1月8日,成人の日,遅ればせの初詣に嫁さんと出かけた。向かったのはうちの近くの東伏見稲荷だ。今の家には昨年引っ越したのだが,昔もこの近くに住んでいた。前にこの神社に詣でたのは,次男が生まれたばかりだったので20年前ということになる。

 
写真●NET&COM2000
CTIやLinuxが目玉 だった。
 
 記憶に残っているイメージではもっと大きな神社だったのだが,再訪してみるとさほどではなかった。それでも,朱色に光る立派な鳥居のあるいい神社だ。前回来たときの境内の様子はまったく記憶に残っていないのに,自宅に帰っておせちを食べたときの様子はありありと記憶している。今でも使っている黒い,大きなどんぶりに竹の子や高野豆腐が盛られていた。やっと立てるようになった次男は活発で,子供用のイスの上に立ったり座ったりしながら嫁さんに食べさせてもらっていた。何を覚え,何を忘れるのか。私の場合は覚えておきたいことだけ,記憶しているようだ。

 この原稿を書いている1月半ばは2月に開催されるNET&COMでの筆者の講演にどのくらい申し込みが来ているか気になる時期だ。NET&COMセミナーのほとんどは無料。筆者の講演はいつも有料だ。お金を払って聴きに来てくれる人が何人いるか,去年より多く来てくれるだろうか,と心配になる。それは講演内容や私という講師に対する評価そのものだからだ。1月11日に事務局からメールが来た。既に100人を超えており,前年同期と比べると6割以上多いとのこと。雑誌の読者へのパンフレット送付もまだなので,上々のすべり出しと言える。

 さて,今回は無料セミナーと有料セミナーの違いをとっかかりにして,IT業界を席巻している『広告主義』の欠点と,それを打破する『批判主義』のススメを論じたい。

NET&COM2000と2007の違い

 筆者がNET&COMで講演するのは2000年以来,連続8年だ。これまでで一番,参加者が多かったのは東京ガス・IP電話を話した2003年で,高い料金にもかかわらず定員400人の会場があふれてしまった。毎年のガイドブックをきちんと保存してあるのだが,2000年のセミナー(NET&COMではフォーラムと呼ぶ)と今年とを比較すると面白い。ちなみに,2000年の筆者の講演テーマは「VoFR,VoIP,VToA技術でここまでできる」だった。96年に銀行のネットワークでVoFRによる音声・データ統合を実現するなど,VoXXでは草分けだったのだ。

 2000年のセミナーは,全部で45講座,うち有料が42講座。今年は全部で46講座,有料はたったの3講座だ。なぜ,有料講座はほとんどなくなったのだろう? 2000年の講師を見てみると,大部分がコンピュータやネットワーク機器のメーカー,あるいはソフトウェア製品のベンダーの人だ。これらの人たちの講演は一般的な技術やノウハウについての内容も含まれていただろうが,立場上,自社製品の売り込みが入っていたはずだ。受講者からすれば,売り込みだったらお金を取るのはおかしいということになる。だから,受講者が減ってしまい有料セミナーは成立しなくなったのだろう。

 無料セミナーはスピーカー(実際にはスピーカーの属する会社)がお金を払って講演する機会を買い,自社の製品やサービスの販促をするものだ。対して,有料セミナーはスピーカーが受講者(講演料を貰うのは主催者からだが負担するのは受講者)からお金を貰って,特定の製品やサービスについて解説するのではなく,受講者の勉強を目的に先進的な技術やノウハウ,あるいは考え方をレクチャーする「べき」ものだ。もちろん,無料セミナーで一般的な話がないわけではない。しかし,最終的には自社の製品やサービスを売り込むことが目的なのだから,100%,一般的,客観的ではありえない。無料セミナーは広告の一種なのだ。

 無料なのはセミナーだけではない。ネット上では様々なサービスが無料で使えるようになった。Skype,Google,StartForce,etc。こんな便利な道具がタダで使えるのだから,ありがたいと言えばありがたい。筆者は広告を入れて何でもタダにすることを「広告主義」と呼ぶ。ユーザーはセミナーやサービスが広告主義で無料になることを喜んでばかりでいいのだろうか?

