1961年におけるシリコン・プレーナ集積回路(IC)の開発により「論理の時代」へ進展した。キーワードはアナログからデジタルに代わった。ICを使った第三世代コンピュータ,ミニコンピュータ(ミニコン),電卓などが登場し,デジタル回路の利用が広まった。米国では,多くの半導体専門会社が設立され,半導体産業が成長への道を歩み出した。やがて,ICは大規模集積回路(LSI)へと進展した。日本では,電卓のLSI化により,半導体産業の成長が加速された。

 「論理の時代」は,どのような市場に対してどのような仕様の製品を開発するかを明確化し,その仕様を満たす機能の論理を組み,その論理をICにマッピングすれば,製品を開発できる時代をもたらした。極論すると,論理を構築できる能力があれば,電子工学科出身者でなくてもシステムの機能を構築できる時代となった。

 当時の米国では,半導体製造装置や半導体製品開発関連機器などをリースすることができ,少ない資金で,半導体ベンチャー・ビジネスを立ち上げることができた。また,銀行を介して資金を調達する日本とは異なり,ベンチャー企業の誕生を資金的に助ける投資グループがあった。この時代から半導体業界においてベンチャー・ビジネスが活発化した。そのベンチャー企業の一社であったフェアチャイルドから毎週と言っていいほど新しいICが次々と発表された。それらの新製品情報を待ちきれずに,シリコンバレーに電卓の開発拠点を設けた会社などもあった。

 私の記憶に残っているICを使ったシステムは,三菱電機のコンピュータMELCOM-3100,フランスで開発されたMUM会計機,DEC(Digital Equipment Corporation)のミニコンPDP-8とPDP-11,日本電気の8ビット・ミニコンNEAC-M4などである。会社に入社した1967年頃はビジネスショーの最盛期だったようで,コンピュータ,ミニコン,事務用コンピュータ,会計機,電卓などの実物が展示されていた。電卓の仕様は各社ごと微妙に異なり,各社の電卓のブースを回り質問して歩いた。コンピュータの会場に行くとDECのミニコンPDPシリーズと通信に関するハンドブックを無料で配っていた。それらの資料をむさぼるように読んで勉強した。MELCOM-3100とNEAC-M4などを実際に使った経験とDEC-PDP8/11の勉強などが,電卓,マイクロプロセッサ,システム構築用チップセット,通信チップなどの開発に大いに役に立った。

 電子回路素子は開発されてもすぐには製品に使われなかった。1961年に開発されたICが製品に使われたのは,第三世代コンピュータIBM-360に1964年,最初のミニコンDEC PDP-8に1965年,最初のIC電卓シャープCompet CS-31Aに1966年であった。

 1967年,私はビジコンに入社し,コンピュータ部門でプログラマーとして働き,COBOL,FORTRAN,アセンブリ言語などのプログラミング言語を習得した。半年後,コンピュータ部門から電卓部門に移籍し,IC電卓を試作した。電卓の電子回路素子がトランジスタからICに代わったため,電卓の論理を理解するのは難しくなかった。私にとって,最初の開発はプリンター付き電卓だった。最も困難な仕事は,マイクロプロセッサの誕生に大きな影響を与えたプログラム論理方式の電卓への導入であった。詳細は,当ブログで掲載予定の“世界初のCPU「4004」開発回顧録(2)”を参照して下さい。

 学問,研究,開発であれ,私の仕事に対する姿勢は,まずは,嫌がらずにやってみることだった。利用されたことが少なくなかったが,積極的にやった時は全て成功した。一方,守りに入った時は,多くが失敗した。(続く)