「あるべき姿を語ることではなく、あるべき姿を実現させること」。あるITベンダーのマネジャー向け社内研修会で、人と経営研究所の大久保寛司所長は、リーダーの役割をこう表現した。会社と組織を元気にすべく、全国を飛び回って講演活動を続けてきた大久保氏が、これまでに多くの“元気になった”企業を訪問して得た答えの1つである。

 会社のリーダーたる経営者の中には、表向き自由闊達な組織を標榜し、部下に意見を求める人がいる。ところが、部下が何かを発言した途端、それをさえぎって「そんなことは分かっている」と怒鳴ったりする。そんな口先だけの経営者に、アイデアを提案したい部下などいないだろう。社員の信頼を失うような経営者は、往々にして部下とコミュニケーションをとらず、相手を理解する努力を怠っていることが少なくない。

 そうした経営者はまた、口先では顧客第一主義を唱えるが、本音は売り上げ至上主義であることが多い。だから、部下であるマネジャーに対しても、「売上目標を達成できるか」と問いただすことしかしない。そのマネジャーも、部下である社員に「どうなっているか」と聞くだけで、具体的な方策を考えなくなる。まるで「顧客の言い分など聞かなくてよいから、とにかく製品やサービスを売り込め」と暗に指示しているかのようだ。これでは不正行為も起きようと言うものだ。

 この会社の顧客対応はどうだろう。社員はリーダーに対する不満を抱えながら顧客と接する。これでは顧客の満足度が上がるはずはない。社員の満足度が下がれば、顧客満足度も下がるのは当然なのに、経営者は顧客視点を持たず、数字を語るばかりで、部下の実行力に責任を転嫁する。

 さて冒頭のリーダー研修会では、まったく畑の違うある企業の経営者による講演ビデオが上映された。それは、九州で美容院を展開する「バグジー」の経営者久保華図八氏が「“利”より“信”の経営を」と訴える内容のものだ。

 今の自分は部下にどう接しているか。理解を深めようと努力しているか。コミュニケーション不足になっていないか。部下を怒鳴っているだけではないのか。極めて人材の動きが激しい美容業界において、ほぼ100%の従業員定着率を誇るバグジーの経営哲学には、IT業界に身を置くマネジャーであっても、考えさせられるところが多いのだという。

“利”より“信”の経営に改めよ

 振り返って、IT産業の実情を見ると、ITベンダーは売り上げ確保を追及するあまり、顧客の要件が曖昧でも契約を交わしてしまうことがある。それでも現場は、顧客と何回も議論を重ねながら、何とか情報システムを構築していく。

 だが、顧客は「期限通り、予算通りにできて当たり前」と思い、現場の苦労に対して「ありがとう」という感謝の気持ちは毛頭ない。ITベンダーの経営者らも、技術者に「よくやった」と褒めることもなければ、労うこともない。ひとたびトラブルや期日遅れが発生すると、顧客はその責任をITベンダーになすりつけ、ITベンダーの経営者は技術者を怒鳴りまくり、技術者が疲弊し、バタバタ倒れようが辞めようが関係ない。

 これでは、プロジェクトに携わった技術者が喜びを感じられるはずはないし、やる気もなくなる。顧客の満足度を高めようというモチベーションが湧かないから、技術者は現場に出向いてニーズをつかもうとしなくなる。「言われたことだけをすればよい」と思う。情報システムを作り上げることの意味を、顧客もITベンダーも真剣に考えていないのもかもしれない。

 ITベンダーの経営者はそろそろ考え直してほしい。こうした状況を1日も早く打破することが、情報システム構築に従事する顧客のIT部門、そしてITベンダー自身の技術者を元気にすることにつながるはずだ。「活き活きとした組織を作り上げる」。それが経営者の役割だし、今こそ“利”より“信”の経営に改めるときである。

※)本コラムは日経コンピュータ08年4月1日号「田中克己の眼」に加筆したものです。