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嶋正利のプロセッサ温故知新

世界初のCPU「4004」開発回顧録(3)

電卓にも使える汎用LSIのアーキテクチャを決定

嶋 正利=ITpro Watcher 2007/04/18 ITpro

 1961年に開発されたシリコン・プレーナ集積回路(IC)により「論理の時代」が到来し,集積回路が多くの応用分野のシステムに大量に使われるようになった。米国においては,独立系半導体会社が次々と設立され,半導体産業が新産業として成長していった。

 1960年代後半に入ると,米国の半導体産業界は,大規模集積化回路(LSI)技術をメモリーに応用し,SRAMメモリーやシフトレジスタ型メモリーの開発に成功した。続いて,今日のパソコンの主メモリーに大量に使われている1KビットのDRAMメモリーの開発に着手した。また,軍事用のICやLSIの生産も活発に行っていた。

 勢いづく米国の半導体産業界は,さらなる成長を求めて,LSIの応用先として大量販売が期待できる日本の電卓業界に注目し始めた。一方,日本の半導体産業界は,米国より4年ほど遅れており,米国の半導体技術と製品に追いつくのがやっとだった。とても,電卓用LSIを発注できるレベルには達していなかった。

 日本の電卓業界は,LSI化による,低価格化,軽量化,高信頼性化,そして高性能化と多様化への道を模索した。1968年に,早川電機工業(1970年にシャープに社名変更)がノ-スアメリカン・ロックウェル(現在のロックウェル・インタ-ナショナル)社に開発を依頼した4相クロックを用いた5チップ構成(クロック用LSIも含む)のLSIによる電卓を発表した。そのLSIの合計使用トランジスタ数は約3,460であった。電卓業界は電卓のLSI化に向けて一斉に走り出した。

 1968年末頃の電卓のLSI化には3通りの開発方法が米国半導体会社から提案されていた。その頃,新しい半導体技術や製品はすべてと言っていいほど米国で開発された。

 1番目の方法として,フェアチャイルド社は,ランダム論理LSIの設計を効率良く行うために,スタンダ-ドセルとCADを使った開発手法を提案した。しかし,配線領域が増え,チップ・サイズが大きくなり,高コストとなり,ユーザーには受け入れられなかった。2番目の方法として,ナショナルセミコンダクター社は,ROMを使って電卓の仕様を変更できるプログラマブルLSIを提案した。しかし,多くの電卓会社の異なる要望を受け入れようと,非常に多くの種類の複雑なマクロ命令を実装しようとして失敗した。3番目の方法は,電卓会社の用意した論理図に基づいて,半導体会社の技術者と電卓会社の技術者が共同して手作業で回路設計とレイアウト設計を行う方法であった。

 ビジコンは,米国の調査会社に依頼して,共同開発の可能な半導体会社の調査とLSI設計に必要な技術情報の入手を開始した。1968年末にプロジェクト・チームを作りLSI化の検討を開始した。プロジェクト・チームは3人で構成された。プロジェクト・マネジャーの増田氏と,米国滞在の経験のある高山氏と私だった。私は一番下の技術者として,応用システムと次世代10進コンピュータの仕様とLSI設計手法の検討を担当した。LSI設計に関する技術書をノートにまとめながら勉強した。入手した技術書で使われている半導体プロセスは前世代のメタルゲートMOSプロセスであった。実践的な回路例はあまり多くなかったが,レイアウト設計までを含むLSI設計への下準備はできた。

 ビジコンは共同開発先として,設立間もないインテルとモステックを選択した。両社共,高密度実装と高性能が実現可能な新世代半導体プロセスであるシリコンゲートMOSプロセスの開発に成功していた。また,信頼に足る経営者がいることも重要であった。インテルにはノイス博士(R.N.Noyce)がいた。

 ポケット電卓の開発を計画していたビジコンの大阪工場である日本計算器は,モステックと共同で電卓用1チップLSIを開発した。1971年1月に「てのひら電卓 LE-120A」を発表し,雑誌「日経エレクトロニクス」の創刊号の表紙を飾った。

 ビジコンの東京工場である電子技研は,インテルと共同して,計算機能のほかに多種類の入出力機器(キーボード,表示,プリンタ,CRT,IBM風カードリーダー,紙テープ読取装置と紙テープさん孔装置を備えた電動タイプライター)を搭載したビジネス用電卓や科学技術計算用電卓などの電卓のほかに,伝票発行機,銀行の端末機,キャッシュレジスタなどのビジネス機器などにも応用可能な“電卓にも使える汎用LSI”を開発する方針を決めた。ただし,OEM先との関係で,電卓以外の応用についてはインテルに開示しなかった。

