写真●セミナー会場の明治記念館
写真●セミナー会場の明治記念館
正面が本館(憲法記念館)。
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 いささか古い話だが,5月31日に明治記念館で講演した。ここでこの時期に講演するのは3年連続3回目だ。低層の和風建築と広い芝生の庭が調和していて,見ているだけで気持ちが落ち着く。初夏の好天に恵まれて芝生や木々の緑がいっそう鮮やかだった。

 セミナーの通しタイトルは「次世代インターネット vs.NGN」。スピーカーは,基調講演がインターネットの代表としてインターネットイニシアティブ(IIJ)の鈴木幸一社長,キャリア代表として英BTのヨン・キム副社長,最後が企業ユーザー代表として筆者だった。

 キムさんの講演は4月の京都研究会で聴いたことがあったが,鈴木社長の講演を聴くのは初めてだった。内容もそうだが,その講演スタイルというのか,「境地」と言えばいいのか,それが筆者と全然違うのに驚いた。スライドなど使わないし,時間も自在なのだ。筆者は2時間話したのだが,2時間なら50枚程度スライドを準備しようと考える。1時間なら30枚程度だ。2時間の講演予定なら,ちょうど2時間話そうとする。鈴木社長は70分の予定だったが,20分くらい前に話を終えて質問タイムに切り替えた。

 スライドを用意しなくちゃとか,時間いっぱい話そうなんて考えているのは,まだまだ駆け出しかも知れないと,変に感心した。

 今回はこの講演会から,二つの話題について書こうと思う。

「加入者」と「お客様」の違い

 実は鈴木社長の講演は講演そのものより,ご自身が書いた講演の紹介文が筆者にとっては勉強になった。これまで気づかなかったことに気づかせてくれたのだ。その一部を引用しよう。「電話のために作られた通信インフラ上で発展してきたIPの世界が,いまやIPを前提としたインフラへと作り変えられつつあります。インターネットは,コンテンツ・網・物理的インフラといった従来の垂直的なモデルを壊し,網のレイヤーだけは,IPベースに収斂(しゅうれん)させていくといった,従来の通信や放送のモデルにはない形を提示しています。事業構造そのものを破壊しうる技術革新という意味では,きわめて広がりのあるイノベーションです。(中略)サプライヤーが利用を規定しても,カスタマーが利用法すら変えて,次の技術革新につなげていくという,あまり経験したことがない発展形態をインターネットは取り続けています」

 まず冒頭の文章。電話のためのインフラ上で発展してきたIPが,NGNでインフラをIPに変えさせようとしている。ネットワークの世界で下剋上(げこくじょう)が起こっているのだなあ,と思った。100年以上に渡って世界各国で電話網をやってきたのは「お上」だった。そのお上が作ったネットワークを自由闊達(かったつ)な民のネットワークが,大きく変えようとしているのだ。回線交換網をIP網が駆逐する。技術的には下剋上が成し遂げられるのは間違いない。問題は非技術的な面で,下剋上が起きるかどうかだ。

 インターネットとキャリア網の非技術的な違いを鈴木氏の文章の後半に発見した。「カスタマー」という言葉だ。インターネットの人は「加入者」と呼ばず,カスタマーと言うのだと気づいた。そしてこれまで気にとめたこともなかった加入者の意味を調べてみた。

 加入者はもともと日本語ではなく,Subscriberの訳語だ。Subscriberとは,「何かに賛同して,寄付する人」というのがそもそもの意味だ。つまり,電話の加入者とは電話網構築に賛同し,資金を出す人,ということになる。今でもNTT東西の電話を引くには施設設置負担金(3万7800円)を払わねばならない。施設設置負担金がないプランもあるが,それは毎月の基本料金が高い。設備資金を一括で負担するか,毎月負担するかの違いだけだ。つまり,通信事業者にとって加入者はCustomer(お得意様,顧客)以上に,ありがたい存在なのだ。利用料だけでなく,設備資金まで払ってくれるからだ。しかし,「加入者」という訳語にそんなニュアンスはまったく感じられない。

 対して,鈴木氏はカスタマーと呼ぶ。IIJのWebでは「お客様」となっていた。インターネットサービスプロバイダーには設備資金を直接利用者に負担させようなどという考えはもとからない。Subscriberなどありえないのだ。

