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 8月下旬,家族5人で東北を旅行した。十和田湖にはじまり,岩木山,鯵ヶ沢,太宰治の生家がある金木などをまわった。好天に恵まれ,朝日にきらめく十和田湖(写真)や深い青色の日本海が印象に残った。

 高所恐怖症なので岩木山には登りたくなかったのだが,一人取り残されるのはいやなのでついていった。緊張で足に力が入りすぎ,降りてくると筋肉がガチガチになって痛んだ。情けない話だ。

 さて,今回は営業のことを書こうと思う。社内の若手社員を対象とした営業の講演を依頼され,9月12日に1時間話をした。自分では企業ネットワークのプロたらんとし,ネットワークに関する本を5冊書いているのだが,社内では何故か営業の達人と思われているらしい。ネットワークの講演は数限りなく経験があるが,営業をテーマにした講演は初めてだった。なかなか楽しいもので,その気になれば3時間でも,4時間でも話せると確信した。本の1冊くらい簡単に書けそうだ。この講演のエッセンスを紹介する。

やりたいことをやれ

 例によって講演の冒頭でホワイトボードに結論を書いた。「やりたいこと,楽しいことをどんどんやれ」,「最初が肝心」,「あなたが売る商品は何か,答えを見つけること」の三つだ。筆者はやりたいこと,楽しいことしかしていない。ただし,それがお客様にメリットを与えるものでないとやらせてもらえない。そして,会社でやる以上,利益を生まねばならない。皆さんも20代で実力をつけて,30代になったらやりたいことをどんどんやってほしい,と刺激した。

 新規顧客で受注を獲得するには最初が肝心だ。初めての折衝でこちらの説明するソリューションや商品に対して高い関心を持ってもらい,次の折衝につなげねばならない。営業とは何かを売ることなのだが,ITやネットワークの世界で自分が売る商品とは煎じ詰めると何なのか講演の終わりまでに答えを考えてほしい,と宿題を出した。

受注は出会った瞬間に決まる

 筆者は,受注は出会った瞬間に決まると思っている。そのくらい最初が大事ということだ。講演ではいくつかの例をあげて説明した。ここでは講演で話した裏話は書けないが,そのうちの一例を簡略化して紹介する。

 A社はまったく取引実績のない会社だったが,ネットワークの更改を検討しているということで訪問することになった。担当の課長をはじめとする3名の方から現状ネットワークのことや次期ネットワークについての考えをお聞きし,こちらからは次期のネットワーク構成や適用技術について意見を述べた。移行完了までの工程とスケジュールがどうなるだろうか,という質問が出たのでホワイトボードに18カ月の線表をスラスラと書き,各工程の内容と留意点を説明した。初対面で3時間近い時間をかけた説明をし,それが終わると責任者である課長は満足そうな顔をされていた。「これは行ける!」と直感した。

 その直後にRFPをいただき,コンペに参加した。競合他社はRFPどおりの提案をしたのだが,筆者はRFPとはまったく違う方式で提案し,大幅なTCO(Total Cost of Ownership)削減が可能であることを示した。提案の約2週間後,受注が決まった。出会いから1カ月半後のことだ。わずか30数ページの提案書だったが,その後,数十億円という規模の仕事をさせていただくことになった。

 話が横にそれるが,提案書は分厚ければよいというものではない。この提案でお客様は何が嬉しいか,それがクリアに分かればよい。第一,分厚い提案書は読んでもらえない。読んでもらえなければ意味がない。どうしても分厚くなるときは提案書の冒頭部分に「エグゼクティブ・サマリー」を書くことだ。

 さて,このケースは最初に担当の課長に気に入られた時点で受注がほぼ決まっている。最初の出会いでお客様にインパクトを与えるには三つのポイントがある。これはそのまま優れた提案書やレポートを書いたり,面白い講演をするためのポイントでもある。その三つとは,独自の視点やアイデアがあること,ストーリーがあること(論理的にきちんと筋が通っていること),裏付け(事例やデータ)があること,だ。
 

商品は「自分」

 筆者は多くの人を前に講演するときには,目線をときどき合わせながら話す相手を2,3人決めることにしている。そうすると自分自身のノリが良くなって,話がさらに生きてくる。顔をあげて面白そうに聞いている人を選ぶのだが,どうしても男性より女性を選びがちだ。この講演では若くてきれいな女性社員が何人かいたので,彼女らに焦点を合わせて話を進めた。

