音楽やビデオなどのデジタル・フォーマットは,たいていDRM(デジタル著作権管理)機能によって複製が制限されている。これは,不正コピーを防ぎ,著作者と出版社の権利を守るためだ。

 ところが,最近AppleがDRMを含まない音楽配信を始めることを決定した(関連記事:英EMIがすべての楽曲をDRMフリーに,iTunes Storeで5月より配信)。音楽著作者の中には,DRMによる制限に反対する人も多い。また,音楽が売れなくなったのは不正コピーが理由ではないとする人もいる(津田大介「だれが「音楽」を殺すのか?」や,同氏の「「EMIは打つ手がなかった」――DRMフリー化と「CCCD」という無駄 そして日本は」)。適切な価格であれば,たとえ無償版があったとしても有償で購入するというのだ。

 そういえば,PC用のソフトウエアも初期の頃は不正コピーが横行していた。ビル・ゲイツは「ホビイストへの公開状」を発表し,不正コピーはソフトウエア開発の妨げになると訴えた。1976年のことである。

参考:富田倫生氏の「パソコン創世記」

原文:「AN OPEN LETTER TO HOBBYISTS By William Henry Gates III February 3, 1976

 日本でも状況は同じだった。そのため,各社はコピー・プロテクト機能を実装するようになった。たとえば1983年に登場した日本語ワープロ「松」にはコピー・プロテクトがかかっており,不正な複製はできなかった。しかし,実際には各種のコピー・ツールによる複製ができたため,広範囲に不正コピーが広まっていた。コピー・ツールの不正コピーも出回っていた(関連記事:松 --- 事実上最初のパソコン用日本語ワープロソフト

 一方,1985年に登場した「一太郎」は,5万8000円と,比較的安価であった上,コピープロテクトがかかっていなかった。私の知る限り,松に比べて一太郎の方が不正コピーは少なかった(それでも現在の感覚からすればかなり多いのだが)。一太郎の成功の理由は機能面にあるとする人が多いが,私の感覚では少し違う。価格,ドキュメントの再利用性,日本語入力システムの汎用化の3点だったのではないだろうか。

 一太郎で作成した文書は2つで1組になっていた。1つはMS-DOSの標準テキスト・ファイルで,もう1つは文字装飾機能を保存したファイルである。そのため,特別な変換作業をしなくても,完成した文書を他のソフトウエアから簡単に利用できた。当時,複数のアプリケーションにまたがるクリップボードはまだ存在しなかった。また,日本語入力システムATOKをOSに組み込み,他のアプリケーションからも使えるようにしたのも斬新であった。

 その後,1989年からアシストが9700円でオフィス製品を投入した。それから,しばらくの間は,多くのソフトウエアからコピー・プロテクトが消え,ソフトウエアの価格も低下した。適切な価格で適当な価値が提供されれば,違法コピーは減ると認識されたのだろう。

 ところが,最近またコピー・プロテクトが全盛期を迎えている。インターネットを使って認証するため,以前のコピー・プロテクトに比べて抜け道を造るのは難しい。

 コピー・プロテクトが必要とされるのは,違法コピーをする人がいるからだ。しかし,前述の通り,適切な価値が提供されていれば違法コピーはある程度減る。少数であっても違法コピーが見逃せなくなったのだろうか。それとも製品の価値が低いのだろうか。