前回は,顧客行動のプロファイリングをしました。顧客担当者やビジネスパートナーなどの「交渉相手」の性格,嗜好情報を収集し,「相手がどのような主張をするのかを事前に把握することが重要」ということを説明しました。

 さて,今回は客先に岡田を連れて行き,私と先方担当者のやり取りを見せ,聞かせることにしました。本当は,岡田にも先方と会話してほしいと思ったのですが,彼の物怖じする性格では,いきなりは無理だと思ったので,私の横で議事を記録させることにしました。

 販社との打ち合わせは,ほぼ定期的に行っていました。毎回テーマを決めて当方の考えるシステム仕様を説明,先方から意見を聞き,要件を確定するようにしていました。繰り返しになりますが,特殊製品メーカーである我々は,大型販社と商品供給提携を進めていました。先方販社は非常に強力で,我々は多くのメーカーの単なる一社だったので,立場が弱く,先方の要請,要望は非常に高いプレッシャとなります。

 しかし,何でも要望通りに対応するわけにはいきません。対応するコストの問題もあるのですが,もっと考えなくてはならないのは「要望自体の整合性」です。

 「Webベースのシステムにおいて,便利な入力サポート機能がたくさんほしい。セキュリティは万全,レスポンスはできるだけ早く,モバイル環境でも自宅からでもアクセスできて・・・」みたいなことをすべて実現するのは相当厳しい・・・なぜなら,単体要望では分かるのですが,すべてを要望としてシステム要求された場合に「要望間の整合性が崩れる」ことになるからです。

 何の要望を優先するのかによるのですが,企業をまたがるような広域なWebアプリで,セキュリティを重視するなら,シン・クライアントにして,クライアントにはソフトは入れないようにしておくべきでしょう。そうなれば,入力画面や入力サポート機能はどうしてもシンプルになってしまいます。

 相手がたくさん要望しても,要望同士の関係に矛盾があればシステムは成り立ちません。つまり,要望同士がトレードオフの関係になることを上手く相手に説明しなければならないのです。

 こんな場合の「言い方」が勝負の分け目になります。言い方を間違えてしまえば「商売っ気のない会社」と言われ,上手い言い方をすれば「しっかりした役に立つ会社」と評価されるのです。こんなことを私は岡田に感じてほしいと思っていました。

 販社は,強気で向上心が強い営業企画部門の戸塚氏,堅実で真面目なシステム部門の東氏が参加し,この2人に私を含めた提携チームが説明をしていました。

芦屋:(販社向けのシステム仕様の説明を一通り終えて)・・・というわけです。貴方の店舗のセールス担当者さまが使いやすいシステム操作性を実現できるようにしております。実際の導入につきましては,ここにいる岡田が担当させていただきます。

戸塚:質問いいかな・・・御社の商品少し複雑じゃない?だから誰でも売れるような仕掛けをシステムに入れ込むようにしてくれないかな?

芦屋:なるほど,でも,具体的にどんな仕掛けを考えておられます?

戸塚:それは,御社で考えてほしいな。そういうのあるとうちでは画期的なんだよね。

芦屋:なるほど,今はないということでよろしいですか?そういうのがあると,売上に貢献するからということですね。

戸塚:そう。理解してるじゃない,芦屋さん。

芦屋:なるほど,実はですね。そういうの,昔やったことあるんです。店頭の保険コンサルサポート機能だったんですよ。話法をデータベース化して,お客さまとの応対に応じて最適な会話を画面出力するんです。事前に「自分でセールス」して考えましたよ。

戸塚:うんうん,それはいいな。で,どんな感じだったの?

芦屋:アイデアはよかったんですよ。もう,最高のツールって感じだったんですよ。自分では・・・

戸塚:そうだよね。で,成果は?

芦屋:うーん。駄目でした・・・

戸塚:駄目?なんで?

芦屋:いくつかあるんですけど・・・一つは「セールスの人って自分のやり方がある」ということですね。機械から指示された話法なんか馬鹿にしちゃって・・・

戸塚:そりゃ,そうかもな。なるほど。

芦屋:二つ目は・・・操作が邪魔なんですよ・・・お客さまの顔を見ながらシステム操作ができないんです。接客型セールスは間が大事なんです。システム操作していて,客の顔を見れないと心が通じない・・・これは,多くのセールス担当者が言いますね。

戸塚:なるほど。そういわれれば・・・そうか。

芦屋:もう一つは・・・これは細かいんですけど・・・

戸塚:もう,いいや。システムとセールスの画期的な関係みたいなものは厳しいことはわかったよ。まあ,そう説明してもらえると,いちいちそうだと思うけどね。

東:そんな面倒な機能はいいですわ。それよりも,今度は私からいくつかあるんですけど・・・

芦屋:はい,なんでもどうぞ。

東:今回のシステムでは入力サポート機能を充実させてほしいんですわ。支店のセールス担当はこの商品に慣れてないから,機械操作が分からなくて混乱するとややこしいことになるんですわ。前も他のメーカーさんの商品入れたとき,システム操作が分からず私のところに電話かかってきて,文句ばっかりですわ。本当に困りますわ。