 講演が終わりに近づいたので,冒頭で出した宿題,「あなたが売る商品は何か」の答えを聞くことにした。焦点を合わせていた人の中でも一番いいと思う女性社員に質問したいのだが,いきなりでは露骨なのでワンクッション置くことにした。 最前列にすわっている男性社員に答えを聞いた。内容は忘れたが,「はい,30点」と即座に言った。はずれているのだから仕方がない。

 次に彼のすぐ後ろにすわっている,目的の彼女に質問した。彼女「自分独自の付加価値ですか?」。私「はい,80点。もっとシンプルに言い切ってみて」。彼女「付加価値」。私「うーん,誰か分かりますか?」。二人の男性社員が同時に手をあげて「自分!」と叫んだ。私「大正解!」。ちなみに,この二人は私の直属の部下だった。さすが,ふだんゴシゴシやられているだけのことはある,と思った。

 ITやネットワークにかかわる営業をしているすべての人に声を大にして言う,「あなたが売るべき商品はあなた自身だ」。私は自分自身が商品だと思っている。私の話すアイデア,事例,質問に対する受け答え等々を通じて,お客様はソリューションやその効果を理解し,同時に「この人に任せたらうまく行きそうだ」と信用する。そして,受注が出会った瞬間に決まるのだ。

 講演についてのアンケートのコピーを貰った。そのいくつかを紹介しよう。

  • 「松田BU長(ビジネスユニット長)の営業スタイルがそのまま講演に出ていたように思う。はじめからインパクトのある話し方で,最後まで興味を持って聞くことができた。」(男性社員)
  • 「非常にインパクトがありました。ありのままの姿というよりも個性をつきつめてお客様にぶつかっていくという姿勢を感じました。まずは自分が何をしたいか自分の個性とは何なのかを明確にしていきたいです。」(女性社員)
  • 「非常にインパクトのある講演で,講演のやり方・話し方自体が勉強になりました。」(男性社員)
  • 「30代になったら堂々と”自分が商品です“と言って,やりたいこと好きなことをしていきたいです。今日のお話を聞いて松田BU長がうらやましくなりました。」(女性社員)
  •  入社3年以内の,私とは親子ほども年の離れた若い人たちなのだが,筆者の話に共感してくれたのだな,と分かり嬉しく思った。 

     アンケートのコメントの中で一番印象に残ったのは「個性をつきつめてお客様にぶつかっていく」という文だ。そう,営業においてはお客様にぶつかっていき,講演においては聴いている人たちにぶつかっていく。その情熱が共感を生む根本ではないだろうか。相手との間に共感が生まれないと,営業に限らず何ごとも成功はおぼつかない。

    田井秀男氏を悼む

     2002年12月13日,日経新聞1面に「IP電話全面導入 東京ガス通信費半分以下に」という記事が掲載され,いわゆる「東京ガス・ショック」が始まった。企業のIP電話導入がブームとなり,通信事業者のIP電話推進にも大きな影響を与えた(「ザ・プロジェクト 成功の軌跡」日経コンピュータ編,2004年8月日経BP社刊,p.142参照)。

     この東京ガス・ショックを一緒に演出した東京ガスの田井秀男氏が9月9日土曜日,旅行先の沖縄で不慮の事故のため亡くなった。ふだんからジムに通って体を鍛えていた頑健な田井さんが,どうして,と本当に驚き落胆した。

     田井さんとの出会いは2002年2月のセミナーで私の講演を聴いていただいたときだ。翌日電話があり,すぐ東京ガス本社を訪問した。講演で紹介したルータレス・ネットワークを東京ガスにも提案してほしいと言われた。3時間ほど現状ネットワークのことをヒアリングした後,「ネットワークが大規模で複雑なので無償での提案はできません。有償でコンサルティングをさせてください」とお願いした。1週間後,コンサルティングを発注していただいた。

     田井さんと一緒にプロジェクトを進める中で,たくさんの印象深い言葉がその発言シーンとともに記憶に残っている。中でも一番強く心に残っているのは,「クレイジー・ターゲット」という言葉だ。「クレイジー・ターゲットを目指さないと,平凡な目標さえ達成できない。役員からはインフラのコストを30%削減するよう指示されているが,自分は50%を目標にしている」。 

     東京ガスのコンサルティングを始めた時点で,IP電話を提案するつもりはなかった。しかし,田井さんのクレイジー・ターゲットを達成するには設備コストの高いPBXをなくするしかない。こうして,設備コスト削減を目的としたIPセントレックス方式のIP電話を提案することにしたのだ。

     クレイジー・ターゲットは革新をもたらす。田井さんに教えてもらったこの言葉をこれからも大切にしたい。