおもしろいことをやろうとする人口。おもしろいことをやるのは若い人。これが減る。出生数は今110万ぐらい。人口が半分のフランスで70万あるのに。

ま:近頃のガキはおもしろくないなぁってのはあるよね(笑)。

弾:そもそもガキそのものが少なくなってるんだってば。10年後と言わず10世紀後も残ってほしいけど、こういうことは滅び出すと結構早い。自分自身は、梅田望夫的「サバイブ」は没問題。一応英語も話せるし。でもすごくもったいない。話が急に大きくなっちゃったけども…。

で、日本が停滞している間に、各国はどんどん力をつけている。去年には北京で最初のYAPCが開かれた。今は東京が「ずうずうしく」もYAPC::Asiaを名乗っているけど、このタイトルだっていつまで名乗っていられるのだろう。

数年スパンなら、YAPC::Asiaが北京に引っ越すということは考えがたい。ネットを検閲しているうちはまだ考えることすら冗談だろう。

しかし、10年後は?20年後は?

電脳言語の歴史は短いけれど、Perlですらそれくらいの歴史はあるのだ。今から考えておいても遅くない。

おっとっと。辛気くさい話になってしまった。

今は素直に慶びたい。世界最大のYAPCをこの東京で開催できることを。

Dan the Globally Competitive Perl Monger


編集部より:今回の記事は,小飼弾氏のブログ404 Blog Not Foundより編集し転載させていただきました。本連載に関するコメントおよびTrackbackは、こちらでも受け付けております。