「マーケティング・コミュニケーション」をごく簡単に解説しようとすると,「顧客の開拓,商品やサービスの開発と販売,サポート・サービスに至るマーケティングの全過程における顧客とのやりとり」という一文にまとめられるだろうか。

 筆者はWatcherでこれまで2回にわたり,日本企業に見られるマーケティング・コミュニケーションの「誤解」について書いてきた。今回はあるIT企業で筆者が体験したマーケティング・コミュニケーションの「悪例」を紹介したい。

 日本におけるCRMソフト製品の広告宣伝活動の基本は,展示会への出展,それから無料セミナーの開催だ。この方法は,1980年代の終わり頃,アメリカで盛り上がった「コンベンション方式」に見かけ上酷似している。

 1990年代の後半,筆者は某IT企業にコンサルタントとして雇われていた。この某社はコールセンター向けソフトやCRMアプリケーションを顧客に販売しインテグレーションすることを主たる事業としていた。筆者は数年間,この某社における販売活動に助言したり,販売実務の支援をしたりしていた。

 ある日,その某社の営業責任者(部長職)から,「新規顧客をさっぱり開拓できず,困っている」と愚痴を聞かされた。

 筆者は「うーん。そうですか。展示会や無料セミナーを頻繁に開催していて,たくさんの来場者をキャッチしているのにどうしてでしょうか」と尋ねた。この某社では「ブームの陰で,なぜ55%のCRMプロジェクトは失敗すると言われるのか?」といったテーマの無料講演を開催し,会場の席数である60席の倍以上の観客を集めていた。

 営業責任者の話を聞いていくに従って,筆者はこう思った。この会社には,新たな顧客を見出して商談を開始するための仕組みが確立していないのではないか,と。CRMソフトを売っている会社であるにもかかわらず。

意志決定の仕組みを再考察

 企業顧客向けビジネス(B2B)のマーケティング・コミュニケーションでは,顧客企業における意志決定の仕組みと,売り手におけるセールス・プロセスを機能的に連携させる必要がある。企業では「その商品を買いたい」と思う人に,その商品を買う権限があるとは限らないからだ。企業における製品・サービスの購入意志決定プロセスは複雑で,かつ多数の人が関与する。そのことを忘れて,名刺を出した相手と商談を…と発想するのは間違っている。

 さて,この某社では,展示会や無料セミナーで収集した大量の名刺をデータ化して,「来場感謝」と書いた案内を送付すれば,すぐに商談が始められると思い込んでいたフシがあった。

 筆者は営業責任者に頼んで,データ化された名刺リストをあらためて眺めた。そして,ちょっとした分析を試みた。

 まず,企業を従業員の規模で区分けした。次に名刺に印刷されてあった肩書き(部署名や役職)を分類した。起案者(initiator)や意志決定者(decision maker)を探し出すためである。

 IT技術が専門の方々にはinitiatorというとJCLの主要なルーチンの一つと想起されるかも知れないが,ここではマーケティング・コミュニケーションで使われる利害関係者の細分類を指す。要するに,起案者とか起草者とか言われる,組織内での発案者である。つまりこの某社にとっては,CRMアプリを採用しようと言い出し,企画書なり起案書を取りまとめる人を指す。組織内でそのような役割を担っている人を見つけ出せないと,商談を始めるきっかけがつかめない。

起案者も意志決定者も顧客を知らない

 では,これらinitiatorに区分けされる人々は,どのような手段でCRMアプリの製品情報に接しているのだろうか。これを考察すれば,商談を始めるのがよりスムーズである。

 筆者は一度“出発点”に戻って,(1)この某社がどのようなセールス・プロセスを想定したのか,そして(2)某社が発信した製品情報がどこにどう到達しているのか,の2点を再点検した。

 某社が開催している展示会や無料セミナーの参加者アンケートを精査したところ,大事な質問が一つ欠けていることに筆者は気付いた。それは,情報収集の媒体に関する質問だった。

 例えば,筆者が現職のシステム部長だった頃の必読誌は,「日経コンピュータ」,「日経バイト」,「日経パソコン」の三つだった。出勤の道のりと帰宅途中,これらの雑誌を広告も含めて精読していたことを思い出した。筆者が関心を抱いた製品やサービスの広告ページに付せんを貼っておくと,秘書が資料請求し,しばらくすると筆者の手元に資料が届く。筆者は資料を読みながら比較検討を開始し,興味を持った会社に連絡を入れる,という段取りだった。

 筆者はこの3冊をすべて読み通していたが,部内のほかのメンバーは,3冊すべてを読んでいるわけではなく,それぞれの職分に近い分野の雑誌を選んで読んでいた。日経コンピュータだけを読んでいた課長には,日経パソコンに載っていた広告――例えばパソコンをエミュレータ端末とするための製品――は,露出していなかったことになる。

