前回,前々回は「提案」をテーマにしました。ここでいう提案とはコンサルティングセールスの提案で,相手のニーズ,ウォンツを徹底的に調査し,顕在化している要望だけでなく,潜在化している要望にも訴求するためのものを指します。

 ここで説明した情報収集テクニックや説得的会話術は,実際のビジネス現場で使っているものです。ぜひ,多くの方に身に付けていtだきたいと思います。

新しいメンバーの加入

 その後,販社との関係は非常に良好になってきました。我々は競争している他のメーカーに先んじるため,販社の2人の窓口担当者---営業担当の戸塚氏,システム担当の東氏のニーズ,ウォンツを徹底的に収集し,提案に反映させるように行動していたからです。

 情報収集にはマンツーマン方式を採用しました。すなわち,戸塚氏には当社の営業企画課長が張り付き,システム担当の東氏を私が担当,電話で東氏の要望を聞きだしたり,悩みを聞きながら,先方の人間関係,上司との関係などの情報を収集しました。

 このような活動が功を奏し,当社は販社に商品を卸せる可能性が高くなり,いよいよ先方が要望するシステムサポートのカスタマイズを詳細設計する段階になりました。

 しかし,問題がありました。今の我々の体制(私,岡田,坂本)の3人では人手が足りなかったのです。

 そこで,新たに2名,増員することにしました。一人は小島という,私たちよりもだいぶ若い社員です。彼は入社以来,システム開発部で数年間SEとして仕事をしていました。まだ若く経験も少ないので,今回は作業担当者として我々の指示する仕事をこなしながら,徐々に企画やプロジェクト管理の仕事を覚えてもらうことにしました。

 もう一人は,藤井という男です。藤井は坂本の1年下で,開発部ではシステム開発担当者,ミドルマネージメントとして十分な実績を残していた人材です。ただし,ポテンシャルは高いが,仕事にムラがあるという評価でした。

 藤井の評判をシステム開発部の管理者層や中堅層に聞いてみると,「仕事を任せていると,変なところでポカをする」,「若いのに管理者的な大きな視点を持っている。これは素晴らしいものの,細かいことは苦手。もったいない」,「文章や会話は苦手で,何を表現しているのか分かりにくい」,「気が強く,責任感も強いので,自分の考えと違うことがあれば,上司や先輩にも平気で反論する」というものでした。

 私は,この新しい2人を誰の部下にするかを考えました。そして,岡田の下に小島を,坂本の下に藤井を配置することにしました。岡田は前の所属では何人も部下を持って,指導・育成していたので,今回のメンバー加入で特に気にすることはなかったのです。

 しかし,坂本は,実はいままで一人の部下をもったこともなく,今回,部下を持たせることにしました。坂本くらいの経験年数なら,当社ではとっくに部下を持つはずなのですが,彼の今までの経緯から,開発部の管理職が部下を配置せず,結果として彼は部下を持ったことがなかったのでした。

 そこで,彼のキャリアアップの一つの通過点として,部下育成や部下マネージメントを学んでほしいと思ったのです。坂本は今回“初めて部下を持つ人”になるわけです。

 私は,このことを岡田と坂本に伝えました。

2つの泥沼

 藤井と小島が着任して数週間が経過するにつれ,問題が明らかになってきました。坂本と藤井の関係が上手くいっていないことと,坂本に指示する仕事のパフォーマンスが以前より悪くなってきたことです。

 本来,坂本の仕事は確かなものです。指示した内容を深く調査し,仮説とともに実証に向かう・・・さらに,坂本の仕事のスピードは速く,私も,岡田も情報システム部長も認めるところでした。

 それが,藤井が来てから,見るものがなくなってきたのです。私は,「やはり」と思い,良い機会なので,坂本を呼んで話を聴くことにしました。

芦屋: 坂本,最近仕事遅いよ。どうしたの?お前らしくないじゃないか?

