ITは企業人を幸せにしたのか…。付き合いのある企業人のボヤキを聞いていて,そうした素朴な疑問が生じることがある。

 A社の企業グループでは,情報漏えいや私的利用を避けるために社外へのメール発信を原則禁じている。社外へメールを発信する場合は,相手アドレスを事前に登録しておくか,ccメールを部長宛に同時送信する。従って,情報を得るためにどこかのメール会員になろうとか,何かのコンファレンスに参加しようとか,まして,ある筋から情報を探るために某所へメールでアプローチするなどということは,ほとんど不可能である。A社の某課長はこぼす,「やりにくいですよ。結局,余計なことは一切しなくなりました」。

 中堅企業B社では,某部長が次のようにボヤいていた。「パソコンの前に坐ったら,瞬く間に時間が潰れます。社外から送信される膨大なビジネス情報の中から必要な情報を選び出したり,部下や関連部門からのメールに返信を出していたら,1日掛りですよ。それがほとんど毎日。こんな状態じゃ,誰も脳が働きませんね」。某課長もボヤく。「パソコンに向かっていれば,仕事をしている気分になる奴が多いですね。便利なようで,アチコチが断絶ですよ」。

 これらを,単に不便だとか,情報に操られているという観点から捉えて,如何に不便を取り除くか,如何に情報を操る側になるかという「目の前の解決策」を探るだけでは物足りない。ITが企業人にとって幸せをもたらしたのか,という観点から見る必要もあろう。

 それは,ITが社会生活を効率化したか,便利にしたか,反倫理的事象を克服できるかというスポットの議論でなく,ITが人間を幸せにしたかという根源的議論(これについては、いずれ機会をみて検討したい)の企業版である。ITの10年先,20年先を考えた時,避けて通れない重要テーマであり,今から俎上(そじょう)に上げておかなければならない。

情報を当てにするあまり思考力や想像力が退化

 ITは,企業人に幸せをもたらしたか。このテーマは,2つの視点から考えられる。

 1つは,ITが企業人にプラスに働く面に着目した視点である。ITのプラス面とは,ITがそれを使う企業人に快適感を与える,すなわちITが企業人の幸せに積極的に関与する働きを意味する。ITが人の思考や判断,行動に手を貸すのである。現時点では,まだまだ不充分であるが…。

 冒頭のA社の例はITのメリットを生かせていないという意味で,議論以前の問題ではある。だが,情報漏えいや私的利用を防ぎながら外部への接続を可能にする技術的な解決方法は十分に考えられる。B社の例でも,情報選択の技術を活用すれば,情報洪水の中でユーザーにとって不必要な情報を捨て,必要な情報をタイミングよく提供できる可能性がある。そうなれば,パソコンの使用制限や情報整理の時間浪費から解放され,ユーザーは快適に仕事に向かうことができる。

 技術がさらに進むと,ITが人の思考や判断,行動に手を貸す範囲は広がるだろう。例えば,プロジェクトを推進する時にどんな問題が予想され,どんな行動を取るべきか,その行動がどんな結果を生むか,その結果をどう評価して,次の行動に結び付けるべきか,といった情報の提供が期待される。

 それは,困難な手術における医師や看護士の行動から誤動作を排除し,予期せぬ異常事態に最適に対応する手順をシステム化するのに似ている。ヴァーチャルな世界でのリアル世界の再現であり,全ての経営判断や行動に適用される。そのためには,人間になじむ快適なユーザー・インターフェース,人間の感情や思考,意図を理解する機能などの開発が求められる。

 もう1つは,ITが企業人にもたらすマイナスの影響へどう対応するかという視点である。すなわち,ITが人間から奪ったものを取り戻すことで,企業人が人間らしい企業生活を獲得することである。この視点は現在,軽視され過ぎている。

 冒頭のA社における「余計なことを一切しなくなった」というような閉塞感の克服,B社のように「脳が働かなく」なったり,「アチコチが断絶」した結果失った創造的発想や意思の疎通,仕事のやり甲斐などの復活が必要である。しかし,実際に多くの企業で,A社,B社の例が比較にならないほどの深刻な問題をもたらしている。

 長い間続けられてきたITによる作業効率向上や合理化は,企業人からゆとりを奪い,疲れ果てさせ,企業人同士をギスギスした関係に陥れた。溢れかえる情報は企業人にストレスを与え,情報を当てにするあまり思考力や創造力が退化しつつある。プラス面に注目した第1の視点と裏腹な関係にもなるが,ITの支援で便利になると,企業人は思考を省略するようになり,人との干渉を忌み嫌うようになる。およそ,働き甲斐などとは縁遠くなってしまう。

 こうしたITのマイナス影響を克服するには,ユーザー側とシステム構築側,両面で対応していかなければならない。

 ユーザー側の代表的な対応策には現認主義,それに人間との接触がある。ITが与える情報偏重に陥らずに,ユーザー自身が適宜現場へ出かけて現場の実態を目にし,耳を傾け,手に触れる。そうすることで情報に血を通わせることができるし,情報の判断,意思決定などにも必ず役立つ。社内,国内外の市場,最終顧客など,現場は数多く存在する。そして,現場では必ず人間に行き会う。人間との常時接触を重要視する。

 システム構築側では,ユーザーの視線で考えること,そして構築するシステムに余裕を取り入れることが必要である。言うは易く,行うは難しだが,ユーザーの視線で考えることは,ユーザーに優しいシステムを生む。そしてシステムに余裕を取り入れることは,ユーザーにふと立ち止まって考える余裕を与える。例えば,最適値を算出するシミュレーションの過程で,シミュレーション要素の選定に人間の介入を許容するようなシステムが考えられる。

 問題は,それを誰が行うかだが,直接的には経営者である。例えば現認主義の推奨などは,経営者の責務そのものである。システム側では,ベンダーの責任で実施できる対応策もある。例えば,ソフト・ベンダーが自社製品の特徴としてシステムに余裕を持たせ,売り込むべきである。

 さらには,ITは企業人を幸せにするかという問題提起にマスコミが取り組み,世論を喚起し,学会や業界,政治のテーマとして広く検討を進めるべきである。