「35th Anniversary of the Intel 4004 Microprocessor」が11月13日に米国カリフォルニア州マウンテン・ビュー市の「Computer History Museum」で開催された。「a new era of integrated electronics」というインテルのゴードン・ムーア氏が自ら考えたと言われるキャッチ・フレーズを用いて,世界初のマイクロプロセッサ4004の広告が「エレクトロニック・ニュース」誌に掲載されたのが35年前の1971年11月15日であった(なお,研究室の卒業生の結婚式や大学の講義などがあり,マウンテン・ビューでの記念イベントには出席できなかった。ちょっと残念である)。

 私にとってのマイクロプロセッサ4004開発記念日は,インテルと独占契約で共同開発したビジコン用4004が電卓試作機に搭載され,正常に動作した35年前の1971年4月である。

 実は1960年代前半に「Computer on a chip」は既に予想されていた。その後,現実には存在していなかったマイクロプロセッサを「プログラム論理方式の汎用LSI化」という一粒の種から出発し,ソフトウエアやLSIなど,異なる専門分野の開発技術者が協力し合い,現実の製品として作り上げることができた。

 マイクロプロセッサという名は1972年にインテルによって名付けられた。そのためか,1998年に開催された半導体生誕50周年記念大会では,インテルの開発者には「Inventor of Microprocessor」,私には「Inventor of MOU(Micro Processor Unit)」の称号が与えられた。その際の受賞のスピーチで,インテルとは仲間意識があったせいか,称号が別々になったことがちょっと悔しくて,「アメリカにFortuneを持って来たのは私だ」と言ってしまった。スピーチが終わった後で「言い過ぎだ」と妻に怒られた。

 開発したマイクロプロセッサ4004は,コンピュータの概念だけを使って,より安く単純で,高機能を必要としない顧客から見れば十分な性能を持つ製品だった。一方,コンピュータ業界から見れば玩具だった。しかし,マイクロプロセッサは市場に受け入れられた。改革・改善も進み,8080,6800,Z80,8086へと急速に進化した。したがって,マイクロプロセッサの開発は,より高性能や高機能を追及した「持続的イノベーション」ではなく,「破壊的イノベーション」だったと言える。

 世界初のマイクロプロセッサ4004の誕生35周年を記念して,「私と4004」,「私と8080」,「私とZ80」を当ブログに掲載する予定である。もっとも,自分自身の成果についてメディアを介して紹介するのは恥ずかしい感じはする。

 誰が4004,8080,Z80を開発したかをインテルの社史とIEEE Micro誌などの資料を使って調べるといくつかの記事に出会える。マイクロプロセッサの歴史に関しては,1999年10月に電子情報通信学会誌Vol.82 No.10 pp.997-1017に書いた論文「マイクロプロセッサの25年」を参照していただければ幸いである。

 1984年に発行したインテルの社史「15 Years - A Revolution in Progress」には,私が4004の論理設計を行ったことが,「Shima designed the logic for the 4004 microprocessor, which was developed by Intel for Busicom in 1971.」と書いてある。また同じ社史で,8080が飛ぶように売れたことを,日本に私をスカウトに来たEd Gelbach氏が「I think we paid for R&D in the first five months of shipments. Those were the good old days.」と述べている。

 1981年2月のIEEE Micro誌で,ノイスとホフが私に関して,「One member of that team was Masatoshi Shima, a young engineer who later go on to be the lead designer of the Intel 8080 and, during a four-year stint with Zilog, the Z80 and Z8000. With these credits, it seems fair to say Shima probably has been the most influential microprocessor designer.」と書いている。「4年の年季奉公」と平気で論文に書くところがノイス博士らしい。

 話がややずれるが,11月6日放送の「NHKスペシャル ラストメッセージ『核なき世界を~物理学者・湯川秀樹~』」は内容も良かったが,「一日生きることは 一歩進むことである」という湯川博士の一言が素晴らしかった。生きることを創造的開発に置き換えて,座右の銘にしたい一言である。