9月6日の「FIT2006」で,第5回船井業績賞の授賞式と記念パネル討論会が開かれた。パネル討論会は受賞記念講演の直後だったこともあり,日本のマイクロプロセッサ開発者によって,マイクロプロセッサのアーキテクチャの決め方や開発時の苦心談,開発への熱い思いなどが語られ,大変楽しく有意義な議論となった。特に「OSやコンパイラを含めたソフトウエアを作る技術が非常に重要になり,我々も(シリコンでいろいろなものを)作りがいがある」や「若い人は是非興味の範囲を広げていただいて,知識を付けて活躍していただきたい」という開発者から学生への助言が強く印象に残った(なお,パネル討論会での議論は12月に発売の日経エレクトロニクス誌に掲載されるという)。
 
 ホテルに帰って新聞に目を通すと,朝日新聞の夕刊に 「思想の言葉で読む21世紀論 表層化 視覚優位,ネットで拍車」という記事があった。
 
 記事には,「『見た目』が時代を語るキーワードになっている。選挙では政策や識見よりも,候補者の見た目の印象に左右される傾向が強まっているといわれる。広告の世界では一瞬の表情で目を引く雑誌モデル経験者がもてはやされる。(中略)内面の美や,秘められた精神に価値を置く日本の文化的伝統は,過去のものになり,『表面の文化』の時代がやってきたのだろうか。(中略)目に見える情報や出来事を追いかけることに追われているうちに,見えないものについて考えるゆとりがなくなった。(中略)グローバル化と表層化が一体で進んでいることを物語る」と書かれていた。

 最近,筆者はグーグルなどの検索エンジンの普及が大学教育に大きな影響を及ぼし,大学教育の表層化が始まったと考えている。学生はその時点で注目されている技術やトピックス,最新情報の入手に汲々(きゅうきゅう)としている。しかも,それらの技術情報は検索エンジンを使って得られたものが大半で,本質的な技術情報ではなく,表層化された技術情報である。専門科目に関しては表層化された技術情報や単なる知識の習得だけでは不十分であり,専門科目におけるリテラシーを確立する必要がある。専門科目におけるリテラシーとは,科学的リテラシーと同様に,知識・概念,プロセス,活用・応用から成り立っていると考えている。
 
 大学3年生の授業で「コンピュータ・アーキテクチャ論」や「コンピュータ構築設計論」を教えていた頃の話である。
 
 学生は,視覚的に理解し易い絵や図表などを豊富に使った授業には興味を示す。ところが,覚えたり考えたり活用したりして習得に時間のかかるハードウエアやCADを使ったプロセッサの階層化論理設計などの授業には興味を示さない。演習用に作成した設計のガイドラインやマニュアルの絵や図は見るが,文章を読まずに演習を始めてしまう学生が多い。
 
 コンピュータは,ハードウエアのみの時代から,プロセッサ,マザーボード,BIOS,OS,GUI,コンパイラなどが融合され,仮想マシンの時代へと進化している。C++やJavaなどのプログラミング言語そのものがコンピュータだと思っている学生も多い。コンピュータの仮想マシン化もコンピュータ教育の表層化をもたらしている。
 
 課題を決め,レポートの提出を求めると,教科書や参考書などの文献を読まずに,検索エンジンで入手できる範囲内の情報だけを,加工もしないで切り貼りしてレポートを仕上げてしまう。検索エンジンを使って情報を集めるから,難しい技術用語とその概要は良く知っている。しかし,課題の要求していることが何であるかを理解・把握・明確化し,識別し,一歩踏み込んで文献を調べ,熟考し,結論・予測を導き出し,評価し,自分の言葉で記述・表現し,説明・伝達する,という科学的プロセスを行なわない。プロセスを伴わない勉強では本質を把握できない。

 開発の道具としての専門科目を身に付けるためには科学的プロセスの方法論を会得する必要がある。私は大学時代に電子・電気やコンピュータを勉強したことがない。例えば,電卓の電源回路の設計時には,まず,数種類の程度の異なる本を購入し,仕事に関連する課題リストを作り,勉強し,1冊のノートを作成した。次に,実際に使われている電源の回路図を理解・解析し,最後に自分自身で電源回路を設計・試作・評価した。

 ところで,全ての学問,研究,開発などには読解力と文章力が必須である。2003年度のOECD加盟国の15歳児を対象とした学習到達度の調査結果「PISA 2003年調査」によると,日本は科学的リテラシーで2位,問題解決能力は4位,数学的リテラシーは6位で1位グループに入っている。しかし,読解力は14位で2位グループとなっている。読解力が弱く文章力の低下が問題視されているのに,科学的リテラシーと問題解決能力が上位グループにランクされているのは不可解である。ゆとり教育で読解力・科学的リテラシー・問題解決能力・数学的リテラシーなどの学習達成度を高位グループに保つことは不可能だろう。また,日本語を使って論理的に読み書きや議論が満足にできない小学生に英語を教えるのは初等教育の表層化につながる恐れがある。
 
 技術者教育の質を保証するために,国際的に通用する技術者教育プログラムを審査・認定する日本技術者教育認定機構(JABEE)が設立され,大学を含む多くの高等教育機関が認定され始めている。日本技術者教育認定基準(JABEE基準)は理想的と思えるほど高い。しかし,大学の124単位の授業だけでJABEE基準をクリアするのは難しい。自己学習の時間の確保,指導,実践が必須である。
 
 JABEE基準の教育を行なうためには,授業そのものも重要であるが,大学入学直後に具体的な例題を使って,学生に読解力・文章力・科学的プロセスなどを集中的に教え,学問を如何に行なうかの方法論を身に付けさせる必要がある。