4月5日土曜日,今年で9年目となる恒例の情報化研究会・京都研究会を丹波口にある京都リサーチ・パークで行った。2年ほどカゼをひかなかったのに,この週の水曜日にいきなり鼻水が出始め木曜日にはセキまで出て,あわてて病院に駆け込んだ。インフルエンザを恐れていたが,さいわいただのカゼだった。土曜日の朝になっても鼻声で体は重かった。しかし,主催者で講師でもある自分が行かないわけにはいかない。東京から20人近く,広島や関西から10数人,あわせて36人もの人が京都に集まるのだ。

9回目を迎えた京都研究会
写真1●9回目を迎えた京都研究会
 悪いことは重なるもので,余裕を持って自宅を出たのに最寄の私鉄は事故で運転再開まで30分以上かかるという。バスでJR線の駅に向かうと,JRも御茶ノ水駅の信号故障で大幅な遅延。もう京都には行くなということかと思ったが,予約していた東京発9時40分の「のぞみ」を1時間後の便に変更し,JR線と東京メトロを乗り継いでやっと東京駅に着いた。京都着13時1分。会場のある丹波口駅は山陰線で1駅なので,歩く時間を考えても13時30分から始まる研究会には余裕で間に合うと思った。

 だが,13時9分発の山陰線各駅停車が時間になっても発車しない。駅員に聞くと6分遅れで出るという。おのれの不運に腹が立つが,仕方がない。救いは同じ電車に顔見知りの情報化研究会の人が2,3人一緒だったこと。JR丹波口駅から急ぎ足で歩いて会場についたのは開始時間の2分前だった。

 さて,今回は昨年に続いてこの研究会で講演してもらった,英BTのヨン・キム副社長の話を聴いて,いろいろ考えたことを書こうと思う。やはり,たまに人の話をじっくり聴くのはいいことだ。キムさんの言葉のいくつかが刺激になって,テレコミュニケーションの時代は終わり,「リッチコミュニケーション」とでも呼ぶべき時代に入ったのだな,と確信した。

失われた“tele”の意味

 キムさんが話した1時間の講演のテーマは『Service Deregulation-opportunities for business』だった。英国やアメリカが1980年代に行った規制緩和とICTの進歩が,通信業界や会社組織のあり方をいかに変容させたか,規制緩和が有効に機能するための水平分散モデルの重要性,などを分かりやすく話してくれた。

 筆者は大きな話の流れだけでなく,一片の言葉に刺激されることが多い。キムさんの講演では「大事なものはデジタルになった」,「テレコミュニケーションの“tele”は価値を失った」という二つの言葉に脳がビビッと反応し,自分の頭がキムさんの講演とは関係なく動き始めた。

 たしかに,大事なものはデジタルになった。企業では見積もりから事業計画まで幅広く使う表計算のシート,様々なドキュメント,プレゼンテーション資料。家庭においては大切な思い出のつまった写真やビデオ。我々にとって重要な情報を紙で扱うことは少なくなった。

 デジタルにしてネットワーク(イントラネットやインターネット)上のサーバーにアップしておけば保存する場所もとらず,大量に保存できるし検索できるので探すのも簡単だ。必要ならいつでもダウンロードしてプリントすることも出来る。

 筆者の場合,講演で使うプレゼンテーションや様々な原稿は大事なものだが,これらのほとんどをgmailに保存している。保存したいものを自分のアドレス宛に送っておくのだ。3年前にgmailを使い始め,今では1ギガバイトほどたまっている。Googleが無料で使わせてくれるスペースは7ギガバイト近くあり,しかも刻々と容量が増えているので使用率はほとんど上がらない。

 “tele”が無意味になったのも事実だ。よく知られているようにTelephone,Televisionなどと使われる“tele”は「遠い」という意味の接頭辞だ。遠ければ遠いほど,通信の価値(料金)は高いのが100年以上続いたTelecommunicationの常識だった。しかし,光ファイバによる大容量伝送技術,デジタル技術,CPU/メモリー技術の長足な進歩で,距離が遠くてもコストや時間を気にせずに通信できるようになった。

四次元ポケットのようなコミュニケーション

 大事なものがデジタルになり距離を気にせず通信できるようになるとどんなに便利かを,京都研究会で実感した。研究会でキムさんの後に講演した筆者は,てっきりプリント用に事務局に送っておいたスライドが会場のパソコンにインストールされていると思っていた。ところが,入っていなかった。キムさんは持参したパソコンにスライドを入れていたのでそれを使ったのだが,パソコンを持ち歩かない私はどうしようかと途方にくれた。会場のTさんが,「私のパソコン,イー・モバイルのカードが入っていますよ」と声をかけてくれた。そのパソコンを借りてネットにつなぎ,gmailに保存してあるスライドをダウンロードした。3Mバイトほどのスライドは10数秒でダウンロードできた。 