芦屋:それなら,今のままでもシンプルで覚えやすいですよ。

東:いや,もっと多くの機能をつけてほしいんですわ。便利なほうが現場がよろこびますわ。あと,ヘルプやガイダンスを詳細に用意してほしいんですわ。あと,セキュリティもよろしく頼みます。監督局のガイドラインで,スクリプト言語を使うのは厳しいみたいですわ。悪意のあるヤツに変なスクリプトを動かされるリスクがありますから。それと,当然ながら,操作はシンプルにして,画面遷移は極力少なくして下さいよ。セールスが操作覚えられないから。あと,レスポンスもよろしく。遅いと使ってくれませんわ。それと・・・

芦屋:あの,ちょっとよろしいでしょうか?

東:もっと,ありますわ。

芦屋:いやあ,東さんの気持ちはよく分かりますよ。でも,ちょっと注意しないと結構後で大変なことになってしまうかも知れないですよ。それは避けましょうよ。

東:・・・私,変なこと言ってますかね?

芦屋:いやあ,多くの人がよく入り込むんですけど,一つ一つの話は納得できるんですけど,トータルで見ると,お互いに成り立たない場合があるんです。言葉は悪いですけど,我々は「矛盾した要望」と呼んでいまけど。

東:「矛盾した要望」?

芦屋:東さんも経験あるはずですよ・・・考えてもみてください。シンプル画面かつ画面遷移なく多機能,多くの入力サポート機能で,スクリプト禁止みたいなのは,トレードオフの関係なんですよ。だから,こんなときは,どれを優先するのか考えますよね・・・そもそも,ヘルプやガイダンスが必要な機能・操作性のシステムは,現場でスーッとは使えません。こんな話を結構いろんなところで見てきたんですよ。だから御社にはそんな変なシステムだけは入れないと思ってます。

東:そういうけど,現場で使いやすいということはこちらは引けませんわ。そこは,芦屋さん,どう考えてます?

芦屋:現場が第一というのはおっしゃるとおりです。それは私も同感です。そこは,ここにいる全員の統一見解ですよ・・・でも,今までいろんなシステムを作ってきて,同じような話があるんです。そういうときに,私としては「良い機能っていうのは,便利な機能とは違うんじゃないか」と思うんです。複雑で覚えるのがわずらわしいシステムは現場ではなかなか理解してもらえないですし・・・そうなると何のためにシステムかという話にもなっちゃうんですよね。だから,そんな話を頂いたときは,「まずきちっとしたものを作りましょう」と言わせてもらってます。これは御社のため,御社と協業する当社のため,現場で働く御社のセールス担当者さまのためです。ここは私も譲れないです。変なシステムを出して貴方の迷惑になることは絶対避けたいので・・・使ってみて,要望があればすぐ対応しますので安心してください。

東:・・・今日は決めれません・・・まあ,どちらか選ぶならシンプルな方かなとは思いますが・・・よく考えてみますわ。

 私は,戸塚氏,東氏とこんな会話をしました。ここで私は,立場の強い人への説得術をいくつか使って話しました。それは,以下のようなことです。

  • 相手の主張を否定しない。よいアイデアと最初に強く肯定する。
  • 断るためには「相手の主張がネガティブに反転するような情報」を伝える。
  • 情報は,自分が経験したものがよい。なぜなら説得力が高まるから。
  • 情報は納得感のあるもの。説得力を高めるための話法を工夫する。
  • 相手が納得するまで情報を与える。相手は納得すると,言われたことを自分の主張のように話すようになる。
  •  特に有効なテクニックは「対立しそうになったら,両者の共通の目的にもっていく」ということです。これは,私が東氏に話した

    これは御社のため,御社と協業する当社のため,現場で働く御社のセールス担当者さまのためです。ここは私も譲れないです。変なシステムを出して貴方の迷惑になることは絶対避けたいので・・・

     が該当します。つまり,「貴方の要望を受け入れることによって,貴方に迷惑がかかることだけは避けたい」という主張です。これは大義をもった主張なので,相手は簡単に「否定」することができません。だからといって,東氏のように自分の出した考えをすぐ引っ込めるのもなかなかできない話です。思いつき性向の高い戸塚氏はアイデアを出すのも早いが,引っ込めるのも早いタイプ。反対に東氏は,じっくり考えて意見を出し,意見を引っ込めるのにも時間がかかるタイプです。このタイプは,時間をかけて説得することが必要です・・・情報を与えていけば,東氏の頭の中で私の話がリフレインして判断に影響を与えます。東氏は,自分で判断しているのですが,その判断には確実に私の意見が反映されているのです。

     このように私は上手く断るように誘導していますが,当然のことながら,単にやりたくないから断っているのではありませんでした。このときは本当に「矛盾した要望」だったので,断った方がいいと判断したのです。でも,この断り話法は,岡田や坂本には勉強になると思いました。

      次回は,この会話を岡田,坂本と一緒に振り返り,私が何を狙って話しをしたのかを説明したいと思います。


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