今回は,社内ユーザーの立場から見た情報システム部門を取り上げる。

 情報システム部門(以下,情シス部門)は,システム構築の中核的存在である。システム運用や保守に機能を特化させたケースもあるが,そもそも情シス部門は,SI(システム・インテグレータ)にシステム構築を依頼する場合の取りまとめ窓口であり,システムを自社開発する場合はそのプロジェクトの中心になるITプロフェッショナル集団だ。ここでは,情シス部門を本来の機能を備えた組織として捉える。

 ユーザー部門の立場からは,情シス部門に対して言いたいことが山ほどある。いろいろな問題も孕(はら)んでいる。システム構築を成功させるために,どうしてもそれらの問題を解決しなければならない。

周囲とのあつれきを生むコミュニケーション力の欠如

 まずユーザー部門から見た情シス部門の印象を,現場の声で列挙する。ここでは,第一線ユーザーの生々しく泥臭い意見にこだわる。なお,情シス部門の長所は後回しにして,あえて問題点だけに焦点を絞ることをご承知願いたい。

■A社の取締役工場長が情シス部門の担当役員に向かって,情シス部門の人間がよく遅刻すること,昨日も某君が遅刻したこと,挨拶もできないことを批判した。担当役員は答えた。「某君は優秀な男だ。彼らは毎晩遅いのだ」。工場長は反論した,「どの部署も夜が遅いが,必ず定刻に出勤する」。

■ある時,B社の製造課がシステム見直し会議を製造課会議室で開催した。情シス部門から出席した課長ら3名は,定刻10分過ぎても関係者が集まらないため引き上げた。緊急用件で遅刻した製造課長らが情シス部門の課長らへ再出席を懇願したが,「時間を無駄にできない」とにべもなかった。

■その実,ライン部門から情シス部門へ人事異動したある課長は,女子事務員によく言われる。「前任の課長は時間を持て余していましたよ」と。頭脳労働者だからキリキリ時間に追われる必要はないが,昔同様いまだに世俗から隔離された部屋で悠然としていることが多いようだ。

■会議の席上で情シス部門の係長同士が小声で話しているのを小耳に挟んだことがある,「ユーザーは思想や戦略がないから,思いつきでくる。まじめに相手をしていられないよ」。

■その延長線上にあるとも思われるが,ユーザーが日頃の仕事で困り果て,そこから何とか脱却しようとして,システム変更や,追加資料作成を情シス部門に依頼しても,まず断られる。確かに,システムの一部変更やローカルな要求に応えていると,他へ思わぬ影響が出るだろう。しかし,いかにも木で鼻をくくった断り方は,説明責任を果たしていない。

 いずれも「マイペース」,あるいは歪んだ「プライド」という深い根が張っているのだろう。

 基本的には考え方を改めてもらう必要があるが,共通する問題はコミュニケーション力の欠如ではないだろうか。その弊害はベンダーに対しても同じで,情シス部門はベンダーに対して,価格・納期・トラブル対応などで無謀な要求をする場合がある。ベンダーを理詰めで攻略する場面が少ないようだ。これも基本的には勉強が必要だが,やはりコミュニケーション力に欠けるのだろう。

 その一方で,情シス部門は全社を俯瞰(ふかん)できる立場にいるのに,経営を知らず,戦略部門でもないという批判がある。確かに不断の勉強を怠らず,戦略的思考とユーザーの視点を併せ持つ優れた情シス部門があることは筆者も認める。しかし,情シス部門自身が「我々は業務プロセス改革を提言し,企画・推進している」と考えているほどにはユーザーは考えていない,という調査結果もある(社団法人日本情報システム・ユーザー協会の「企業IT動向調査2004」)。筆者自身,この調査結果を否定できない場面に出会うことも少なくない。

 何でもIT導入すればいいというものではない。情シス部門は,時にはIT導入よりも業務プロセスの変更だけで目的を達成できることもあると,ユーザーに示すほどの戦略思考と度量を持つべきだ。ここでもユーザーの本音に迫るコミュニケーション力が求められる。

定期的な人事ローテーションがシステム部門の視野を広げる

 次に,情シス部門の人材育成とシステム構築への関わりの事例を紹介しよう。

 大手企業C社では,全社の情報システムを統括する情報システム本部長が「情シス部門は,ただシステム構築や情報提供をするだけでなく,例えば棚卸資産削減をユーザーにアクションするようにライン業務に絡め」という方針を打ち出した。各事業所の情シス部門は,本部長の指示に渋々従って行動を起こした。しかし人事査定権も利害関係もない情シス部門のアクションを,ユーザー部門が相手にするはずもなかった。

 C社の本部長の心配は分かる。情シス部門は,単なる“コンピュータ屋”と見られている。唯一,情シス部門として得をするのは,賞与査定のときだけだ。情シス部門は,常に大なり小なり何らかの改善テーマを持っているから,その成果を根拠に査定点を余計にもらうことができる。日常業務がうまくいって当たり前のユーザー部門とは違う。しかし,それ以外に情シス部門はいいところがない。視野が狭い,協調性に欠けるなどの理由で,会社人生を情シス部門だけで終わる場合が多い。キャリアパスは余りにも不明確だ。C社の本部長は,情シス部門のスタッフに多くの業務を経験させ,視野を広げ,つぶしのきく人間に育てようとしたのだろう。

 情シス部門のスタッフが「我々は黒衣に徹する」と言うのに対し,筆者はかつて「前面に出て経営改革に挑戦しろ」と諭したことがある。彼らはある意味,悟り過ぎているのかも知れない。

 企業によっては,情シス部門とユーザー部門との間で人材をローテーションしているところもある。例えばD社では,経理部長が管轄下の情シス部門とユーザー部門の人材を,部長権限で永年の間,定期的にローテーションしてきた。この結果,ユーザー部門の人材はコンピュータを,情シス部門の人材は業務を覚えた。情シス部門のシステムに対する考え方やユーザーに対する姿勢が格段に進歩し,情シス部門の人間は使い物にならないとは誰も言わなくなった。

 さて,以上から言えることは,情シス部門はマイペースを捨て,周囲に目を向けるべきである。歪んだプライドや特権意識を捨て,謙虚になるべきである。その上で,経営改革の視点を持ち,コミュニケーション力を身につけなければならない。そうするとユーザーやベンダーとの意思疎通が図れ,システム構築に貢献できる。

 そのためには,情シス部門自身の努力が欠かせない。物理的にも心理的にも閉鎖社会から出ることである。ドアをオープンにして多くのユーザーを迎え入れ,自分たちもユーザーを頻繁に訪ねるべきだ。そして自己に厳しく,不断の研鑽(けんさん)を積み重ねなければならない。

 一方,企業側も彼らを計画的にローテーションし,視野と経験を広げてやるべきである。そうすれば,情シス部門はユーザー業務に精通するようになり,システム構築にも効果がある。その一方で,情シス部門のスタッフの将来も確実に開けるだろう。ただし現状では,情シス部門とユーザー部門との間で定期的なローテーションを実施している企業は,わずか4.1%に過ぎないという調査結果もある(日経コンピュータ2005年1月24日号「本邦初!システム部門/部長実態調査」)。ローテーションは経営幹部の英断を必要とする。