小飼弾です。明けましておめでとうございます。

去年に引き続き、ITpro編集部より「Watcherが展望する2008年」というお題で記事を一本書けという依頼をいただきました。去年はThe Wisdom Not to Crowdというタイトルで、「群れないこと」をテーマにしました。今年は、その反対、「群れる」ことをテーマにすることにします。いや、「集まる」ことと言った方がいいでしょうか。

去年値上がりしたもの

その前に、去年までの傾向をおさらいしておきましょう。まず、何が上がったか。これは、もうみなさん肌で実感しているでしょう。天然資源です。

ガソリンが150円/L以上。おかげで産油国はウハウハです。ドバイやモスクワは建設ラッシュを通り越して、建設合戦となっているようです。人的資源もまた天然資源のようで、中国も相変わらず景気がよろしいようです。

そして、値下がりしたもの

で、何が下がったか。知的資源です。「知価革命」という言葉がウソのようです。かつてはローンで買っていた百科事典が、今やWiki、失礼、Wikipediaでいつでもどこでも調べられ、知らないことがあっても人に聞いたらググレカスと言われる時代。

反対意見多数でも「ダウンロード違法化」という意見もわからなくもないですが、歴史の歯車は法律の一つや二つで逆転させられるとは思いません。逆転させて傷つくのは、そうまでして守ろうとしてきた人々なのではないでしょうか。

日本、オワタ\(^o^)/???

こうやって書くと、日本はとてもいいポジションにいるとは思えませんねえ。天然資源がないのはいかんともしがたい。人的資源も中国やインドのようにあるわけでもない。人口はこれからもっと減る。若い人はもっと少なくなる....賢明にアニメやゲームを作っても、二束三文で買いたたかれる....いくら梅田望夫さんが楽観主義を唱えても、「あんたはシリコンバレーから高見の見物してるから」と愚痴の一つや一億は出てきそうです。

コモディティ、オワタ/(^o^)\!!!

それでも、コモディティがまだ安くなかった頃は、それを売っていればなんとかなりました。日本におけるコモディティは、戦後は一貫して若者でした。若者がコモディティなのは日本に限った話ではないのですが、日本には団塊の世代のおかげでそれが特に顕著だったような気がします。

石炭が駄目なら船を、船が駄目なら自動車を、半導体を、家電を....となんとかやってきた日本ですが、実はそのいずれも、若者がコモディティだったから充分安く作れたというのは事実です。「ものづくり」と一口に言いますが、実はものづくりが成り立つためには、コモディティとしての若者がたくさん必要なのです。日本のものづくり産業の変遷は、「なにを作ればコモディティとしての若者を充分確保できるか」で移り変わって来たように思えてなりません。

その若者がコモディティでなくなるというのは、1969年に私が生まれる前からわかっていたはずのですが、「若者を安く叩いて売る」というビジネスモデルがあまりにおいしすぎて、バブルが崩壊してもそれを続けて来た結果、その疲れがどっと出たのが、去年の日本だったように私は感じました。立木信さん「若者を喰い物にしつつづける社会」と嘆き、赤木智弘さんが「『丸山真男』をひっぱたきたい」とキレるのもよくわかります。

ニコ厨たちはなぜニコニコしているか

にも関わらず、ニコニコしている人々も結構いたりします。Webの世界では、なんといってもたくさん見かけるのはニコニコ動画でしょう。去年日本で出来たWebの中で、圧倒的にウケたのが、このニコニコ動画であることは疑いないでしょう。ちなみに「ニコ厨」というのは、そんなニコニコしている彼らのことです。「ニコニコ動画中毒」、略して「ニコ厨」。そのニコ厨たちの微笑みに、私は2008年のヒントが隠れているように見えます。

それでは、なぜニコ厨たちはニコニコしているのでしょう?それはYouTubeと比較するとよくわかります。

技術的には、ニコニコ動画はYouTubeとさほど変わらないように見えます。実際、ニコニコ動画は当初動画をYouTubeからそのまま引っ張って来ていたぐらいです。違うのはそこにコメントが流れていることぐらい。解像度が少し高いというのはさほど違いはありません。地上波デジタルを売りたがっている人はそう思いたくないようですが。

