書きたいことが山ほどあるのも困ったことだ。このコラムは月1回,4000字と決めている。2002年6月から毎月続けているリズムだ。書きたいことを3つに絞り,プロローグで長男の卒業式のこと,本文でNGNのこと,エピローグでは京都研究会のことを書くことにする。

死して朽ちず

 3月23日,長男の卒業式(正式には学位記授与式)に出席するため,嫁さんと東京・国立に出かけた。駅前から大学へと続く桜並木はまだつぼみだったが,陽春という言葉がふさわしい好天だった。卒業式そのものにはさほど期待していなかったのだが,学長のスピーチが思いのほかすばらしいものだった。ポイントは2つ。学び続けることの大切さと,学んだことを自分のためだけでなく社会に役立てる志の高さを持て,ということだった。

 強く印象に残ったのはスピーチの中で引用された幕末の儒学者,佐藤一斎の言葉だ。曰く「少(わか)くして学べば,則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば,則ち老いて衰えず。老いて学べば,則ち死して朽ちず」。若い時に学びに励めば,壮年になって大きな仕事を成し遂げることが出来る。壮年で学びを続ければ,老いてもいきいきと活動できる。ここまでは普通の発想だ。しかし,最後の文には人をハッとさせ,勇気づける発想の飛躍がある。死んでも朽ちることがないとはどういうことか。老いても学ぶことに励めば,自分が死んでも後に伝えるものを残すことが出来る,と解釈した。

 佐藤一斎そのものが「死して朽ちない」見本だろう。亡くなって百年余りたった人物の言葉が卒業式で引用され,そこで感動した筆者がここに書いている。おそらく,一斎の言葉はこれからも百年,二百年と伝えられるのだろう。

 筆者のような凡人に百年残るものを伝えるのは難しい。しかし,誰もが子供や同僚や仲間など,生きているうちに接する人たちに伝えているものは多かれ少なかれあるはずだ。世のために役立つものを,少しでも多く,少しでも長く残すために老いても学べ,というのが最後の文の意味だと思う。若い卒業生たちだけでなく,それ以上に壮年である父兄が元気づけられる言葉だ。スピーチが終わると自然に拍手をしていた。

10年前の移行判定会議

 4月某日,約500拠点規模のネットワークの移行判定会議をお客様の本社で開催した。移行判定会議は,試験成績書,パイロット拠点試行の結果報告書,移行工事手順書などによって移行工事を進める上で必要な仕様・品質を満たしていることをお客様に説明し,承認を得るための重要な会議だ。このネットワークは規模が大きいだけでなく,ふだんはADSLで基幹業務と音声を動かし,ADSL故障時は64kビット/秒しかないISDN1本で基幹業務と音声をバックアップする拠点が数百ある,難易度の高いネットワークだ。

 しかし,筆者はゆったりした気分で会議に臨んでいた。これまでの設計メンバーの仕事ぶりをよく知っており,試験計画やその結果をまとめたドキュメントの緻密さを事前の社内会議で確認していたので,何の心配もしていなかった。私自身は最初の挨拶だけで説明することもないので,ある空想にふけっていた。10年あまり前の移行判定会議や工事のことだ。

 今の会議で使っているドキュメントはすべてカラーで印刷している。設計書や移行手順書で線種を色で区別したり,現場の機器配置をカラー写真で示すことでドキュメントは格段に分かり易くなる。速く理解できるし,ミスが少なくなる。全国規模の移行工事では各ブロックの工事責任者を集めて,スケジュールや手順書の説明,進捗管理等のため毎週テレビ会議を行う。工事の現場では工事の各フェーズが完了する度にケータイから進捗管理システムに進捗データが入力され,本部では数十拠点で同時進行する工事の状況がリアルタイムで把握できる。

 10年前はどうだったろうか。プリンタは白黒が普通。デジカメも使っていなかった。白黒なので配線図の線種を区別するのは面倒だし,工事前の現場と工事後の現場をカラー写真で対比することなど出来ない。分かり易い手順書を作るのは大変だし,どんなに頑張っても今と同じレベルのものは作れない。現場で手順書を使う人も理解し難いし,ミスも出やすくなる。

 テレビ会議も高価なので一部しか導入されていなかった。移行工事の説明会は全国10ブロックの工事責任者を集めて開催していた。コストと時間を要するので,毎週開催などとても出来ない。ケータイは普及しはじめだったがiモードなどなく,数十拠点の工事進捗をリアルタイムに把握するのは無理だった。ちょっと想像するだけで,10年前には決して戻りたくないと思うくらい手間がかかっていた。

