先日,日経新聞夕刊のコラムで吉田健一さん(1912-1977)の「旅の時間」という短編小説集が紹介されていた。そこに引用されていた文章がとてもいいので,会社帰りに書店に寄ったのだがあいにく売り切れていた。Amazonでも,楽天ブックスでも在庫切れだった。 筆者と同様,新聞のコラムを読んだ人が買ったのだろう。

 ここもないだろうと思いつつ,紀伊国屋BookWebで調べたら運よく残っていた。3日後に届いた本を読み始めてあぜんとした。とても読みにくい文章なのだ。

 例えば,最初の作品「飛行機の中」にはこんな文章がある。

「併しそれだけではなくて空中を凄まじい速度で飛びながら刻々の感じでは動揺もなくてどこか宙の一点に浮いているのも同様の飛行機の中というのは何か事件でもそのうちありそうなのとそこにそうしている間は事実全くの手持ち無沙汰であるのがどっちとも付かない一つの状態を生じてそのような時のために酒が作られたと考えるのも許される。」

 こうしてあらためて書き写して見ると理解できるのだが,平明で短い文章が好きな筆者には耐え難いくらい読みづらい文章だ。吉田さんは吉田茂元首相の長男で,外交官だった父とともに幼少年期をイギリスやフランスなどで過ごした。小学校はイギリスや中国の英国人学校に通い,大学はケンブリッジを中退している。その文章を読んで思ったのは,吉田さんの頭の中に浮かぶ文章はもともと英語で,それをその語順のまま日本語にするのではないか,ということだ。

 300ページほどの文庫本(講談社文芸文庫)なのだが,1300円もする。もったいないが,私はこの本を三分の一も読まないだろう。嫌いな文章を我慢して読むことほど苦痛なことはないからだ。 

 さて,本題に入る。これまで筆者は日本のネットワークは光ファイバ中心に考えるべきものだ,と思っていた。しかし,光ファイバよりワイヤレスに注目すべきだ,というのが今回のテーマだ。

光ファイバが適していたはずの日本

 日本が光ファイバを使うのに適しているのは,国土が狭く人口も電話局も稠密(ちゅうみつ)に分布しているからだ。日米のブロードバンド・ネットワークをどう構成すべきかをに対比した。

図●光ファイバか,ワイヤレスか?
図●光ファイバか,ワイヤレスか?
日本は稠密(ちゅうみつ)な人口分布と電話局分布のため,光ファイバが高速アクセスに適している,と思っていた。しかし,ワイヤレスの高速化と定額化によって常識はくつがえろうとしている。
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 日本では電話局から3キロメートル以内でユーザーの70%をカバーできるが,アメリカでは15%に過ぎない。5キロメートル以内では日本95%,アメリカ50%だ。日本では光ファイバを使って安いコストでユーザーをカバーできるが,米国では現実的ではない。そこで,WiMAXのように広い範囲(半径10キロメートル)を高速(最大70Mビット/秒)でカバーできるワイヤレスがオフィスや家庭のブロードバンド・アクセス回線として有力になる。

 だが,日本でも事情が変わってきた。3G(第3世代)ケータイでHSDPA(High Speed Downlink Packet Access)により,下り最大3.6Mビット/秒(技術的には14.4Mビット/秒),上り最大384kビット/秒のサービスが2006年に始まり,2007年3月にはイー・モバイルが定額サービスを始めた。高速のワイヤレス回線を24時間つなぎっぱなしで使っても月5000円程度で済むようになったのだ。筆者はイー・モバイルのデータ通信カードをノートPCで使っている。出張や客先でのプレゼンに持ち歩くためだ。まだサービスエリアは広くないが,条件のいい場所では常時下り2Mビット/秒以上,上り200kビット/秒以上程度の速度で使える。その快適な速さを経験して思った。「こんなに速いならモバイルで使わず,光ファイバやADSLの代替として固定通信で使えばいいじゃないか」。

 企業ネットワークでは今でも128kビット/秒以下のメタル回線がたくさん使われている。3Gデータ通信カードの速度で十分なオフィスはたくさんあるはずだ。

 さらに,2010年頃には3.9Gで100Mビット/秒という高速なサービスが予定されており,その先には4Gで1Gビット/秒という超高速なサービスも可能になるという。こうなるとBフレッツなどの現在の光アクセス回線とまったくそん色なくなる。もちろん,ワイヤレスには光ファイバほどの安定性はなく,電波状態や同一エリア内のユーザー数によって速度の変動はある。しかし,スピードが低下する時間帯があっても,もともとの速度が大きくなるので問題になることはほとんどないだろう。100Mビット/秒が10分の1になっても10Mビット/秒なのだ。3G定額データ通信サービスでワイヤレスは光ファイバやADSLと同様,固定ブロードバンドアクセスの有力な選択肢となった。さらに,3.9G,4Gとなれば光ファイバを凌駕(りょうが)するかも知れない。

