1970年11月に入ると,4004 CPUのレイアウト・チェックが終了し,マスク原図の作成を開始したと連絡が入った。設計開始からわずか8カ月で,全てのLSIの設計が完了した。4003 SRと4001 ROMは1回目の試作ウェーハで正常動作が確認されており,4002 RAMもマスクの原図をカットする工程にあった。後は,時間だけの問題となった。

 しかし,4004 CPUに関する吉報はなかなか日本に伝わってこなかった。私はプリンタ付き電卓の試作機やプログラムの設計に没頭しつつも,落ち着かない日々が続いた。

 1971年1月に4004 CPUの最初のウェーハ(Aステップ)が完成した。ところが,今でも信じられないが,4004 CPUの最初のウェーハは拡散層とポリシリコン層をつなぐBuried Contact層が欠落していたため失敗した。1回目の試作は見逃しの三振だった。同月に,最初のデバッグ可能なウェーハが完成したが,汎用レジスタ・モジュール内のアドレス・ドライバ回路のレイアウトにちょっとした不注意による間違いがあった。

1971年3月にやっと,4004 CPUの動作サンプルが出来上がった。テスターの準備が整わなかったため,タイミング回路とシステムバスが動作しているチップをパッケージに入れた4004 CPUがビジコンへ出荷された。

 4004シリーズLSIの誕生は下記のようになった。

  • 4001(ROM) 1970年10月
  • 4003(SR) 1970年10月
  • 4002(RAM) 1970年11月
  • 4004(CPU) 1971年3月
 最終的に,4004 CPUのチップ・サイズは 3mm × 4mm となった。CPUのトランジスタ数は2,237となった。4004シリーズは,2相のクロックを使って,750KHzの動作周波数で正常に動作した。消費電力は最大600mWだった。したがって,パッケージには,熱発散の効率に優れている金色の蓋が付いたセラミック・パッケージを使用した。「8080開発物語」の時に述べるが,パッケージの許容消費電力からくる制限で動作周波数や使用トランジスタ数が決められることもある。命令は8または16クロックを使い,平均で0.06MIPS(Million Per Second)の性能を達成した。

 1968年秋に開始したプロジェクト“電卓にも使える汎用LSI”が,2年有余を経て成功裏に完了した。さー,いよいよ,私の本当の仕事であるプリンタ付き電卓の開発の本番が始まった(次回に続く)。


図1 世界初のマイクロプロセッサ4004 CPUのチップ写真(マウスオーバーするとコメントが入ります)


図2 4004 CPUの拡散層


図3 4004 CPUのBuriedコンタクト層


図4 4004 CPUのポリシリコン層


図5 4004 CPUのコンタクト層


図6 4004 CPUのメタル層