これまで,経営にとって,コミュニケーション・デザインは大切ですよ,というお話をしてきました。

 どんなに良い商品を開発したとしても,優れた商品があふれかえっている現代では,商品の良さを上手に伝えて,認知してもらうことが重要である。「良さそう」と思ってもらうために,ターゲットを絞り,そのターゲットに「気に入って」もらうために,コミュニケーション活動を行う。それには,4つのポイントを押さえたデザイン手法による「イメージの力」を駆使する必要がある。しかし,あくまでもデザインは利己的な動機ではなく,他利の精神からなる「おもてなしの心」でないと,お客様はついてこない――短くまとめると,こんな内容でした。

 今回は,これらのことを実践し,大成功を修めた会社の例をご紹介したいと思います。それも,120年も前の話です。

 明治時代,庶民は,汚れた手や体を糠を使って洗っていました。せっけんは海外から質の良いものが入ってきていましたが,庶民には手の届かない高級品でした。1870年に,国営のせっけん工場ができ,その後横浜にも民間の製品もできましたが,当時の技術の低さと,原料の入手が困難なため,巷には粗悪なせっけんが出回っていました。

 1887年,馬喰町の裏通りに長瀬富郎という24歳の若者が輸入雑貨店を細々と創業しました。店には,アメリカの高級せっけんと,質の悪い国産せっけんを並べており,欧米と国産の品質の差を感じていたのでしょう,長瀬氏は,自分で質の良いせっけんを作る決意をしたのです。その3年後の1890年に,高級国産せっけんを完成させました。かなり手のこんだ手作業で,品質に自信のあるものができたのです。そこで,彼はどうすれば海外の高級せっけんに勝てるかを考えました。

「良さそうだね」と思ってもらうための戦略

 当時の化粧石けんは「顔洗い」と呼ばれていたので,商品のブランドに,「かお」の発音をイメージさせる「花王」という名を付けました。「花の王様」なんて,当時のセンスとしてはなかなかです。わかりやすいですね。

 商品名を「花王石鹸」とし,せっけん自体のデザインも,月のマークの金型で装飾的なデザインに仕上げました。さらにパッケージのデザインにも力をいれたのです。せっけんをろう紙でていねいに包み,その上に,上質紙に印刷した月のマークと,花の王様と言われる牡丹のイラストのラベルをデザインして巻きました(花王のサイト参照)。そして,いかにこのせっけんが良いのかを書いた解説パンフレットと品質証明書を添付して,なんと,桐箱に3個パックで発売したのです(写真は花王のサイト参照)。

 当時の輸入せっけんが1個20~30銭,国産せっけんが1銭前後だったところに,1個35銭という高級品として販売したのです。おそらく,量産できなかったので単価が高くなってしまい,この値段になったと思われますが,では1個35銭のせっけんをどうすれば売れるようにできるのか?

 その答えが「デザインの活用」だったのです。彼は,誰に向けて売れば良いのか,ターゲットを絞りました。庶民ではなく,お金持ちをターゲットとし,桐箱入りのせっけんを贈答品として売る戦略をとりました。花王石鹸のどんなところが良いのか,伝えたい情報を解説したパンフレットを商品に添付し,品質証明書という,お客様の立場に立ったサービスを提供しました。パッケージは高級な世界観を演出し,オリジナリティのあるブランド名と,美しいデザインを提供しています。きちんと,デザインの4つもポイントを押さえています。ここまでやって,はじめて「花王石鹸って,良さそうだねえ」と思ってもらえるのです。

 さらに彼は,販売促進のコミュニケーション活動を繰り広げます。新聞広告,看板(ビルボード),電柱,線路沿いの野立て看板(交通広告),お金持ちのよく行く劇場のどん帳などに積極的にブランド・イメージを告知していきました。そして,消費者だけではなく,流通,販売店に対しても,特約店制度を導入したり,(今で言う)ボリューム・ディスカウントを行ったり,そろばんのプレミアムを付けるなどコミュニケーション活動に力をいれていき,需要を伸ばしていったのです。これらの広告戦略は,いずれこのコラムでもお話ししますが,良いデザインでもそれをどうやって認知させるかの戦略を持っていなければならないのです。

