今回もデータ・ウエアハウスの話題でお付き合いいただきたい。それは,3000人の営業担当者を擁するある食品関係の製造・販売会社だった。営業担当者は,街の商店やスーパー,自販機などのチャネルを受け持っており全国隅々まで営業展開を行っている。

 営業活動を支援するための情報データベースを構築しようということになった。大手コンサルティング会社を入れてユーザー調査を行い,どんなシステムにしたらいいかを検討していた。私が相談を受けたのはコンサルティングの終盤を迎えた頃で,いよいよツールを選定し具体的な構築にはいる時期にさしかかっていた。

 コンサルティング会社が作成したドキュメントを見せてもらって,私は頭を抱えた。ユーザーがコンサルタントたちに向かって何を言ったのかはよく分かったし,ユーザーが言ったことをよく整理しまとめられていることも理解できた。しかし,率直に言ってこの要求通りに作ることはできないこともまた明らかだった。あらゆる要求が詰め込まれた巨大なスイス・アーミー・ナイフのようになっている。

 私はプロジェクト・リーダーにやや遠慮がちに「ここに書かれているとおりのものを作ったらいいのでしょうか」と尋ねた。その返答は「いえ,このとおりに作ったらまずいと思ってあなたに来てもらいました。そのあたりの雰囲気はもうお察しいただけているものと思いますが」だった。彼はこう続けた。「ここに書かれている内容は,ユーザーの要求だともいえますが,これでいいのかどうか私には強い疑問があるのです。しかし,改めてユーザーを入れた調査を行う時間も予算もありません」。

 帰途につきながら,いろいろなことを考えた。おだてられて悪い気はしなかったが,はたしてこういう仕事を引き受けていいものだろうか。私や私のところにいるエンジニアたちに何を作ったらいいか分かるのだろうか。そもそもユーザーの要求を一体誰がわかっているのだろうか。欲を出していい格好などしないで,言われたとおりのものを,慎重に破綻しない範囲で実現すればいいのではないか。

 ユーザーが言うとおりにシステムを作ることがいかに危険なことであるかは分かっているつもりだが,かといってでしゃばったスタンドプレーも同じくらい危険なゲームである。

 結局,若気の至りで引き受けてしまったが,幸いにもスタッフの力量に恵まれ,依頼主側のプロジェクト・リーダーの並外れた統率力のおかげでそのプロジェクトは短期に成果を出すことができた。危惧されたパフォーマンスも望外の好成績であった。

 このケースでは,上流工程を受け持ったコンサルタントたちは要求定義の形式要件は満足したものの,依頼主であるプロジェクト側の満足は得られていない。下流工程側の努力で救われた格好になっているが,単に運が良かっただけだという気もする。

 今になって改めて思うのは,ユーザーの真の要求というものがあるとして,それは一体誰がどうやって見つけ出し,形にできるのだろうかということである。なぜなら,ユーザーは自身の要求をすべて把握できてはいないし,把握できたとしても人にうまく伝えることは難しい,また,勘違いや言い忘れもある。当たり前だと思っていることについては語らないことも多い。

 「言うとおりに作る」のがいいか,「言うとおりには作らない」方がいいのか,あるいは「辞退」すれば済んでしまうのか,仕事を引き受ける側からみたら営業ポリシーで決めればいいことなのかもしれないが,顧客の視点からみた答えはそのどちらでもないところにあるのではないかと思っている。