 光ファイバを敷設するにはビルの壁に穴を開けたり,屋内の配線ルートを確保したりと,工事が大変なケースが多い。料金も高い。小規模なオフィスや店舗なら,ワイヤレスで済ませられるに越したことはない。ワイヤレスはモバイルで使うもの,という常識を捨てて固定通信でもどんどんワイヤレスを使うべきなのだ。

デュアルモード・ケータイ vs. フェムトセル

 もう一つ,筆者が最近のワイヤレスの動きで注目しているのがフェムトセルだ。フェムト(femto)は1000兆分の一を意味するが,ここでは「とても小さい」と理解すればいい。セルはケータイの基地局,つまりアンテナの電波がカバーする範囲のことだ。ビルの屋上などに設置された基地局は数100メートルから数キロメートルをカバーするのに対し,フェムトセルはオフィスや家庭に引き込まれた光ファイバやADSLに接続して使う超小型のケータイ基地局で,セルの大きさは数メートルだ。

 屋外でケータイ端末を使う時は通常の基地局に接続して通話やインターネット・アクセスに利用するが,屋内では端末は自動的にフェムトセルのアンテナに接続して屋外と同様に使うことが出来る。端末→フェムトセルのアンテナ→固定IP網→ケータイのコア・ネットワーク(またはインターネット)というつながりになる。

 ユーザーにとってフェムトセルのメリットは三つある。小さなセルを占有できるため高速なデータ通信が出来る,普通の基地局の電波が届きにくい高層階や地下でも使える,安価な通信料が期待できる,の3点だ。ワイヤレスは同一のセル内で同時に通信するユーザー数には限度があり,同時通信数が多ければデータ通信速度は遅くなる。フェムトセルではごく少数の端末で使うためその心配がない。光ファイバが来ていれば,高層階でも,地下でもアンテナを接続して使える。通話やデータ通信でケータイ事業者のアクセス網を使わないため,通話料やデータ通信料が割安になることが期待できる。フェムトセルのアンテナそのものも2万~3万円と安価だ。

 フェムトセルは3年前に登場した,無線LANとケータイの二つのモードを持ったデュアルモード・ケータイのライバルになる。デュアルモード・ケータイは通話品質の不安定さや無線LAN設備のコスト高などから普及するには至らなかった。昨年,通話品質や発熱の多さが改善された第2世代の端末が登場したが,企業ユーザーの反応はさほどではない。デュアルモード端末は屋外では通常のケータイだが,屋内では無線LAN経由でIP電話網に接続することで,内線電話に使ったり,安価なIP電話で外線通話に利用するのが狙いだった。ケータイと無線LANの切り替えはマニュアルだ。

 対して,フェムトセルは通常のシングルモードの端末が使え,屋外の基地局と屋内のフェムトセルの切り替えは自動だ。

 フェムトセルはNTTドコモとソフトバンクモバイルが2007年から2008年にかけてサービス開始することを表明している。両者の方式には大きな差異があるのだが,ここでは紙面に限りがあるので言及しない。いずれにしても,企業ユーザーはデュアルモード・ケータイの代替手段が目前に見えた以上,デュアルモードとフェムトセルの利害得失をよく比較して,どちらを導入するか検討すべきだ。

 ワイヤレスの世界は高速化,定額化,フェムトセルなどの新技術,WiMAXの認可と新サービスの登場など,光ファイバ・ベースの固定通信網より高度化・多様化が進む。そのトレンドと個々の技術・サービスの特徴をよく理解し,ワイヤレスらしい面白い活用方法を考えたいものだ。

ひきつけられた文章

 夕刊のコラムに引用されていた吉田健一さんの文章は「航海」という作品の中で贅沢な船旅をしている老人が言った言葉だ。

「夕方っていうのは寂しいんじゃなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠(こ)もっていて朝も昼もあった後の夕方なんだ。我々が年取るのが豊かな思いをすることなのと同じなんですよ,もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくてそこから得たものは併し皆ある。それでしまいにその光が消えても文句言うことはないじゃないですか。そのことだけでも,命にしがみ付いている必要がないだけでも爽やかなもんだ。」

 この文章にはやられてしまった。しかし,こんな悟りの境地になるのはまだまだごめんだ。

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