坂本: 私というよりも,藤井ですね。彼にいろいろやらせているんですけど,まだまだ駄目ですね。もっと仕事覚えてもらわないと。

芦屋: 坂本,藤井のパフォーマンスの話をしてないよ。僕が言っているのは君のパフォーマンス。以前よりも悪い。これが問題だといっているんだよ。

坂本: それはしょうがないでしょう。藤井に仕事させなくてはならないし・・・

芦屋: 僕が指示した仕事をそのまま藤井におろしているだけじゃないのか?そうなら,藤井に投げた分,君は時間があいているのだろう?その時間は何をしているのか?

坂本: そんなこと言われても,まず,藤井にやってもらって覚えてもらわないことには始まらないでしょう。

芦屋: それでは,君が成長しない。君がまず仕事を受けて,君が考えるんだ。そして,その一部を藤井に任せるようにしないと駄目だ。

坂本: そんなことしたら,僕はパンクしますよ。自分でやった方が早いし,楽なのに,なんで分からない藤井にまで教えなくてはならないんですか?そんなの面倒ですよ。そんなの良いことはないですよ。だったら,部下なんか要らないし,一人の方がいいです。

芦屋: ・・・坂本,お前の言うことはある意味正しい。お前がいつまでも今のポジションなら,それが合理的な考えだよな。

坂本: ・・・いつまでも今のポジション,とはどういうことですか?

芦屋: 上にあがらず,今の範囲で仕事をしていくということだよ。当然,それはそれでいいと思う。そのかわり,マネージメント,リーダーシップに優れた下に追い越されていくことは覚悟しろ。それが現実だ。

坂本: ・・・

芦屋: 嫌か?なあ,お前の考えも分かるよ。自分の仕事だけで大変なのに,部下の世話は大変だよな。でもな,部下を付けて,お前のパフォーマンスが下がるんだったら,組織的には良い事がない。分かるか?

坂本: 組織的に良い事がない?

芦屋: そう。お前の考えだと,人を増やせば増やすほど,パフォーマンスが下がる。それでは困るんだよ。

坂本: だったら,部下は要らない。今のままの方がパフォーマンスがマンス上がるじゃないですか?

芦屋: その考えでは,組織力が上がっていかない。組織は人の数がものを言う部分が多い。多人数の仕事を分け,マネージメントする。リーダーやマネージャーが,組織の人間に横串を指し,育てながら,パフォーマンスが落ちないようにする。君の考え---人が増えると面倒だから,人は要らない---では,多人数の組織を率いることはできない・・・大きな仕事はできないよ。その考えでは,リーダにもなれないし,管理職としても上がれない。一生,担当者か,専任職の道を選ぶしかない。それでいいなら,もう,君に教えることはないから,よく考えて答えを出してくれればいい。

坂本: そんなこと言われても・・・

芦屋: もちろん,担当者や専任職の道が悪いと言っているのではない。それは,人の好みだし,リーダーやマネージャーとは違う楽しさもある。だから,どんな道を進むかは君が考えたらいい。

坂本: それは,リーダーやマネージャーをしたいですけど・・・人をたくさん束ねて,難しい,新しい仕事を皆と一緒にしたいですよ。それも,できればリーダーやマネージャーとして・・・そうしたいですよ。

芦屋: そうか,なら,もう少し話しをしよう・・・いいか?

坂本: ・・・ええ

 私は坂本に部下を持たせることを決めたときから,坂本とこんな会話をすることになると予想していました。なぜなら,初めて部下を持つとき,多くの人が坂本と同じような反応をするからです。

 部下ができた人が陥りやすい問題はたくさんあります。多いのは以下の2つの例です。

(1)「下ができて楽になった」と仕事を丸投げして自分が楽をするようになるケース (2) 自分の仕事に加え,部下を指導する時間が増え大変になるケース

 前者は,そのうち能力が頭打ちになり,駄目な管理職になっていきます。そして後者は,忙しさのあまり余裕をなくし,部下に攻撃的になって,最後は人間関係に支障をきたすようになります。どっちにしても何もしなければ泥沼化するのです。

 では,どうすればよいのか。これについては,次回以降に説明します。


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