今回のインタビューで、まさに肌で感じたことがあった。それは、人々の口調の端々に現れるGoogleという会社への熱い思いであり、帰属意識の強さである。

 無論、その思いをもたらす源泉は多々あろう。業績がきわめて良く、世間の評判も押しなべて良好であり、多くのジャーナリズムが驚異の眼で同社を語るということもあるだろう。業界のトップ企業で働いているという自負もあろう。

 しかし、あるエンジニアの言葉が、私の心には深く響いた。彼曰く、「これほどまでに情報が開示されているので、自分は会社から相当信用されているんだな、と強く実感します。これだけ信用されているのだから、自分も会社を信用できる。会社の成功のために何かしよう、という気になる。」

 そのエンジニアにとっては何気なく発した一言だったろうが、私はここに大変重要な意味を感じた。

 社内における情報の開示と共有によって、会社へのコミットメントや帰属意識が高まるということは、聞けば当たり前のようであるが、実は多くの日本企業で忘れ去られていることでもある。むしろ昨今の日本では、情報は逆に統制すべきものとして認識されている。

 インタビューを終えて帰国した2005年の夏から秋にかけて、日本では個人情報保護法とそれへの企業の対応、また従業員による機密情報流出の話題で持ちきりだった。そこではいかにして社内で情報アクセスをコントロールし、「不必要な」情報に従業員をアクセスさせないか、という点が強調される。これは日本版SOX法による内部統制強化が声高に叫ばれる2007年の現在、さらに拍車がかかっている。職階に応じて経営情報へのアクセス権限を段階的に設定し、職位が下がるほど全社的な情報にはアクセスが困難になるしくみは、昨今の日本企業ではごくあたり前といえよう。

 本当にそれでよいのだろうか。