 工事作業そのものの生産性は10年前も今もあまり変わりはないだろうが,工事に付随する事務や管理の生産性は飛躍的に向上し,品質も良くなっている。 

 10年前には使うことが難しかったカラー,イメージ,映像,モバイル・データを駆使できる,コミュニケーションの「表現力」が高まったことで生産性や品質が向上したのだ。

NGNで表現力が進化する条件

 10年前のことを考えた後,次に想像したのは10年後にコミュニケーションの表現力がどう進化しているか,ということだ。10年後の移行判定会議だ。その頃にはNGNが本格的に使われているだろう。NTTのNGNトライアルが行われている大手町のNOTE(NGN open trial exhibition)に行くと,高品位テレビ会議や高音質な電話のデモを体験することが出来る。しかし,現在のテレビ会議や電話の品質がさらに高品質になっても,移行工事に関連する事務や管理の生産性が向上するとは思えない。

 臨場感が高まったり,女性の声がきれいに聞こえることが会議の生産性を大きく向上させることなどない。10年前テレビ会議が使えなかった状態から,現在,簡単に使えるようになった変化と比べれば違いはわずかなものだ。

 では生産性向上の余地はどこにあるのだろう。筆者はドキュメントの電子化と映像の取り込みにあると思う。紙ベースの工事手順書は電子化され,サーバーに入っている。修正や追加は何時でも簡単に出来る。現場の担当者は雑誌程度の重さの広いディスプレイを持ったノートPCを持っているが,手順書は入っていない。ワイヤレス・ブロードバンドで必要な時にサーバーからダウンロードすればいいからだ。PCに格納したのではドキュメントの更新が反映されない。

 10年前はデジカメ写真しかなかったが,今では手順の説明が映像なのでさらに分かり易い。慣れないうちは音声ガイダンスを聞きながら作業することも出来る。2,3回工事をすれば,もうマニュアルはいらない。移行本部への進捗報告はノートPCに表示されたタイムスケジュールを指先でタッチするだけで簡単だ。

 例外的なトラブルが発生したら,ノートPCを使って本部とテレビ会議が出来る。現場の状況を映像で見せられるので,本部は的確なアドバイスが出来る。

 映像の持つ情報量と説得力は文字やイメージの比ではない。筆者が最近感心したのは1月にAppleが発表したiPhoneを紹介したITproのビデオクリップだ。何千文字を使っても表現できないiPhoneの特徴が10数秒のビデオで理解できる。映像を誰でも簡単に編集・加工してコミュニケーションに取り込めるようになれば,様々なシーンで生産性向上に役立てることが出来るだろう。

 ここまでの想像で分かることはNGNだけではコミュニケーションの表現力は高まらないということだ。NGNが用意するブロードバンドで,安心・安全・高品質なネットワークに加えて,使い易い優れたユーザー・インタフェースを持つコンピュータと,映像やデータを簡単にハンドリングできるエディタやビューワなどのソフトウエアが不可欠になる。

 筆者は紙のノートとシャープペンの愛用者で,新幹線や飛行機に乗ると原稿や講演のアイデアを落書きするのを楽しみにしている。紙のノートやシャープペンのように軽く,バッテリーの心配もなく,自在に絵が描け,映像や写真も簡単に取り込め,ワイヤレス・ブロードバンドで何時でもネットに接続できる。そんな道具が2,3年以内に出てくると楽しいと思う。

懐疑的になるのは易しい

写真●第8回情報化研究会・京都研究会の参加メンバー
写真●第8回情報化研究会・京都研究会の参加メンバー
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 4月7日土曜日,第8回情報化研究会・京都研究会(写真)を行った。講師は英BTグループ,テクノロジー&イノベーション担当バイスプレジデントのヨン・キムさんと筆者がつとめた。詳しい内容は情報化研究会のホームページを見ていただきたい。

 研究会ではドイツ証券のバイスプレジデントでアナリストの津坂徹郎さんが,出来たばかりのNGNレポートをプレゼントしてくれた。大判でカラー,NGNの仕組み,使用される機器やその市場規模などが分かり易くまとめられている。その津坂さんに一言挨拶してもらった。その中に,私にとって今回の研究会で一番印象に残る言葉があった。「NGNに懐疑的になるのは易しい。盛り上げるのは大変です」。これを聴いた瞬間に筆者のNGNに対する考え方が変化した。確かに,NGNなんて云々と懐疑的になるのはたやすい。たやすいことに与するのはいやだ,難しい盛り上げにトライしようと強く思った。

■お知らせ■
筆者が講演するセミナーが開催されます。
「次世代インターネット vs NGN」セミナー
 講師:IIJ社長 鈴木幸一氏,英BTバイスプレジデント ヨン・キム氏,筆者