批判主義のススメ

 ユーザーが自社のネットワークやシステムを企画・検討する時に重要なのは,自社の目的にあった適切な技術・製品あるいはサービスを主体的,客観的に選択することだ。広告主義の「いい話」ばかり聞いても,製品やサービスを正しく評価できるはずがない。ユーザーと同じ立場で中立的,客観的に技術や製品をどう評価すべきか批判的に話す講演がユーザーからお金を貰う価値のある講演だろう。有料セミナーは批判主義でなければならないのだ。

 無料サービスとして筆者が愛用しているのはGmailだ。3Gバイト近いディスクスペースが無料で使え,10Mバイトという大きなサイズのメールを送受できる。便利この上ないのだが,恐い面もある。Gmailの利用規約にはこんな文言がある。

 「Googleは,本サービスの可用性,適時性,セキュリティ,信頼性に関し,いかなる保証責任も負いません。Googleは,予告の有無にかかわらず,お客様に対して責任を負うことなく,本サービスを随時変更,中断,停止する権利も留保します」

 「本利用規約および Gmail プライバシー ポリシーに別途規定されている場合は,Googleが電子メールの内容を含むお客様の個人情報を監視,編集,または開示できることに同意するものとします」

 いつサービスを停止されても文句は言えないし,どんなケースか分からないがメールの内容を含め個人情報が利用される可能性があるのだ。こんな恐さがあるので,機密度の高い情報や個人情報はGmailを使わないようにしている。 便利なのは講演用のパワーポイントの保管だ。パワーポイントは数Mバイトの大きなファイルになりやすいが,Gmailで自分宛てに送って受信トレイに入れておくと,どこでも取り出してプレゼンに使えるので重宝だ。資料自体が公開を目的にしたものなので,機密を心配する必要もない。

 Gmailに限らず,無料サービスはセキュリティや信頼性,サービスの継続性といった点での「恐さ」を知った上で使わないと思わぬトラブルが起こらないとも限らない。無料サービスを安全に使うには,それを批判し,Public Opinionとして共有することが重要だ。

ユニファイド・コミュニケーションvs.セパレート・コミュニケーション

 さて,NET&COMの講演の話に戻る。筆者は2000年以来,有料の講演をさせていただいている。有料だからというのではないが,そもそもシステム・インテグレータである筆者はユーザーと同じ立場でものごとを考えることが最も重要な役割だと思っているので,つねに批判主義で講演してきた。

 今年の講演「5つの『vs』で考えるNGN時代の企業ネットワーク」も例外ではない。vsとは対比の意味だが,5つのvsのうち,クライマックスの一つが「ユニファイド・コミュニケーションvsセパレート・コミュニケーション」だ。最近,ネットワーク機器ベンダーやソフトウェア・ベンダーは声高に「ユニファイド,ユニファイド」と叫んでいる。

 筆者にはUnifiedでなく,“Occupied,Occupied”と言っているように聞こえる。そのベンダーのユニファイド製品を採用したとたん,何から何までベンダー独自インタフェースでつながり,ユーザー企業の中はそのベンダーの製品でOccupy(占領)されてがんじがらめになる。そんな高くて,ユーザーが主体性を実現しがたい世界でなく,安価で便利で主体性の発揮できるセパレート・コミュニケーションの世界を実例とともに紹介したい。

 同様に,NGNについても批判主義で話をする。NGNは日本と欧米でポイントを置くところが大きく違う。それを知っておくことも,ユーザーがNGNを批判的に検討する上で役立つので時間を割いて解説するつもりだ。

晴れ着

 東伏見稲荷に行くと,きれいな晴れ着を着た背の高い娘さんが眼に入った。となりには娘さんとそっくりな顔をしたお母さんがふだん着でカメラを持って歩いていた。娘を二十歳になるまで立派に育てた,お母さんのうれしさや誇らしさが伝わってきた。

 うちの次男もその日,成人式のパーティに出かけていった。嫁さんはちゃんとプレゼントを用意して渡していた。やはり嬉しくてたまらないのだろう。嫁さんや娘さんのお母さんと比べると,自分は薄情なのかな,と思った。