早いもので,このブログ連載を始めて1年経つ。筆者は「馬場さんのSEマネジャ時代の部下の方は今はどうなっているのですか?」という質問をよく受ける。そこには「馬場さんが主唱していることやったSEの方々は今どうなっているのか知りたい」という気持と「常駐しない,体制図を出さない,マルチで仕事をするなどを本当に部下の方はやったのかな?」という疑問も少しはあるのだと思う。きっと読者の中にも同様な気持を持っている人が少なくないと思うので,今回は当時の仲間の今の姿について述べたい。

 なお,その仲間の一人である中沼さんが先月,突然亡くなった。この一文を彼に捧げたい。

SE人生の戦友が今も大切にする,ある“集まり”

 今から約30年位前のことだが,筆者がSEマネジャ駆け出しの頃,筆者には十数人,部下のSEがいた。彼ら彼女らは,仲間と共に“お客様に信頼されるSEのあり方”を目指して,「顧客を掴む,馬鹿な営業に馬鹿にされない,体制図は出さない,ビジネスに強くなる」,「アプリケーションを知る,SEの任務を知る,顧客が51会社が49で仕事をする,チームワークで仕事をする,受身で仕事をしない,マルチで仕事をする,顧客の部課長と会う,営業に負けない」などに挑戦していた。

 苦労しながらもお互い切磋琢磨し助け合い,誇りを持って働いていた。ある意味で,彼ら彼女らは筆者を含め,お互いが第一線の部隊で苦楽を共にした,SE人生の戦友である。

 その後彼ら彼女らは,SEスペシャリストの道やSEマネジメントの道,あるいは営業などのマネジメントの道を歩んだ。IBMを離れ第2の人生の歩んだ者もいる。だがいずれにしても,彼ら彼女らは,現在IBMを初めとする様々な企業で活躍している。

 そして,その仲間が今も大切にしている,ある“集まり”がある。

 その名前は「新西会」という。毎年12月,第一週の金曜日にその集まりはある。昨年も12月1日金曜日の夕方,皆が顔を揃えた。この会は,実に昨年で14回目を数える。いつもだいたい30人くらい集まっている。およそ70%は筆者がSEマネジャをしていた時に共に頑張った仲間であり,残りの約30%は彼らの後輩や今の会社の部下,当時の営業などである。その70%の仲間の中にはIT企業の部長が4~5人,上級スペシャリストが2~3人,数百人規模のIT企業の社長が4~5人,副社長や取締役が4~5人,大学教授が1人いる。

 別に社長や取締役が偉いわけではないが,昔の小集団のSEグループの過半数近くが経営者をやっているというのは珍しい。IBMのOB連中からも,稀有なSE集団と言われている。

 きっとそこには何かがあるのだと思う。それが何か,は読者のご想像にお任せしたい。ただ,彼ら彼女らのほとんどが顧客を恐がらなかった。販売活動に強く,システム開発や導入もきちっとこなしていた。受身ではなかった。逃げなかった。顧客と時には喧嘩もした。SEマネジャになった時は“ぶら訪問”など当たり前。そんな連中だった。

仕事帰りによく行った焼き鳥屋から

 この会が始まったきっかけは,筆者がIBMを退職した年,ある後輩が昔の仲間に声をかけたことだった。「新西会」という名前の由来は,筆者や当時の仲間が若い時によく飲みに行った焼き鳥屋の店の名前である。当時小遣も少なかった我々は,仕事が終わってから1000円か2000円出し合って,その店でよく飲んだものだった。仕事の話や,たわいもない愚痴を語り合った店だ。その店で始めた「新西会」も,残念ながら4年前にその店が閉店したので,現在は別の店で行っている。

 この「新西会」は,面白いことにいつも割り勘だった。そして誰とはなく,昔の失敗話や,今の仕事の話や,どこに旅行に行ったとか,ゴルフが下手で悩んでいるとか,他愛もない話をしてお酒を飲んで解散し,1年後にまた集まる。誰も偉そうにしない。卑下もしない。そんな会だ。

 毎年のように仲間の誰かが今の会社の部下などを連れてくる。連れて来られた人は,みな和気藹々と打ち解けて楽しくやっている。

 筆者はこの新西会に参加していつも思う。一人一人が楽しいから毎年自然に集まるのだと。20数年前,一緒に働いた仲間に会い馬鹿話をする。そして,20数年経ってもその頃が懐かしく,たわいもない話をしながら昔を思い出し,また頑張ろうとお互い勇気を貰うのだと思う。

 このような私的な集まりはどこの企業にもあると思うが,これが20代,30代に“ITを超えたSE”“信頼されるSE”を目指して闘った仲間達の今の姿である。この「新西会」は我々多くの仲間にとってIBM時代の貴重な財産であり,多感な時代の大きな思い出である。

癌と戦っていたかつての戦友

 だが,月日の流れには勝てない。当時20代,30代の若者が,今では50代,60代になっている。

 残念なことに今年,その仲間の一人,中沼さんが突然亡くなった。

 享年59歳。外資IT企業の現役社長だった。先月29日月曜日,筆者に彼の会社の方から一通のメールが入った。その内容は「社長の中沼が今朝7時10分に亡くなった」という趣旨のメールだった。

 実は2年前,筆者は彼から「馬場さん,俺は今,癌と闘っているんだ」と聞いていた。その時はびっくりしたが,社長業で頑張っている姿や,酒を飲んで馬鹿騒ぎする姿などを見ていると,どうみても病人には見えなかった。ただ,時折,治療入院していたので気にはなってはいたが,日頃は元気そのものだった。そんな姿を見て「大丈夫だろう。そう重くはないのだろう」と勝手に思い込んでいた。

 そんな状況だったので,筆者はメールを見ても「まさか!そんな馬鹿な!」と思い,とても信じられなかった。だが,ひょっとすればという思いもあり,勇気を出して奥さんに電話をした。すると奥さんが,「主人は逝くのがちょっと早すぎましたが,最後まで気丈に頑張ってくれました」と悲しみを堪えながら話された。

 筆者はその言葉を聞きながら,返す言葉に困った。そして,彼の新入社員時代からこれまでの33年間の姿が断片的に思い出され,涙が出て止まらなかった。営業と喧嘩したこと。お客様に喜ばれたこと。仲間達とカラオケで深夜まで遊んだこと。筆者が7~8年前,ユーザー企業に在籍していた時,「IT業界に戻れ」としつこく迫ったのも彼だった。

 彼のお別れ会(告別式)には,新西会の多くの仲間が参列した。また当時のお客様の方々も多数見えられた。きっと彼ら彼女らは「中沼さん,色々世話になったね。ありがとう」と心の中でお別れを言ったものと思う。

 以上色々述べたが,これが20数年前,IT技術だけに固執せずに,信頼されるSEを目指して頑張った仲間である。読者の方々に,SEの在り方について“何か”を感じて頂ければ幸いである。

 もちろん,今は当時とは時代が違う。だが,技術屋SEに対する顧客の気持ちは今も昔も同じである。読者の方には色々と事情はあるとは思うが”何か”を感じた方は是非明日に向けて新しい自分作りに張ってほしい。きっとそれが顧客や会社のためになるのははもちろん,自分自身のためにもなるはずである。それが今日の一言である。

 最後に,戦友中沼さんのご冥福を,心よりお祈りしたい。