小飼弾です。ご機嫌はいかがでしょうか。

 前回の予告通り、今回はオープンソースの利点ではなく、オープンソースの欠点を取り上げます。

 昨今では、さまざまなソフトがオープンソースで提供されています。OSならWindowsやMac OS Xに対してLinuxやFreeBSD、オフィススイートならMicrosoft Officeに対してOpenOffice、WebサーバーではIISに対してApacheやlighttpd、データベースならOracleに対してPostgreSQLやMySQL、ソフトウェアの開発環境ならVisual Studioに対してEclipseといった具合で、デスクトップ環境を全てオープンソースソフトウェアで固めても問題がないところまで充実してきました。Webサーバーに至っては、むしろオープンソースのApacheの方がIISよりも普及しているほどです。

 それでは、世の中のソフトウェアはすべてオープンソースに置き換わってしまうのでしょうか?また今後もオープンソースソフトウェアだけでやっていけるのでしょうか?

 そうはなりそうもない、というのが今回の主題です。

 私は、以前こう書いたことがあります。

404 Blog Not Found:サルでも生産性が上がるオープンソース
今まで上手く行ったオープンソースプロジェクトを見ると、一つの点に気がつく。 オリジナリティの欠如、だ。

上で述べた例をもう一度ご覧下さい。必ずと言っていいほどプロプライエタリなソフトウェアが先行し、それをオープンソースが追いかけるという構図になっているのがお分かりいただけるかと思います。少なくとも、今まではそうでした。

なぜそうだったのでしょう?

オリジナリティは、「タダで配る」には高すぎるから、というのがその理由になります。

404 Blog Not Found:サルでも生産性が上がるオープンソース
オリジナリティというのは、生産性の大敵なのである。それでいて「生産性の母」でもある。だから著作権法だの特許法だのをこさえてまで保護してきたのだし、それによる価格上乗せを我々は許容してきたのだ。より高価格のものを売ろうとしたら、より多くのオリジナリティを盛り込まなければならない、ということを社会通念にしたのだ。

ソフトウェアにおいて一番難しいのは、実は「どうやってそれを作るか」ではなく、「なにを作るか」です。作ったところで、使われなければその手間は無駄になってしまいます。しかし「こんなソフトがあったらみんな使う」というものが一旦出来てしまえば、あとはそれを作るのはそれほど難しい問題ではありません。

404 Blog Not Found:サルでも生産性が上がるオープンソース
オープンソースには、オリジナリティの縛りがない。サルマネは、本来オリジナルに支払われるべき利潤を横取りするからこそ忌み嫌われるのだが、利潤を放棄することによってオープンソースは「サルマネ」という影口を封じてしまったのだ。なにしろ懐に一文も入れていないのである。これでは責めようがない。

あまりに皮相的なものの見方でしょうか?しかし我々が霞を食べては生きて行けない以上、ほとんどの人は道楽以上の手間暇をオープンソースにつぎ込むことは難しいでしょう。

私自身も、オープンソースとの付き合いは「社長の道楽」を超えるものではありません。

404 Blog Not Found:There's gotta be more than one theory to run the bazaar
私は2002年は原稿料以外は無収入でした。Perl 5.8の開発に没頭していたからです。2005年にOSCONで発表をした際には、TPCに$1,000寄付もしておりますし、2006年のYAPC::Asiaでは拙宅がLarry WallやAudrey Tangを含む海外組の宿となりました。かれこれ私が open soruce に寄贈してきた分は、金額換算すればどう見ても$200,000を下ることはないでしょう。

これは「私がどれだけオープンソースに貢献してきたか」を示す自慢ではなく、私がいかに道楽親父であるかという証拠だとむしろ見るべきです。$200,000というのは大した金額ではありますが、フェラーリ一台分に過ぎません。私にとってそれがたまたまフェラーリではなくオープンソースだったというだけです。

ところが、最近はオープンソースの開発や保守管理に対して給料を払うという会社が出始めました。Redhat, IBM, Mozilla Foundation ... 今までのライフワークとしてのオープンソースというモデルにたいして、これらの「ライスワーク」としてのオープンソースはどこが違うのでしょう?

これらの会社を、よくご覧下さい。何が違うと思いますか?

一つ重要なのは、これらの会社は全てをオープンソースにしているわけではないということです。RedHatですら、RedHat Linux一本やりから、オープンソース版をFedora Coreとして分けました。IBMはEclipseをはじめオープンソースの世界に巨額の投資をしていますが、それに付帯する有料のサービスという形でそれ以上の収益を上げています。Mozilla Foundationは一見オープンソースしか提供していないように思われますが、実はGoogleがバックについています。Googleはその他にも Python の Guido van Rossum も雇用していますし、Summer of Codeという企画も主催しています。

勘違いしてはならないのは、オープンソースと「無料ソフトウェア」というのは異なることです。単に無料ということであれば、Internet Explorerも無料ですし、Googleの各種サービスも無料です。しかし、これらの中身はオープンではありません。こうした「無料だけどオープンではない」ソフトウェアというのは、実はうまく行けば莫大な収益を上げることができます。Internet ExplorerはWindowsの収益を上げるのに、Googleの各種サービスはAdSenseの収益を上げるのにものすごく役立っているわけです。もちろんネットの世界以前に、「販売促進の手段として無料の何かを配布する」ということは、スーパーの試食からTVまで幅広く行われていたことではあります。

しかし、この仕組みを大々的に行うには、「無料グッズの開発配布」と、「投資回収部門」を両方押さえている必要があります。なぜオープンソース(専用)プログラマーが大企業に集中しているかと言えば、そこに理由があるのです。逆にそうでないオープンソースプログラマーというのは、ほとんどが私を含め今まで通りの「社長の道楽型」、すなわちパートタイマーです。

しかし、単に無料で配るだけでいいなら、なにもこれらをオープンソースにする必要はないはずです。実際Microsoftをはじめそういうスタンスを取り続ける会社はたくさんあります。しかし、実はこれをオープンソースにするとさらによいことがあるのです。

次回はそこから話を進める予定です。

Dan the Open Source Programmer

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