 思い出話ばかりで恐縮だが,セールス・プロセスをわかりやすく説明したいので,もう少し付き合っていただきたい。当時,筆者の管理責任範囲に,社内のデジタル電話交換設備も含まれていた。愛知県の工場と東京本社の間で使う高速デジタル専用線のためにTDM(Time Division Multipexing:時分割多重装置)を設置して,データ通信とともに音声通話の内線化を実現できないか,その可能性を検討していた。

 この検討の端緒となった情報は,日本IBMから送られてきたダイレクト・メールだった。そのダイレクト・メールは,確か日経コンピュータのリストだったはずである。日本IBMの営業担当者と交わした会話の記憶がかすかに残っている。

 つまり,それだけ広告宣伝用媒体の選択が重要だということだ。コールセンターやCRMアプリの導入,適用を起案する人々は,どのような媒体で情報を集めているか――。これを把握することが某社の急務となった。

誰も「コミュニケーションの実態」を把握していない

 筆者は某社内にて駆け回った。だが,営業責任者も,事業部長も,そしてマーケティング・コミュニケーション責任者までも,「メディア・プリファレンス(媒体の選考度合い,依存の程度)」を把握してはいなかった。

 媒体の選好度や依存の程度を把握せずに,広告出稿計画を立案するほどの愚はない。広告宣伝の基本中の基本である。ところが,某社はある業界誌に載せるという“前例”に,疑問を持たぬままならっていた。このようなスタイルは,少なくとも米国型のマーケティング・コミュニケーションではあり得ない。その業界誌の主たる読者が,起案者や意志決定者であればまだいい。だが,まったく読者層は異なっていた。筆者は驚いた。

 筆者は最近,米Avayaがスポンサーのサイト「The Next-Generation Contact Center Report」を注視している。それは,Avayaの米国における広告宣伝の仕方と,日本でのそれとを比較すると,興味深い知見が得られるからだ。米Avayaの広告宣伝のアプローチ,例えばコピーの書き方は分かりやすいポイントだが,製品を欲している人の関心事を実にうまく反映している。

 ところが日本型のマーケティング・コミュニケーションには,そういう露出を発見することはできない。なぜか。厳しい言い方だが,「日本のマーケティング・コミュニケーション担当はマーケティング・コミュニケーションを理解していない」というシンプルな結論に至る。筆者はこの10数年間,マーケティング・コミュニケーション担当と言われる数多くの人々に会ってきた。だが残念ながら,マーケティング・コミュニケーションに一家言ある,という方にはまだお会いしたことがない。

 筆者は,ソフトブレーンの広告宣伝活動に大変な関心をもっていて,継続的にウォッチしている。ソフトブレーンは多くの方がご存じの通り,宋文洲氏が創業し,営業支援系のソフト製品を販売している上場企業だ。筆者はかつての米Siebel Systems(営業支援システムの開発会社で,米Oracleに買収された)と重なる部分があると感じている。

 日本のマーケティング・コミュニケーション担当者には,ソフトブレーンの顧客獲得活動をベンチマークすることを推奨したい。大まかな宋文洲氏の活動については同社のWebサイトで容易に確認できる。

 注目すべき点の一つは,執筆活動である。Siebel Systems創業者のトーマス・シーベル氏は「Virtual Selling」という書籍を1990年代に書いている。まだ営業支援システムという言葉が広まっていなかった頃のことだ。そして時代や内容や形態は異なるが,ソフトブレーン創業者の宋氏も書籍を書いた。代表的な著書は「やっぱり変だよ日本の営業―競争力回復への提案」だった。筆者は読み始める前,べたべたな営業のテクニックを紹介する,よくあるノウハウ本かと思った。だが,内容はかなり違っていた。「営業は組織的に,かつITを活用して実施すべきで,その成果は容易に得られる」という主旨のことを丁寧に書き下している。

 かなり前のことだが,筆者は「週刊ダイヤモンド」誌が営業についての特集記事を組むということで,手伝ったことがある。その過程で筆者は,営業の組織化というテーマについて考え始めた。当時多くの企業を観察した結果,世間には営業を「個人技」として扱う間違った考え方がまかり通っていることに気付いた。そして,この考え方はいまだ支配的だ。書店で書棚を眺めて見るとよく分かる。宋氏はいまWebサイト「NIKKEI NET」や「日経ビジネスオンライン」でコラムを執筆している。かなりの人気を博しているようだ。

 もう一つの注目すべき点は,宋氏が商工会議所などの地域のネットワークを巧みに活用していることだ。地方の中小企業をターゲットに「営業」についての講演会(セミナー)を開催し,見込み顧客を開拓し続けている。自社のソフトを売り込みたいのかと警戒される,あるいは難しいと敬遠される「IT活用」などというキーワードは決して前面に出さないところが上手い。

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