 私のスライドはおそらく数千キロ離れたアメリカかどこかのgmailのサーバーにあるのだが,そんな距離はまったく意識せず,かばんの中のパソコンを取り出して使うのと変わらない感覚で利用することが出来た。通信料はTさんが払っている月額5000円の定額料金以外に不要なので,ダウンロードさせてもらったからと言って料金はかからない。

 スライドをダウンロードできるだけではない。その気になれば世界中どこにいる人とでも,ネット経由でパソコンを使った電話やテレビ会議が簡単にできる。

 デジタル化とワイヤレス・ブロードバンドが可能にした新しいコミュニケーションは,いつでもどこでも必要な道具(サービス)やモノ(コンテンツ)を取り出せるドラえもんの“四次元ポケット”のようなものだ。電話やテレビ会議といった通信も道具の一つに過ぎない。

 コミュニケーションの価値は距離や時間とは関係なく,四次元ポケットから取り出せる道具やモノでユーザーをどれだけ“豊かに”出来るかで決まる。いわばRich Communicationとでも呼ぶべきものになったのだ。 

企業ネットワークがRichであるための条件

 これから我々が企業ネットワークを設計するとき,リッチコミュニケーションを実現するにはどう考えればいいだろうか。リッチコミュニケーションの構成要素には,ユーザー・インタフェース,ネットワーク,スペース(道具やモノを置くネットワーク上の場所),スペースに配置するサービスとコンテンツがある。

 ユーザーに安心(セキュリティや可用性の高さ),利便性,快適さなどの豊かさを提供するには,これらの要素それぞれが重要だ。ここに多くのことを書くほど筆者の思考は深まってないし,紙幅もない。だが筆者は,これらの中でも特にネットワークとスペースのあり方が大事だと考えている。ネットワークにおいては速さとモビリティが基本だ。ネットワークは速ければ速いほどいい,というのは100年たっても変わらないだろう。速いから,道具やモノをポケットに入っているかのように取り出して使えるのだ。「どこでも」を実現するモビリティがなければ,ポケットにはなりえない。

 個人で使うには,筆者のようにgmailをスペースとして使うのもありだろう。しかし,情報漏えいや意図的情報持ち出しを完全に防がねばならない企業で使うのは難しい。企業が安心して使えるスペースはどうあるべきだろう。通信事業者が提供するスペースなら安心とも限らない。使いたくもない道具やコンテンツまで一緒に押し付けられたのでは迷惑だ。道具やコンテンツはユーザーのニーズや好みに合ったものを自由にポケットに入れて,使えるようになっていなければならない。ネットワーク同様,スペースもオープン性が大切だ。

 ワイヤレス・ブロードバンドやNGNで,リッチコミュニケーションを実現する材料は揃いつつある。これからが知恵の出しどころだ。

5月の嵐山に来たくなった

 京都研究会と懇親会は元気に楽しめたのだが,二次会は大事をとって出なかった。翌日曜日は例年なら花見なのだが歩き回るとカゼがひどくなる恐れがあるし,仲間の足手まといにもなるので,早々に帰京した。ただ,まっすぐ京都駅に行くのはくやしいので錦小路の近くのホテルからタクシーに乗り,四条大橋を渡って鴨川沿いを走ってもらった。川沿いに咲き誇っている枝垂(しだれ)桜を見るためだ。着物を着た女性のような枝垂桜は京都によく似合っている。

 タクシーの運転手さんと雑談していて嵐山の話になった。「桜と紅葉の時期の渡月橋は観光客でいっぱいになりますけど,新緑のころは地元京都の人でいっぱいになるんですよ」という。新緑が川面(かわも)に映り,吸い込まれるように美しいのだそうだ。5月の嵐山に来てみたくなった。

◆お知らせ◆
筆者の松田次博氏も登壇する講演会「次世代ネットワーク・シンポジウム2008」が5月14日に開催されます。ぜひご聴講ください。

間違いだらけのネットワーク作り   筆者の松田次博氏の単行本が4月に発売されました。本コラムの連載を集め,プロジェクト管理,営業,設計の考え方やノウハウをエピソードを通じて分かりやすく説いた「間違いだらけのネットワーク作り」(日経BP社)です。