「社員やステークホルーダーが、私と違う考えなら代わりの人に・・・」。富士通の黒川博昭社長は07年6月8日の経営方針説明会で、業績回復に向けた構造改革や意識改革を強い決意で進めることを改めて語った。

 今回打ち出した目標は、営業利益率5%。売上高は5兆円から5兆5000億円を見込むため、営業利益は2500億円から2750億円になる計算だ。実現すれば、03年6月の社長就任の翌年に掲げた営業利益3000億円に一歩、近づくことになる。

 その一方で、「5%なんて無理。今の業績(06年度に3.6%)でも悪くはない」と安心しきっている社員がいるのも事実。ようやく“普通の会社”になったところなのに、役員や幹部社員に危機意識の薄さがあり、構造改革などが期待した以上に進展していないことへの苛立ちも、冒頭の発言から垣間見える。

 社長就任時、黒川社長は「プラットフォームの元気が富士通再生の要」とし、ソフト・サービス事業に振りすぎた事業構造の見直しを指示した。その中で打ち出したのが“製販一体策”である。なにも製販を一体にすることが目的ではない。マーケットが求めるいい商品を出すことにある。「ユーザーが喜んでつかってくれる商品を、他社に先んじて開発しろ」と黒川社長は繰り返し発破を掛けてきた。

 ところが、人材を含めたリソースをどう活かすのか、どこにフォーカスするのかの議論を重ねてきたが、成果がなかなか出ない。「小さな商品は出たが、市場をリードするものが出てこなかった」(黒川社長)。既存事業を強くし、新しい事業を創出するとしたが、サーバーもストレージもソフトもデバイスもヒット商品が生まれないのだ。

 その最たるものがサーバー事業だろう。サーバーは決して単体ビジネスではない。サーバーが1台売れれば、その4~5倍のビジネスが成り立つ。だからこそ、プラットフォーム事業を構造改革の先頭に位置付けた。だが、サーバーの種類が増えただけで、単体ビジネスにとどまってしまった。

 その問題を解決するために06年夏からは、どこに重点を置くのかの議論を始めたものの、「途中から報告会議になった」(黒川社長)。そこで、期の途中にもかかわらず今年早々、事業責任者をこれまでのサーバー事業にしがらみのない役員に代えた。改革のスピードを上げるための決意表明である。

 ヒット商品が出てこないことは黒川社長の責任だし、当人もそれは自覚しているだろう。黒川社長は、「04年から06年で企業体質は改善できたし、顧客起点の考えは定着してきた。が、構造に手を付けられなかった」と話す。なぜか。「01年、02年、03年は袋叩きにあい、社員の意気も消沈していた」(黒川社長)。成果主義や赤字に転落したことが話題になり、「着実によくすることに焦点を絞った」(同)からだ。

富士通は挑戦者だ

 黒川社長は富士通の立て直しを最優先したということだ。生産現場に対しても、生産性向上を図るためにトヨタ生産方式導入などの重要性を繰り返し訴えた。それでも、黒川社長の思いがじわじわ浸透し、成果を上げてきた部門も出てきた。不採算案件を抱えていたサービス事業も成長起動に乗り始めたし、海外事業の道筋も見えてきたという。

 結果、悪いものを抱えながらも、営業利益1800億円の力はついた。黒川社長は、「これなら思い切ったことをやっても、富士通は潰れない」と、本格的な構造改革をトップダウンで推し進める考えを見せる。「いい事業はさらに伸ばし、弱い事業も自分のキャッシュフロー内で対策を考えろ」と指示する。「07年度で変えられれば、富士通は急激によくなる」(黒川社長)。

 もちろん富士通には、課題がまだまだ山積している。例えば、富士通単体の営業利益はわずか88億円で、連結との比率は1対20にもなる。6円の年間配当なら、配当金は124億円になる。単独で利益を出す構造を築くことも欠かせない。だから、黒川社長は闘う富士通に変える強い意思を持つ。「富士通は挑戦者で、闘う意欲を失ったら終わりだ」とし、自らプロジェクトリーダーになり、営業とSEの一体化など様々な改革を実行してきた。

 IT産業のリーダーであるIBMやHP(ヒューレット・パッカード)は今、全力疾走している。富士通は、それ以上のスピードで変わらなければならない。IBMやHPと伍して戦うための、黒川社長の次の一手が注目される。黒川社長を“裸の王様”にしてはいけない。

※)本コラムは日経コンピュータ07年7月9日号「田中克己の眼」に加筆したものです。