山之内秀一郎氏が,毎日新聞社から「JRはなぜ変われたか」と題する書籍を出版された。同氏はJR東日本の初代副社長で,会長職を経て現在は同社顧問職にある。なかなかの秀作のようで,ネットには次のような概要が紹介されている。


amazon.co.jpでの概要紹介
87年,国鉄から分割民営化された際にJR東日本の副社長だった著者。超お役所体質をどう意識改革し,飛躍させたのか。驚きのエピソード満載。

 お役所体質を民間のごく普通の企業(公益企業?)へと転換させる苦労話が所載されているのだろうと思う。Change Managementの事例研究書と考えて読むと,たくさんのヒントが得られるかもしれない。

 ただ,私は,JRの苦節の民営化プロセスの中でまだ未完のものがあるのではないかと考え始めている。この本が出版される以前から。そのポイントは,JRは速く安全に運ぶことにばかり熱中しすぎたあまり,“運輸サービス”の真髄を失ってしまったのではと思える現象を散見するようになったからだ。

都心には旅行者が佇む空間がない駅が多い

 私は一時,上野と宇都宮間を毎週往復していた。朝,宇都宮から都心に向かうときは新幹線,夕刻に宇都宮へ戻るときは在来線(東北線)普通列車のグリーン車を利用していた。アッパーデッキの隅で反っくり返りながら,膝の上にパソコンを載せていろんなことをした。キリンの缶酎ハイを二缶と夕刊フジ,特選おつまみ弁当を欠かさなかった。

 私がこの好みの状態を作るためには,結構な事前作業が必要になった。

 まず,Suicaにチャージが必要かどうか,券売機で残額を調べる。足りなければ,少なくとも上野から宇都宮までの普通運賃とグリーン料金の合計までSuicaにチャージする。

 次におつまみ弁当を売っている売店を探し出す。そして買う。さらに,キリンの酎ハイを売っている店を探し出して買う。ようやっとホームへ出て,グリーン券販売機で宇都宮までのグリーン料金を支払う。

 夕方の混雑気味の上野駅構内でこういう行動をとらなければ,宇都宮まで快適に戻れなかった。

 昨今の通勤事情からすると,宇都宮は新幹線通勤の範囲内だとJR東日本は主張するかもしれない。しかし私には,乗車時間が1時間40分,料金2840円でゆっくりとリラックスできる空間だった。欲を言えば,弁当や缶酎ハイが速攻で買えてウロウロさせられなければ,もっと快適だったことは間違いない。

改めて眺める駅構内,旅行者に不親切かもしれない

 先日,JR新宿駅の総武線緩行ホームで,少女が荷物運搬用の二輪カートに乗って滑っていく姿を目撃した。私は思わず「危ない」と叫んだ。私には,少女がそのままホームから転落しそうに思えたのだ。幸いなことに,ホームの端に佇む別の乗客(女性)が振り返って少女に声をかけた。少女はカートに乗るのを止めた。母親とおぼしき女性はその間,公衆電話に熱中していた。行き先を尋ねていたらしい。今時公衆電話というのは珍しい。でもこういう人もいるのだ。

 慣れた通勤客には何気ない風景や景色であっても,旅慣れない旅行者にとっては不安の坩堝(るつぼ)というのが大都市の主要なターミナル駅である。見慣れているから,それが当たり前というのが,おおかたの受け止め方なのだろう。しかし,改めてながめると気になる風景,奇異に感じられる風景がJRの駅構内には散見される。

 例えば,東京駅のJR東海改札口近くの,新幹線切符売り場の風景である。そこでは乗客は立ったままで,係員は座り込んでいる。他のいわゆる窓口というところも総じてそうだ。

 10年以上前,カナダのバンクーバーからトロントまで,カナダレールで旅したことがある。旅行代理店には,乗車券はバンクーバーの駅で買うから予約だけしておいてくれればいいと頼んだ。当日,駅で切符を買った。どんなやりとりをしたかは記憶にないが,窓口の係員が妊婦だったことを覚えている。彼女は立っていた。そのことが印象に強く残っている。米国を旅するときは,国際線であれ国内線であれ,チェックインしてボーディングパスを受け取る。その時も,応対する航空会社の係員は立ったままだ。

 サービスの品質は顧客に対応するコンタクト・パーソンによって左右される。このことは,浅井慶三郎氏の「サービスとマーケティング」に解説されている。

 さすがに最近はそういうことは見かけなくなったが,ひところの切符売り場では,係員は空調の行き届いた部屋で椅子に座り,乗客は汗を拭き拭き腰をかがめて小さいトンネルのような穴に向かって何かを叫んでいた。下手に質問しようものなら,あからさまに嫌な顔をされて,ぞんざいな言葉が返ってくることもあった。

 乗車券販売の窓口は,顧客サービス窓口の一種のはずだ。そこでサービスする側が楽をして,顧客の側が苦行を強いられるというのはどういうことだろうか。