「いったい、この国のIT戦略はどうなったのだろう」。こんな疑問を耳にすることが少なくない。その最たる例がe-Japanである。長年、日本のIT戦略を見つめてきた野村総合研究所の村上輝康理事長は、「昨年1月にスタートしたIT新改革戦略によって、IT戦略が遠くに行ってしまった印象を受けた」と嘆息する。

 2001年に始まったe-Japanは、世界最先端のIT国家を目指す国家戦略だった。フェーズIでブロードバンド環境などITインフラを整備し、フェーズIIでそのインフラ上に様々なサービスを作り上げ、国民のIT利活用を推進するとしてきた。だが、行政の電子などにおける利活用に課題を残した。サービス提供の前提になる住民基本台帳カードもなかなか普及しないし、各省庁もバラバラにIT化やIT産業支援に取り組んできたのが実情だ。地方財源がカットされると、IT予算が削減されてしまったことも影響したという。

 こうした反省を基に、政府が06年1月に策定したのがIT新改革戦略である。電子政府の推進と医療の電子化の2つを目玉にし、IT化の進捗をレビューし、PDCAサイクルを回す。申請・届け出などのオンライン利用率を2010年度までに50%以上に、医療におけるレセプトの完全オンライン化を2011年度初めまでに実現させる、といった目標の進捗状況を、評価専門会がチェックする。e-Japanで不明確と言われていた点でもある。

 しかし、「ここに大きな転換があった」と村上氏は指摘する。世界最先端のIT国家を目指すという戦略よりむしろ、社会・経済の構造改革が主要なテーマになり、ITは単なる道具の位置付けになったように見えるからだ。「オンライン利用率を50%にすることが、本当の改革なのだろうか」と疑問を呈する。

 もちろん電子行政、医療の電子化は大切なテーマではある。だが、行政の電子化は、e-Japan開始時点からの重要テーマだったはずで、行政や医療機関自身の問題に加えて、社会的や制度的などから前に進まなかった面もあると見られている。しかも、e-Japan戦略の開始から6年も経過しており、一昔前の時代の技術の活用なので、「産業界が湧き立つようなものはない」(村上氏)。行政の電子化などを実現させる技術やソリューション、サービスはすでに豊富に揃っており、それらを組み合わせれば、いつでもシステムを構築できるところに来ている。

 韓国の電子行政化が着実に進んでいることを知れば、日本は最先端どころか、世界の流れからも取り残されたことになる。しかも、こうした電子化の遅れは、国民がその果実を享受できる機会の損失にもつながる。ITシステム構築にこれから2年、3年もかかれば、その成果がはっきりするのは5年も先になる。それでいいのだろうか。

e-Japanの失速原因

 e-Japan戦略が失速した原因を、政府や地方自治体自身が電子行政を推進できなかったことに求める声もある。国民や住民の支持を得るのではなく、レガシーシステム改革指針のように、政治に責められてのIT化にしか見えなかったからだろう。自分達がやる気を出さない限り、いい仕組みはできないということだ。

 村上氏自身は、e-JapanがフェーズIIIで、ユビキタス・ネットワーク社会の実現を目標に掲げるu-Japanになることを期待していた。光通信に加えて、無線や携帯、情報家電や自動車のネットワーク化などを包含していけば、電子行政も医療も議論できると思っていたからだ。そこには、ユビキタス・ネットワーク社会の実現に必要なIT製品とアプリケーションを一体で考えることが、国としてのIT戦略だという信念がある。だが、「省庁も産業も企業もバラバラに取り組むようになってしまい、ITは国としてのプライオリティから滑り落ちてしまった感じがする。e-Japanを追いかけてきた人間として寂しい」。

 こうしたe-Japanの現実は、今の企業情報システムが置かれている状況と重なる。個人情報保護や内部統制、CSR(企業の社会的責任)など、最近の企業情報システムは外部からの要請に応えることで手一杯で、個々の企業が本気で「やりたい」と考えていることには思えない。決して最先端のITを活用するわけでもなければ、いまだに技術力の高いベンチャー企業を活用しようともしない。ただ「安く作ればいい」とする雰囲気が漂うところもそっくりだ。

 「官庁、自治体も知識や情報を扱う組織なら、民間企業と同様にITは経営の根幹をなすものだ」(村上氏)。そう考えれば、行政がIT化のイニシアティブを取ることになる。佐賀市はその典型で、こうしたケースが増えることを期待される。その一方で、「財政問題からIT予算がカットされたこともある」(ITベンダーの幹部)が、逆に財政難に陥ることが予測されるなら、IT改革でいち早く再生の手を打つことを考えられるだろう。「そうした危機感を持てば、ITを使うことになる。それがIT改革の一つの突破口になる」(村上氏)。

 「このままで本当のよいのだろうか。ITの世界には、やるべきことはまだまだたくさんある」。そう思うのは筆者だけではないはずだ。

※本コラムは日経コンピュータ07年4月16日号「田中克己の眼」に加筆したものです。