およそIT業界に身を置く者が口にしてはいけない言葉がある。私が思うに、「米国では・・・」「昔のIBMは・・・」「ソフトは見えないから」の三つだ。ちょっと考えただけでも、これらの言葉を口にするのは、ITのプロとしてとてつもなく恥ずかしいはずなのだが、IT業界の人は割と平気で口にする。多分、なぜカッコ悪いのかが分かっていないためだと思われるので、少し解説してみたい。

 「米国では・・・」と言う人を、世間は出羽守(“では”のかみ)と呼ぶ。「そもそも米国では」と知識をひけらかすだけでも相当恥ずかしいが、ITベンダーの経営者あたりが「米国のユーザー企業はIT投資を戦略的に行い・・・」なんてやった日には赤面ものだ。要は「日本のユーザー企業はまともなIT投資をしない」と言いたいわけだ。自分たちの提案力のなさを棚に上げて、「客がバカだから」と開き直るときに使う。実際にそうであっても、サプライサイドの立場では言ってはいけない。

 二つ目の「昔のIBMは・・・」は、最近流行の言い回しである。「昔のIBMは明確なビジョンを示したのに、今は普通の会社になった。寂しいことだ」などというフレーズで使う。皆がみんな、IBMのOBでもなかろうと思うのだが、やたら耳にする。こうした話をよく聞いてみると、なにもIBMの影響力が衰えたことを残念がっているわけではない。ビジネスの“導き手”がいなくなって途方に暮れていると言った方が、実態に近い。

 日本のコンピュータメーカーやITサービス会社はながらく、経営ビジョンの策定やマーケティングをIBMに“アウトソーシング”してきた。業界のガリバーにして、最強のビジョナリストのIBMが言ったこと、やったことを真似ていれば、それなりのビジネスができた。だから「打倒IBM」と威勢よく叫んだところで、二番煎じ、三番煎じに過ぎなかった。

 で、そのIBMが今や、いろんな理由でIT業界全体のビジョナリスト、マーケッターの地位を降りてしまった。それで困ったのが、日本のITベンダーである。“先生”がいなくなったから、ITベンダーはユーザー企業や投資家などに、IT投資の方向感や自らのビジネスの将来についてうまく説明できない。その結果、「昔のIBMは良かった」などという、ふやけた言葉が出てくる。先生がいなくなったのなら、自分で考えればいいはずなのに、それができない。

 「ソフトは見えないから」は、SIプロジェクトがうまくいかなかった時の常套文句だ。「ビルや橋を造る建設業と異なり、ソフト開発は見えないものをつくるから難しい」という話は何度聞いたか分からない。あまりに頻繁に聞くので、私も最近ではすっかり「そりゃ、そうだ」と思ってしまっていたが、これは全くの間違い。失敗の理由を自らの商品の属性に求めるようでは、プロ失格である。建設会社が建築中のビルを倒壊させた挙句、「高層ビルは高さがあるから難しい」とうそぶくようなものである。

 これらの恥ずかしい言葉は、ITベンダーの営業担当者も言うし、技術者も言う。しかし、つらつら思い返してみると、ITベンダーの経営者が最も頻繁に口にするような気がする。心当たりのある方は、部下が客先で口真似しないように、また株主や投資家からヒンシュクを買わないように、口にチャックを付けた方がよいだろう。