 1969年4月28日に締結した仮契約書は僅か3枚だった。

 仮契約書での基本合意は,

ビジコンは開発する電卓用LSIを使って新型電卓MDシリーズを開発・製造することを希望
インテルはLSIの設計に参加・製造することを希望
本契約で規定する期間中にインテルは電卓用として独占的に設計したLSIをビジコン以外に販売しない
ビジコンは新型電卓MDシリーズ用LSIをインテル以外から購入しない
独占契約は仮契約と本契約の終了後1年間有効
インテルは電卓を開発しない
秘密保持の厳守
特許侵害時の保護
インテルは半導体プロセス以外のマスク作成やレイアウトやCAD設計などに関する技術情報をビジコンに供給

などであった。

 仮契約書では具体的に,契約総キット数は試作後30カ月以内に6万キット,製造のための前払い金10万ドル(後に,6万ドルの開発費となった),キット価格は50ドル以下,6カ月以内の試作品の出荷,技術者のインテルへの派遣,などが合意された。

 当時,ROMメモリーやSRAMメモリーは主にコンピュ-タ用に使用されており,電卓のデータ用メモリーやレジスタには低価格のシフトレジスタ型メモリーが採用されていた。しかし,電卓用に四つの16桁分のレジスタを集積したシフトレジスタ型メモリーや,プログラム格納用の256バイトROMの価格は初任給の4分の1ぐらい高価だった。したがって,電卓のLSI化には,大容量ROMメモリーが要求される2進コンピュータ方式ではなく,電卓用の応用プログラム(電卓機能手順論理と計算手順論理)のみを格納する小容量のROMメモリーで実現できる10進コンピュータ方式を採用した。

 1969年6月までに,低速オフィス機器にも応用可能な,より汎用性のある10進コンピュータ用マイクロ命令の仕様を決め,電卓用プログラムを作成した。さらに,LSIのみによるシステム構成を決め,各LSIの論理図の大半を作成した。詳細な回路図はインテルと共同で作成すると思っていた。

 開発する10進コンピュータは,タイミング回路,プログラム制御,アドレス制御,中央演算ユニット,命令用ROMメモリー,データ用シフトレジスタ,キーボード/表示,プリンタ制御,プリンタ用バッファなど,最大9種類のLSIで構成する予定であった。その後,アドレス制御LSIはプログラム制御LSIに吸収された(図1)。プリンタ付き電卓では10個のLSIが必要であった。第一次案のトランジスタ数は渡米前に見積もられた。渡米後に機能と論理量を最適化し,第二次案のトランジスタ数が見積もられた(表1)。

図1●LSI電卓のシステム構成図
図1●LSI電卓のシステム構成図

LSIの種類 トランジスタ数 ピン数
第一次案 第二次案
タイミング回路 1,000 1,000 24
プログラム制御 2,400 800 16
アドレス制御 2,000 0 --
中央演算ユニット 2,000 1,500 24
ROM(命令用)/th> 3,500 2,600 16
シフトレジスタ(データ用) 2,000 2,000 16
キーボード/表示制御 2,400 2,000 24
プリンタ制御 1,500 1,500 16
プリンタ用バッファ 1,000 500 16
表1●LSIの種類とトランジスタ数,ピン数

 開発するプロセッサは,応用分野を広げるために,4ビットのアドレス拡張レジスタが追加可能な8ビットのプログラム・カウンタ,サブルーティン用プログラム・カウンタ退避レジスタ,8ビットのデータ・メモリー用アドレスレジスタ,インデックスレジスタと名付けた4セット分の4ビットの汎用レジスタ,キーボード入力レジスタとしても使える4セット分の4ビットのワークレジスタ,10進補正回路の付いた4ビットのシリアル型ALU(主演算器)などで構成された(図2)。インデックスレジスタは,アキュムレータやワーキングレジスタとして使われ,アドレス空間の拡張にも使われた。インデックスレジスタという名前は4004CPUマニュアルにも使用されている。

図2●LSI電卓のレジスタ構成
図2●LSI電卓のレジスタ構成

 命令用ROMメモリーの容量は最大1.25Kバイト,データ用レジスタとメモリー容量は1レジスタ分が21ディジットとして最大15本と想定した。データ用レジスタとは累計機であるアキュムレータとキー入力兼演算用レジスタと乗除算用レジスタである。データ用レジスタとメモリーは,符号,小数点,16桁分のレジスタ,予備用レジスタで構成した。命令名はマイクロオーダーからマイクロ命令(μInstruction)へと変更された。命令長は8ビット,命令の種類は32,データタイプはn桁の10進データと4ビットの2進データの2種類であった。

 データ転送命令にはレジスタ指定方式(レジスタを直接アクセス)とレジスタ間接アドレス指定方式(アドレスレジスタにアクセスするレジスタの番号やメモリーのアドレス情報を格納),分岐命令と条件分岐命令には直接アドレス指定方式(命令内に分岐先アドレスを格納)のみを採用した。また,入出力機器と同期をとるためのPRINT-BUSY命令やプロセッサを一時停止させるHALT命令なども用意した。

 すべての準備に5カ月を要した。出発は1969年6月と決まった(次回につづく)。

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