オリコンがジャーナリストの烏賀陽弘道(うがやひろみち)氏に対して5000万円の損害賠償を要求する訴訟を起こしたことについては以前紹介しました。4月22日,東京地裁は烏賀陽氏の主張を全面的に退け,100万円の損害賠償をオリコンに支払う判決を出しました。

関連記事:オリコン訴訟は他人事ではない
関連記事:都合の悪い記事を書いたジャーナリストを潰すには…オリコンの訴訟からIT業界を考える

 控訴の時と異なり,大手新聞社も報道をしたようですので,目にした方も多いでしょう。ただし,烏賀陽氏は5月2日に東京高裁へ控訴しているため,これで確定したわけではありません。

 さて,この訴訟は「オリコンのヒットチャートが操作可能かどうか」ということに焦点があると思っている方が多いようですが,そうではありません。ブログを書く人にとって,もっと重要なことは,烏賀陽氏の反訴が棄却されたことです。判決文をざっと読んだだけで,4つの問題を感じました。

 第1はコメントに対する訴訟についての妥当性です。烏賀陽氏は「5000万円という高額訴訟を,出版社や編集部ではなく,コメントだけを提供し記事を書いていない個人に対して起こすことは,訴訟権の濫用である」と主張しています。ところが判決文は「自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載されることを同意していた場合,または自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いことを予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対してコメントを提供した場合」はコメントしただけで名誉毀損が成り立つとしています。

 たとえば,日経BPはコメント提供者に事前に記事を見せることはありませんので,編集部に責任があります。しかし,多くの雑誌社はコメント部分だけを見せて同意を求められます。ここで同意すれば「これを容認し」ということになるのでしょうか。同じ発言であっても前後の文脈で意味が変わることがあります。記事全体の責任は編集部にあることは明らかであり,一切の責任を一切問わないというのは変だと思います。烏賀陽氏は,編集部との間で何回かFAXによるやりとりをしていますが「FAXのやりとりは意見交換ではない」としていますし(関連情報:JanJanニュース|「司法使った取材押しつぶし」オリコン訴訟敗訴でライター訴え),そもそも「掲載に同意していない」という話です(関連情報:烏賀陽氏のブログ|■オリコン訴訟 東京地裁判決のポイントと烏賀陽の所感■)。

 第2は,出版社や編集部が除外されている点です。判決文では,不法行為があった人が複数いる場合でも,全員を訴える必要はないとしています。しかし,これは変です。哲学者の諸野脇正氏はこう書いています(関連情報:諸野脇氏のブログ|【オリコン訴訟 判決批判1】東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽)。

 家族を殺害された遺族が損害賠償請求の訴訟を起こす。しかし,なぜか,実行犯は訴えられない。拳銃を渡した者だけが訴えられる。そして,損害額が1億円と認定される。その損害額全額が拳銃を渡した者に請求される。

 そもそも,記事が作られなければ名誉毀損は成り立たなかったわけです。ちなみに,オリコンの社長は「ジャニーズとの関係に触れたくないので出版社を訴えなかった」と明言したそうです(関連情報:YouTube|オリコン訴訟 第22話 ジャニーズに触れたとたんオリコン弁護団激怒)。記事全体では「ジャニーズの曲が常にオリコン1位なのはなぜか」という点に主眼が置かれ,烏賀陽氏のコメントにはジャニーズのことが全く触れられていません。ジャニーズの関係に触れないためには,編集部を除外して烏賀陽氏個人を訴える必要があったのでしょう。

 第3に,5000万円という高額の損害額の根拠です。判決文では「名誉毀損訴訟では損害額が比較的高額に設定されるのが普通」としています。損害額に対する合理的な根拠はなくてもよいということでしょうか。一般に,弁護士費用は損害賠償額によって決まります。高額訴訟を起こすことで,相手を経済的に追い詰めることが簡単にできます。

 そして最後に,他の解決方法をとらず,安易に訴訟を行っても良いのかという点です。オリコンは,裁判ではなく自社の雑誌やWeb媒体で反論することができたわけです。判決文では「そのような義務はない」としています。名誉毀損は「名誉をおとしめる」記事であれば成り立ち,それが事実であるかどうかはあまり問題ではありません。しかも,日本の法律では,名誉毀損記事を書いた側に「名誉毀損ではない」という立証をする責任があります。これは,そもそも「名誉毀損」は権力者の地位を守るために生まれた概念だからだと言われています。

 名誉毀損の民事訴訟は非常に簡単に起こせます。武富士に名誉毀損で訴えられていた三宅勝久氏によると「名誉毀損の訴状は,気に入らない記事を丸写しして『以上のことは事実に反し,名誉を著しく侵害した』と書くだけでいいんですよ」ということだそうです。次のターゲットはブログだと主張する人もいます。私もそう思います。

 もし,ブログで書いた記事が名誉毀損で訴えられたとしましょう。訴状を無視すれば訴訟を起こした側の言い分が認められ,損害賠償が確定します。2ちゃんねるのひろゆき氏くらい徹底的に無視する人もいますが,普通の社会人の場合は財産が差し押さえされてしまい,それで終わりです。

 裁判に応じた場合,弁護士が必要です。弁護士なしで裁判を起こすことは不可能ではありませんが難しいでしょう。これだけで相当な出費です。しかも,弁護士費用を上げるため,損害額を無意味に上げることもできます。企業が,その資金力を使って,個人を恫喝するために訴訟を行うのは,多くの国で違法となっていますが,オリコン訴訟の判決文から「日本では違法ではない」と読み取った方も多いでしょう。

 初期の恫喝訴訟は,出版社あるいは編集部と著者を連名で訴えていました。武富士による一連の裁判がその例です。ここで,オリコンは,著者ですらない,コメントを提供した個人だけを訴えるという一歩進んだ戦略を取りました。もちろん著者個人を訴えることも可能でしょう。編集部が訴えられていない以上,編集部や出版社は訴えられた人をむやみに支援できません。金銭的に支援すると「無駄な出費」として株主から突き上げられるでしょう。組織的な支援のない個人を孤立させるための効果的な作戦です。会社員であれば,トラブルを嫌って会社から退職をほのめかされるかもしれません。

 個人を訴えても,数千万円の損害賠償が取れるはずはありません。そのため,従来は,ブログをホストしているプロバイダを訴えることが多かったようです。しかし,恫喝目的なら個人を直撃した方が効果的です。個人名が分からなくても,個人が特定できれば訴訟は可能です。そういうわけで,匿名でも実名でも,企業に批判的なブログを書いている方は十分ご注意ください。

 ブログによる名誉毀損に関しては寛容な判決も出ていますが安心はできません。ブログが大手メディアに引用されたらどうなるか分かりませんし,歌田明弘氏によると,名誉毀損の判決は裁判官個人によるブレが大きいそうですので,ブログに対しても厳しい判決が出る可能性もあります(関連情報:歌田氏のブログ|あっというまに名誉毀損の被告人)。今回,オリコン烏賀陽訴訟を担当した綿貫穣裁判長は比較的マスコミに厳しいということでした。東京高裁での担当者は誰になるでしょう。

 企業や団体による恫喝目的の訴訟をSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)と言います。SLAPPの現状については「SLAPP WATCH」をご覧ください。

■変更履歴
関連情報内で「諸野氏のブログ」としていましたが、「諸野脇氏のブログ」の誤りでした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2008/06/02 10:30]