「日経ビジネス」誌には「敗軍の将,兵を語る」という人気コラムがある。ビジネスに失敗した経営者が,その失敗の理由を回顧して語るというのが主旨である。随分以前のことだが,事務用品・事務機器を販売する日本オフィスマックスの元社長がそこに登場して,同社を閉鎖するに至った経緯を説明していた。

 筆者は,事務用品や事務機器のスーパーストアの動向に関心を持っており,1990年代初頭から継続的にウォッチしてきた。具体的には,米オフィスマックス,米オフィス・デポ,それに米ステイプルズという世界最大規模を誇る3社だ。90年代の初めはまだ事務用品・事務機器のスーパーストアという業態は日本には存在していなかったし,その品揃えやビジネス・モデル,それにサービスは,個人的にも,またマーケティングの専門家という立場からも,大変興味深かったからである。

 オフィス・デポは1996年,デオデオ(2002年にエイデンと事業統合し,現在はエディオングループの一社)と提携し,合弁会社オフィス・デポ ジャパンを設立して東京・五反田に1号店を開設した。オフィスマックスはイオンがライセンス契約して日本オフィスマックスを設立し,郊外店をイオンのショッピング・センターの敷地内に開設した。ステイプルズについては筆者の伝聞だが,日本企業からの誘いに乗らなかったようだ。

 オフィス・デポについては1999年,デオデオが出資分をオフィス・デポに売却した。それ以降,オフィス・デポ ジャパンは独力で店舗展開を続けている。オフィスマックスは日本から完全に撤退した。

 日本オフィスマックスの元社長は「敗軍の将,兵を語る」にて同社が閉鎖されるに至った事情をいろいろ語っていた。そうした本人の弁はさておき,筆者はいくつかの過誤が日本オフィスマックスにはあったと認識している。その内容は「敗軍の将,兵を語る」には書かれていなかった。

顧客を理解できなかった日本オフィスマックス

 ステイプルズの創業者とその創業時のエピソードについて書かれた「Staples for Success」という書籍がある(1996年に出版)。冒頭には,興味深い物語が書かれてある。ボストンの小売業コンサルタントだったThomas G. Stemberg氏が,プリンターのインクを探し求めてさまよう体験である。同氏はその体験を学習し分析して,事務用品と事務機器のスーパーストアーという新しいビジネス・コンセプトとモデルを描き出し,ステイプルズを起業したそうだ。

 他にもきっと同じ体験をしている人が数多くいるのではないか。「それは事業機会だ」という「気付き」である。

 筆者はしばしばコンサルティング先の人々に,自身の購買行動体験を克明に記録することを要求する。そこで感じた不便や不条理は,裏返してみればビジネス・チャンスである可能性が高いと考えているからだ。

 人は,勤め人である限り,売り手側の発想に陥ってしまいがちだ。ところが,勤め人であっても,日常生活では頻繁に買い手側になる。その時に感じる不便や不条理は,ひょっとしたら売り手側が気付いていない事柄だ。あなたの勤め先がサービスによる差異化を志向しているならば,このアプローチは有効である。

 日本人の多くは自覚し切れていないと思うが,日本では部屋を借りるとなると,随分面倒なことを貸し主や仲介業者から要求される。ところが米国では,今から30年以上の昔でも,そのような面倒な要求はなかった。面倒な要求とは,日本では当たり前のように存在している次のようなことだ。

保証人――米国では保証人はいらない
敷金,保証金,礼金など――これもない
電気,ガス,水道などの料金――米国では家賃に含まれている場合がある
家具――米国では家具付きの賃貸の部屋がある。
仲介手数料――米国では仲介業者は借り手から手数料を徴収しない

 米国生活を体験した筆者としては,このような日本の状況がたいへん窮屈に感じるのだ。もちろん,日米で法律による規制や,社会習慣は異なるので,一概に断じるのは貸家業を営む人々に酷である。だがそうした思いを持っていても,貸し手や仲介業者の論理だけで成り立っているのが日本の貸家業だと筆者は理解している。

 さて,デオデオはなぜオフィス・デポから手を引いたのだろうか? なぜオフィスマックスのビジネス・モデルは日本市場には根付かなかったのだろうか? 当時誰も関心を抱かなかったこの点をひも解いてみよう。

 筆者は次のように分析している。1990年代,デオデオは通信販売事業への参入に力を入れていたこともあり,オフィス・デポのビジネスモデルは魅力的だった。しかし,米国のオフィス・デポが想定する標的顧客はホーム・オフィス,個人事業主,いわゆるSOHOといったものであることを,当時のデオデオ経営陣はよく理解できなかったのだろう。個人だと勘違いしていたのではないか。

 これはあくまで推測だが,「オフィス・デポ事業に傾注し過ぎると,デオデオの既存事業が手薄になる」という判断が社内で下ったのかもしれない。当時,米国のオフィス・デポは一気に店舗ネットワークを広げていた。そうした勢いを見れば,あながち邪推と否定できないだろう。当時デオデオの経営陣を取材した経済誌の記者からこんなことを言っていた。「オフィス・デポからの出資取りやめに関する質問をしたところ,極端に嫌な顔をされ,オフィス・デポについてなぜ質問をするのか,どんな記事を書くつもりなのかと事情や背景をたずねられた」と。

 いずれにしても,デオデオはオフィス・デポ事業から撤退することで,BtoB分野への進出が停滞することになったと筆者は見ている。

 一方の日本オフィスマックスは,標的顧客を見誤った。米国のオフィスマックスもオフィス・デポと同じく,ホーム・オフィス,個人事業主,いわゆるSOHOなどが標的顧客である。日本オフィスマックスに出資したイオンが,これまでのビジネスでは遭遇してこなかった顧客層である。イオンは小売ビジネスの業態開発に卓越したノウハウを備えている。それでも,これまで向き合ったことのなかった標的顧客には苦労し,そして失敗したわけだ。

 筆者はしばしば「顧客のことは顧客に聞け」と表現する。顧客に何かを語ってもらわなければ,顧客が何を期待しているのか,顧客が何を必要としているのかを汲み取ることは不可能だからだ。

 多くの組織は事業のさまざまな局面で,自分たちの体験を基準に机上で想定するということをしがちだ。しかしそんなやり方では,顧客の支持を継続的に得ることはできない。

マネジメント層による誤ったリーダシップ