天才数学者ガロアは21才のとき,女性問題が原因で決闘し,死んだと言われています。彼の数学の業績は時代を超越し過ぎていて,死後15年経ってやっと時代が彼に追いつき,世界は彼の業績を理解できたのです。ガロア理論は現代数学に繋がる群論や体論という抽象代数学と言われるもので,相対性理論や量子力学を含め,現代科学の多くの分野における数学的基礎体系を構成しています。しかし,彼が生きていた間は全く評価されることはなかったのです。

 ガロアは自分の天才的頭脳を知っていたでしょうか?人は世界を切り取って自分の脳に射影し,「自分の認知世界」を構築します。その認知世界こそが,彼にとっての世界の実体です。この認知世界に自分の脳はありませんから,頭が良いとか悪いとかを自分で感じることはできません。頭の良し悪しは,他の人との比較でわかることです。

 彼は高校生の時,大学数学科の学生が2年間で履修する幾何学の教科書を,たった2日で完全に理解読破しました。弱冠17歳で代数方程式に関する論文を書き,その研究論文をコーシー(ドイツの数学者ガウスになぞらえて“フランスのガウス”と呼ばれる,今でも著名な数学者)に,学士院へ提出するように頼みましたが,コーシーがそれを紛失してしまう不運に見舞われます。

天才のほとんどはアンバランス

 そんな天才的頭脳は,エコール・ポリテクニック(フランス最難関の理工科大学)受験で,口頭試問の数学教官に黒板消しを投げつけて不合格になってしまいます。彼は何故,黒板消しを投げつけるという蛮行に及んだのでしょう。ガロアはおそらく,自分の飛び抜けた天才的優秀性を知らなかったのでしょう。

 天才ガロアにとっては,エコール・ポリテクニックの口頭試問も,大学生が小学生の教官から口頭試問を受けているようなものです。最難関の理工科大学の口頭試問だと思っていたら,「3+5はいくつ?」と質問された。だから,教官が人を小ばかにした問題を出し,自分という人間の尊厳を無視し侮辱した,と憤りを感じたのです。天才に腹を立ててもしょうがありません。見えている世界(認知世界)が全く違いますから。

 でも,彼の飛びぬけた頭脳は,数学を通してだけのものです。物理と化学では「少しも勉強しない」と酷評されています。もっと広い意味での人間力では,ガロアは凡人でまだ小僧です。アンバランスなんです。だから黒板消しを投げつけたのです。天才のほとんどはアンバランスです。

 天才や超人は,環境変化に備えて種が生き延びる個体を残すための突然変異として生まれる,大きな生命摂理での自然現象です。このため,天才の多くは現状の環境に適合できず,障害者と呼ばれます。つまり,天才も障害者も同じ役割を担って生まれてくるのです。ですから我々は障害者の方々に感謝し,手厚いサポートをしなくてはなりません。

 天才の多くは,生まれながら脳の障害を持っており,外界からの刺激に反応して脳が変化していく「脳の可塑性」により,ある部分が集中的に発達して,出現するとも言われていてます。バリー・レビンソン監督の映画「レインマン」では,ダスティ・ホフマン演じる自閉症患者が,床にばらまかれた楊枝の数を一瞬のうちに246本と数えてみせました。アンバランスですが,並外れた記憶力を持つ天才です。アインシュタインもゲーテもダビンチもエジソンも,うつ病も含めれば,ニュートンもチャーチルもユングも,そうしたアンバランスな面を抱えていました。

 何か尖っているものを持っている人間を,社会が認める風土。その部分で圧倒的に日本は弱い。アンバランスや異端・異能を認める社会の許容性包容力。自分達の社会が伸びていく戦略でもあるのですが,まだまだ日本は凡庸な人間を評価する協調的社会です。だからこそ,得意なことに集中する「得手に帆を上げて」で行くべきなんです。不得意なこと嫌いなことは捨てましょう。集中と選択です。アンバランスを怖れることなかれです。バランス感覚に溢れる人間ばかりでは,面白くもありませんから。