前回まで数回にわたって坂本のエピソードを紹介しました。坂本は次第に目標意識を高めるようになりました。

 これで、岡田、坂本とも、彼らが身につけたいという企画力やマネジメント、交渉力といったビジネス・ヒューマン系のスキル獲得という新しい目標に取り組むようになりました。

 今回は岡田とのエピソードです。岡田は、入社以来、一貫してシステム開発の仕事をしてきましたが、どちらかというと、下流工程の仕事ばかりで、要件定義の中で交渉をおこなうような上流工程の仕事はしてきませんでした。当然、彼のこのあたりのスキルは高いものではありません。

 彼の年齢から考えると、今後は管理職としてリーダーシップを発揮することが期待されましたが、スキル的にまだまだ身につけるべきことが多くありました。

 岡田自身も、彼の上司もそれをよく知っていました。そこで、私が今回の仕事を始める際に、部長が岡田を私の下につけたのです。岡田は、企画力やマネジメント力、説得力、文書力、交渉力などのビジネス・ヒューマン系のスキルを身につけたいと思っていました。

 岡田は、最初の私の面接のときに、私が「今後どうしたいか?」と尋ねたときに、はっきり「新しいスキル、ノウハウを身につけたい」と答えました。

 つまり、「人を育てることの第一歩である、指導者と被指導者の間の約束」を私との間で取り交わしたわけです。

 以降、私は、岡田に、このようなノウハウ、テクニックを教え、彼のスキルアップをサポートすることにしました。

相反する2つの事項

 今回の販社との仕事で特徴的だったのは、「あらかじめ決められた納期で、先方ができるだけ喜んで要望するシステムを構築し、提供する」ということでした。

 これだけなら、普通のシステム開発とかわらないのですが、一つ違っているのは「お金をもらえない」ということ。つまり、「無料でシステム構築する」ということでした。

 今回の仕事は、当社の商品を販社で売ってもらうための業務提携交渉でしたが、商品だけでなく、販社用のサポートシステムも必要でした。

 販社は、われわれを含め、いくつかのメーカーに販売商品とサポートシステムを提案させ、コンペをしていました。われわれは、このコンペ作業に、IT企画部門のチームとして参加していたわけです。

 当社が作っていたのはかなり複雑で専門性の高い商品だったので、販社のセールスパーソンが、顧客に説明する際に、説明用のシステムが必要でした。この代理店用のシステムは存在していたので、そのまま使ってくれるのならなんら問題はありません。

 しかし、この販社は力も強く、大幅なカスタマイズを要求していました。

 商品を売ってもらうには、先方が喜ぶ、「機能がすぐれ、使いやすい」システムが必要です。このため、先方の要望をたくさん聞いて、どんどん喜ばれる便利な機能を提案していきたいところです。

 しかし、基本的には「お金」はもらえませんし、システムがよくても商品が駄目で、売れなければ、システム投資は回収できません。

 われわれは、この相反する2つの事項に非常に苦しみました。

 一方で、「良いものを提供します。何でも要件を出してください」といいながらも、先方が出した要件が非常に手間のかかる、コストのかかるものなら、それを何とか怒らせずに「断ったり」、「諦めてもらう」ことが必要だったからです。

 私は、今回の仕事では、「好かれる」、「誘導する」、「断る」、「説得する」といった、コミュニケーションスキルが非常に大事になると考えていました。そこで、部下である坂本、岡田には、これらのスキルを徹底的に教えないといけないと考えたのです。

君に足りないのは・・・

 岡田には、今回のわれわれの立場(喜ぶ機能を提供するが、過度な機能の場合は上手く断る)を何回も説明していました。岡田もそのことはよく理解できていました。

 しかし、頭で理解していることと、実際に先方との会話でうまく話ができるかや、プレゼン資料で逃げる表現ができるかは別の話です。

 岡田のこれまでの経歴から考えると、このあたりのスキルは未発達です。だから、客先に彼を連れて行くまえに、最低限のチェック&訓練が必要と考えたのです。

 そこで、私は、岡田がどれくらい交渉の基礎力を持っているかを調べるために、彼に質問をすることにしました。

芦屋:岡田、もし、販社側から、大幅なカスタマイズが必要なことをいわれたら、どうリバース(対抗回答)するかな?

岡田:そうですね、具体的な機能の話にならないとなんともいえないですが、基本的には開発工数増によるスケジュール遅延、品質悪化リスク増ですね。先方も、それでは困るでしょうからね。システムは難しいので、すべてを実現するのは難しいというしかないでしょうね。

芦屋:そうか、では、先方が、「そうですか、では、うちで商品を取り扱わなくてもよいということですね」といわれたら?

岡田:・・・それは「取り扱ってほしい」ですよ。当然

芦屋:なら、先方から「どうにか実現してください。スケジュール遅延は駄目です。品質問題などありえません。われわれは、一番よいメーカーさんを選ぶだけですから。貴方ができないなら、それは貴方の問題ですので当方には関係ありません」といわれたら?

岡田:・・・「自分だけでは判断できないので、会社に戻って検討します」というしかないですね・・・

芦屋:岡田、それは危険だよ。そんな話、会社に戻っても「できない」といわれるだけだよ。会社の方針は、金をかけないで「相手を説得しなさい」ということだからな。まあ、非常に難しいけどね。あと、「できないもの」を一旦持ち帰るのも考えものだな。要求した側は、帰ってじっくり検討してくれると思ってしまうものだ。そうすると、次回「できない」と言うと怒りを買う。人間の心理はそういうものだよ。

岡田:・・・・難しいですね。

芦屋:まあ、交渉はこんなところから準備がいるんだよ。まず、準備がいる。心構えがいるんだ。交渉は現場だけでするのではない。事前に会話がどうなっていくのかをできるだけ想定しなければならないんだ。これを僕は「会話のパス」と呼ぶ。つまり、自分がこう言えば、相手はこう返す。それでは分が悪いから、違う言い方をしよう。こんな風に考えることが訓練になるんだ。当然、会話のパスは多い方がいい。君の会話のパスは、少ないんだ。それでは、常に回答に窮す。相手に追い込まれてしまうんだよ。

岡田:・・・そうなんですか・・・でも、会話のパスどおりにならない場合は?

芦屋:そんなときは、出直せばいい。会話の中で、相手の考え、スタンスの情報が取得できるはずだから、一旦戻って、新たに会話のパスを作って、出直せばいいんだ。岡田、こんな地道なことが交渉の訓練になる。これを意識して学んでほしいんだ。

 岡田にはこんなことを5分くらいかけて話しました。まず、会話のパスをたくさん準備すること。これをいつも意識していくこと。これを、彼と私のルールとし、以降、岡田と一緒に販社と交渉していくことにしたのでした。

 岡田と坂本には、これ以降もさまざまな交渉の技術を教えていきましたが、それらについては、次回以降、順次紹介していくことにします。

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