YouTubeは、動画というコンテンツを集めて再配布する場所。そして、コンテンツがコモディティであることは、去年証明されてしまいました。YouTube自身が、その証拠の一つとなっています。YouTubeに動画をアップしても、今のところ何百万回視聴されようがアップロードした人にはビタ一文入らなかったのです。去年の終わりに、「少しは払う」という風に変わったようですが、それでも二束三文には変わりません。視聴した人は一銭も支払わないのですから、これは当然とも言えます。

アップした人にビタ一文入らない。これはニコニコ動画でも同様です。ところが、ニコニコ動画には、より快適に視聴するために、月500円とはいえお金を払うプレミアムユーザーが10万人もいます。その上、ニコニコ市場といって、ある動画に対応する広告を、視聴者が勝手に設定する仕組みまで用意されています。ニコニコ動画では、アップする人だけではなく視聴する人もYouTubeよりずっと積極的なのです。この違いは、どこから来るのでしょう。

体験、です。

体験(experience)はコモディティ(commodity)にしようがない

ニコニコ動画で動画を視聴するというのは、単に動画というコンテンツを眺めることではありません。その動画を見た他の視聴者と、コメントを介して体験を共有することなのです。コメントを切って動画だけ見ることもできますが、それではYouTubeと変わるところはありませんし、実際そうやって動画を見てもあまり面白くないのです。

ニコニコ動画がなぜ画期的か。それは、コモディティであるはずの動画を、「みんなで見て語る」という体験に変えたことなのです。そして体験というのは、コモディティになりようがないのです。

コモディティであれば複製が可能です。そしてデジタル情報というのは100%複製が可能である以上、究極のコモディティなのです。暴落するのは必然だったのです。「所有者」、または「著作権保持者」たちは懸命にそうならないよう努力してはきましたが、そのやり方ではどうあがいてもうまく行きそうにないというのがバレてしまったのが2007年だったのではないでしょうか。

書籍、アニメ、雑誌、映画、番組....これらはすべてコモディティです。しかし「あの本を読んだ」「あのアニメを見た」「あの雑誌で見た」「あの映画を見た」そして「あの番組を見た」は、コモディティではなく体験なのです。そして、体験というのは、共有者が多ければ多いほど価値が出る。一人で映画を見るよりカレカノと一緒に見た方が楽しいのが当然のように。

持つな、もてなせ。

しかしコモディティという言葉がそのままカタカナで使われているように、最近ではexperienceの訳語に「体験」を当てるとしっくりしない場合も増えてきました。User Experience というのは、「すでに体験した」ことだけではなく「これから体験しうること」に対しても使われます。ですから「体験」よりも「使い心地」の方がしっくりきたりもします。そうなると「コモディティ」と同じく、「エクスペリエンス」とカタカナになってしまうのでしょうか?ルー大柴さんの高笑いが聞こえてきそうです。

しかし、これに「もじぴったん」な言の葉を見つけてくれた人がいます。我が盟友にて大先輩の中島聡さんです。ここでは親しみをこめて、いつも呼んでいるようにsatoshiさんと呼ばせていただきます。そのsatoshiさんが、(User) Experienceにあてたのは、「おもてなし」でした。正確にはsatoshiさん自身が見つけたのではなく、satoshiさんのblogにnaotakeさんが残したコメントが発端ですが、そこにコメントしたのは、他ならぬsatoshiさんのおもてなしの結果であることを考えれば、satoshiさんには充分以上の功績があるでしょう。

しかし、重要なのは、誰が見つけたか、ということではありません。experience という、日本にはなくて輸入してくるしかなさそうなものが、じつはおもてなしという、日本が最もふんだんに持っている資源であることを見いだした、ということなのです。

日本のおもてなしにどれほどの国際競争力があるか、日本の人が知る機会が少ないのは大変もったいないことですが、トップクラスであることは私が保証します。私を信じられなければ、日本で「もてなされた」外国人をつかまえて聞いてみて下さい。わざわざ英語で言わなくても、日本語でかまいませんよ。

もてなしの場に、人は集まり、そして人が集まるところには、お金もおのずと集まります。

どうです?日本の将来が急に明るくなったような気がしませんか?

どれだけ持つかではなく、どれだけもてなすか。

それこそが、今年以降のあなたの価値を決め、私の価値を決め、そして日本の価値を決めるのです。

今年は、誰をどうやってもてなそうか。誰にどうやってもてなされるか。今からわくわくしています。

Dan the Man to Experience

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