私は今、好きを貫いて生きている。

弾言するだけの自身はないのだが、他者が私を見てそう断言するのを何度も耳にしてきた。

そのことに、なぜ私はうしろめたさを感じるのだろう。

以前私は、こんな文章を書いた。

これははてなに入った技術者の皆さんへの返答なのだが、なぜ私がこれを書いたかといえば、そこにある好きなを貫くのことに対する屈託のなさに耐えられない軽さを感じたからだ。

人は何時間働くと過労死するのか? - モチベーションは楽しさ創造から
だからこそ、自分の身を守るためにも「好きな仕事を貫かなければいけない。楽しい仕事をしていかなければならない」と思うのです。

しかし、誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事は現に存在する。私が好きを貫いて書評する本を届けてくれる宅配のおねーちゃんやおにーちゃんは好きを貫いているのだろうか。私が好きを貫いて買ったプリウスを作ってくれた人々は、みんながみんな好きを貫いているのだろうか。そして、私が好きを貫いて催した宴会のゴミを回収してくれる人々は好きを貫いているのだろうか。

「誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事」というのは、職種単位に留まらず作業単位でももちろんある。私にとってEncodeはそういう「仕事」だった。文字コードを処理するプログラムというのは、書いていて楽しいものとは言いがたい。重要なのはプログラミングスキルよりも、正確、というよりユーザーを納得させるマッピングデータを用意することであり、仕様に忠実でも利便性を考えて逸脱してもバグだと言われる世界である。

「誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事」というのは、「うまく行ったら褒められる」のではなく「うまく行かなかったら叱られる」仕事でもある。救急車は119番したら来て当たり前。医者はその患者を受け入れて当たり前。そしてこの二つを繋ぐ道は、そこにあって当たり前。

それだけでも辛いのに、こういった職業の多くはなぜか低賃金だ。「医者はそうではない」と言われるかも知れないが、それではなぜERの勤務医よりも美容外科医の方が羽振りがいい--ように見える--のだろう。

「自分の身を守るためにも好きな仕事を貫かなければいけない」、そうなのかも知れない。しかし誰もが自分の身を守るために好きを貫き出しても、明日ごみは回収されるのだろうか。市場経済論者であれば、「そうすれば『好きでない』仕事が供給不足になり、価格が上がるので報われる」と言うのかもしれない。それが本当なら、なぜ私から見ればどうやって好きになればいいのかわからず、実際に人手不足に悩んでいる職種が(比較的)低賃金のままなのだろうか。

わからない。わからないが、三つ確かなことがある。一つ、誰も好きになれない仕事というのは確かにあるのだということ。二つ、誰かがやらなければならない仕事というのは確かにあること。三つ、そういう仕事を片付ける人がいるからこそ、好きを貫いて生きていける人々が存在すること。

だからせめて彼らをねぎらいたいのだが、どうねぎらったらよいのだろう。賃金でねぎらい切れていないのは明らかだ。だからといって「褒める」というのとは違う。「褒める」というのは「できたらいいな」が「できた」時に行う行為だ。「できて当たり前」を褒められても、褒められた方は当惑するばかりだろう。

梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(後編):ITpro

ロールモデルの話をすると,Perlを作ったLarry Wallっていう人が僕のロールモデルです。

彼はもちろんエンジニアなんですけど,文章と講演がすごく面白いんです。歌って踊れるじゃないけど,面白い文章が書けて,面白いプレゼンテーションができて,プログラミングができる人になりたいと。

彼を一度目にした者であればだれにもその面白さがわかる Larry の知られざる側面に触れたのは、Encodeを開発したことがきっかけだった。私がEncode 1.0をリリースした時に、彼は私に一通のMailをくれたのだ。それは、日本語でこう締めくくられていた。

otsukaresama deshita! oyasumi nasai!

向こう百年、便所掃除を嬉々としてやっていけそうな気分になった一言だった。

私にも、いつの日かこういう風に言の葉を使えるようになる日が来るのだろうか。今は「出来て当たり前」がその時たまたま出来なかった人に怒るばかりの日日だ。我ながら度し難い。

好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。

ありがとう。

今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。

Dan the Lucky One


編集部より:今回の記事は,小飼弾氏のブログ404 Blog Not Foundより編集し転載させていただきました。本連載に関するコメントおよびTrackbackは、こちらでも受け付けております。