 NGNの大きな目的の一つはIP化で電話網,携帯網,データ網の設備を統合し,投資コストや運用コストを大幅に減らすことだ。とすればインターネットと同様に加入者に設備資金を直接的に負担させるという文化はなくなり,「お客様」と呼ぶようになるのだろうか。そうなったとき,非技術的な面でも下剋上が成ったと言えるだろう。

インターネットのエネルギーを取り込む三つの方針

 筆者の講演の主題は「さよなら,マイクロソフト」だった。内容は前回のコラムで紹介したコンバインド・コミュニケーション(CC)だ。CCはオープン指向なので使用するコンポーネントは特定しないのだが,基本コンポーネントとしてWebOSのStartForceを用意している。筆者がインターネットのエネルギーを取り込む方針は,コンシューマーの世界のいいものを企業に積極的に取り込む,企業ユーザーにとってメリットのある使い方を提案する,アッという間にやる,の三つだ。

 ITの世界はパソコン,インターネット,ケータイの三種の神器のおかげですっかりコンシューマーが主役になり,かつて主役だった企業のシステム部門は脇役になってしまった。たとえばケータイの売上は9割以上がコンシューマーなので,ケータイ業者は企業向けのTVコマーシャルなどしないし,企業を個別訪問して売ることもほとんどない。

 優れたプログラムを作るのも,もはやシステム部門の人とは限らなくなった。Webサービスはじめ,Web2.0の技術を使ったソフトウエアの優秀さを競う,Mashup Award 2nd(サン・マイクロシステムズ主催)の最優秀作品には並み居るプロを抑えて,アマチュアである北海道庁の職員がわずか10日で開発した「出張JAWS」が選ばれた。ソフトウエアでプロとアマの境界はなくなってしまったのだ。

 企業ユーザーは「コンシューマー向けだから」とか,「アマチュアに毛が生えた程度のベンチャーが作ったものだから」などと間違った先入観を持っていては大きな損失をこうむることになる。コンシューマーの世界の優れたものを積極的に取り込むべきなのだ。

 ただ,取り込むといっても右から左に持ってくるのでなく,企業で使うためのアイデアが必要だ。StartForceはもとともとコンシューマーを対象に考えられたものだった。CEOのJinさんに初めて会ったとき,私は言った。「StartForceの仕組みは大企業で使ってこそ面白い。ロケーションフリーなシンクライアントが実現できるし,ワープロや表計算の機能が向上すれば,さよならマイクロソフトも可能だ。しかし,大企業はインターネット上のStartForceを使うことは出来ない。サーバーに保存した社内情報を外部の人と共有すると,簡単に情報漏えいが起こるからだ。StartForceのソフトを私に提供してくれれば,イントラネット上にサーバーを置いてセキュアなStartForceの利用を大企業に提案する」。

 実際,筆者が金融系のお客様にStartForceを紹介したところ,Webフィルタでアクセスが禁止されているので試せなかったという。Jinさんは私の話をすぐ理解してくれ,賛成してくれた。大企業はワンタイム・パスワードやICカードを使ったセキュリティの高いユーザー認証を要求することが多い。そんな個別ニーズへの対応はコンシューマー相手のビジネスモデルしか考えていないJinさんの会社では出来ない。インターネット上のStartForceサーバーをイントラネット内に持ってくるという単純なアイデアだが,それだけで企業にメリットを提供することが出来る。

 初めてJinさんに会ってわずか1カ月半後の6月4日,筆者とJinさんは契約書にサインした。いいと思ったことはアッという間にやるべきだ。コンバインド・コミュニケーションの中で,StartForceの利用シーンは多様なものが考えられる。企業の方々と会話し,そのニーズを吸収している最中だ。

講演への感想

 明治記念館の講演が終わり,1週間ほどして事務局からアンケートをまとめたものが届いた。私の講演については数名の方がコメントを書いてくれていた。その中で読んで嬉しかったのは,この二つだ。

 「都合で30分しか聞けなかったが,わくわくする話であった」
 「松田さんのエネルギーに圧倒されました」

 聴いている人が面白がってくれ,ワクワクしてくれなければ講演する方もつまらない。エネルギーで圧倒してしまったのは,その方にとって良かったかどうか分からないが,筆者としてはウンウン,ヨシヨシ,まだまだパワーがある,と嬉しくなった。

■変更履歴
初出でNTT東西の施設設置負担金を「7万5600円」としていましたが,正しくは「3万7800円」でした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2007/06/26 16:50]