お客様のことを考えたデザイン戦略

 やがて第一次大戦で輸入が禁止され,海外のせっけんが手に入りにくくなると,「花王石鹸」の売り上げはどんどん伸びていきました。2代目の富郎氏は1931(昭和6)年,大量生産の工場を作り,大量販売を目指した「新装花王石鹸」を発売しました。しかも品質を向上させて,1個10銭という大幅な値下げを行ったのです。

 安くすれば,当然イメージが悪くなります。なんせ,今までは桐の箱に入っていたのですから。お得意様だったお金持ちから,総スカンを食わされてしまいます。

 しかし,富郎氏ら経営陣が偉かったのは,当時の一流デザイナーの指名コンペを行い,モダンで洗練されたパッケージ・デザインにしたのです。デザイナーは,原弘氏で,グラフィックデザイナーであれば,知らない人はもぐりといわれる大先生です(最近は,知らない若いデザイナーも増えましたが。もっと勉強してほしいです!)。安くて質がよく,デザインも良い。販促キャンペーンもきちんと大切にして,花王石鹸は庶民の日用品となり,花王はその後,大企業になっていくのです。

 やがて戦後になり,“クリームみたいなせっけん”のコピーやCMでおなじみの「花王石鹸ホワイト」という定番商品が登場します。手洗い石けんのシェアは現在では,液体せっけんなどに変わっていますが,「花王ホワイト」のパッケージ・デザインは発売以来37年間のあいだ,ブランドイメージを保つために,白とブルーに金のウエーブの要素を変えていません。花王は,120年前のせっけん1個の歴史を見ても,現在のマーケティング活動をみても,消費者の声を非常に大切にし,本当に「おもてなしの心」を持っている企業だなあとそう思うのです。

現代も変わらない花王のデザイン・ポリシー

 実は私は以前,花王の正社員でデザイン部に所属していた時期がありました。社員は歴史と伝統を誇りにし,素敵な方ばかりでした。最新の技術と,最強のマーケティング部隊を持って,バブル崩壊後の不況の時期も何のその。日本でも超優良企業の会社です。

 そんなすばらしい会社から,私は名もない小さなデザイン会社に転職しました。いったいなぜでしょうか?

 それは,徹底した花王のイメージづくりのポリシーがそこにあったからなのです。「うちは資生堂じゃないんだから,カッコいいデザインはしないでよ」と言われたのです。デザイナーに向かって,カッコいいデザインはするなとはショックな言葉です。しかし,花王はそれでいいのです。ターゲットはごく普通の主婦であり,とんがったクールなデザインは花王にふさわしくない世界観なのですから。

 当時の資生堂のデザインはかっこ良くて輝いていました。しかし,不況になると,モノが売れなくなってしまったのです。すると,なんということでしょう,資生堂の広告が花王の広告戦略の真似をし始めたのです。つまり,イメージ広告一辺倒ではなく,商品の特徴を文章で説明したり,使い方の図を入れるなど,消費者にとって知りたい情報を広告に入れ込んだりし始めました。う~ん,やっぱり花王はすごいと思ったものです。

 どんな大会社も,最初は中小企業であり,町工場です。デザインやマーケティングにお金をかけたり,力を入れるのは大企業になってから,と考えるのは間違っています。

 実際はその逆で,デザインやマーケティングに力を入れたから,大企業に成長できたのではないでしょうか。なぜなら,デザインは,消費者や社会が必要としている要素だからです。企業の成功のストーリーは様々ですが,デザインや「イメージの力」をおろそかにしても,成長できた企業はほとんどないと言えるのではないでしょうか。