日本は農耕民族であり,同質性による統合度の高い“擦り合わせ国家”と言われています。しかし,擦り合わせ国家だから,独創的な人間がいないわけではありません。梅棹忠夫さんも言っているように,明治維新で西洋に追いつけ追い越せになる前の日本には,親鸞,空海,道元をはじめ独創的な人間が多かったそうです。独創的な人間が衝突しながら融合していくのが,擦り合わせなのです。

 翻(ひるがえ)って現状はどうでしょうか。グローバルスタンダードと言ったら飛びつき,今までの日本は間違っていると全否定してアッケラカンとしています。日本が得意とする優れている部分を卑下したり,得意だからこそ問題だと言ったり。同質性による統合度の高さを卑下して,妙に納得しています。

 小泉さんの米国追従型構造改革でも,ワンフレーズポリテックや二分法的思考--全てを白か黒か,善か悪かという二つのカテゴリーに当てはめ結論を導き出す--に国民やマスコミは簡単にやられました。ピーター・ドラッカーに「柔軟で美しい日本魂は何処に行ったのか!」なんて言われて,まっこと恥ずかしい。

 小泉さん竹中さんコンビは,構造改革の破壊パートにはうってつけでした。共通する資質は単純・軽率・高揚・浅知恵・へこまない・大衆人気。米国もブッシュ・ネオコンでドンドン単細胞になっていきました。21世紀は知識・知恵の時代と言われていましたが,その幕開けは全く逆の思慮の浅い時代となりました。マスコミ・ジャーナリズムもいい加減です。21世紀のパラダイム(規範秩序)が方向付けされるまでのカオスの時代が,今なのかも知れません。

 21世紀冒頭の流れを「日本型の否定→米国型への無条件賛美→日本型へのゆり戻し→ニューパラダイム」と仮定すると,今は日本型へのゆり戻しが始まった過渡期と考えることができます。「正→反→合」の弁証法的ステージアップです。ニューパラダイムでは日本型の良い所を包含し,高度化された理論が必要です。

 「何でもかんでも市場に任せようとする短絡的な市場競争原理主義は間違っているのかな?」と国民は気づき始めています。市場優先主義の基本ルールはフェアプレーの精神です。清濁合わせ飲んでばかりいる日本にそんなんありますか?

 日本型の帰属型組織のプラス面は,高い組織へのロイヤリティ,チームワーク,やり甲斐や仲間意識,ミドル現場への権限委譲による顧客接点での高い問題対応力などです。その結果として金銭インセンティブが低く,人件費は抑えやすかった。一方,そのコインの裏側であるマイナス面には,内向き志向,変化への抵抗,経営幹部や管理者は絶大なパワー,数珠つながりの権力者構造,上司に盲目的服従,出る杭は打て,嫉妬いじめなどがあります。

 そんな日本型組織のマイナス部分が,米国型短期収益主義と合体したら最悪です。日米とも,混乱の21世紀の幕開けを過ぎて,少し冷静になりつつあります。破壊型政治家から次は思索力のある大人の政治家にお願いしたかったのですが,さて…。