Windowsとは何の関係もないが,今回はご容赦いただきたい。9月8日付けITpro「記者の眼」を見て驚いた。渕一博氏が8月13日にお亡くなりになっていたそうだ(関連記事:渕一博さん逝去に寄せて)。

 渕一博氏と言っても,ご存じない方も多いかもしれない。新世代コンピュータ開発機構(ICOT:アイコット),通称「第五世代コンピュータ開発プロジェクト」の研究所長だった。渕氏の最大の功績は,通産省(当時)から予算を獲得し,人工知能研究の場を作ったことだ。ただし,最大の誤りは「10年以内に人間の知能を実現することが可能である」という誤解を日本全土に広げたことだ。

 「ICOTは人工知能を実現できなかった」といまだに批判され続けているが,元々目的ではなかったのだ。今頃言われても,もう遅いだろうが,ICOTの本来の目的は「述語論理マシン」の実現であり,人工知能は述語論理マシンの応用の1つであったに過ぎない。当初は人工知能研究が目的であり,無理だと分かったので目的を変更したという説もあるようだが,私の記憶では「人工知能は目的ではなく,応用である」と最初から主張していたように思う。

 ICOTの標準言語として採用された「Prolog」は,述語論理をベースにした宣言型言語で,かなり奇妙な性質を持っていた。例えば,入力パラメータと出力パラメータの区別がない。私の修士論文(自然言語理解)では,この性質を利用して,構文解析と構文生成のルーチンを共有していた。もっとも,実際には,様々な副作用のため,うまく逆変換できない場合も多かった。逆変換のできない代表例は数値演算と入出力である。

 Prologは,プログラム言語としてはかなり未完成であった。例えば,まともなプログラムを書くには,カットオペレータという演算子が必須である。ところが,カットオペレータの強力さと単純さはGOTO文の比ではなく,結果としてプログラムの見通しは極めて悪いものとなった。そこで,研究者の間では,述語論理型言語にどのような制御構造が必要かという考察が行われていたことを記憶している。私は,自分の研究に,中島秀之氏(現公立はこだて未来大学学長)の作成したProlog/KRを使うことにした。当時,オンライン・コミュニティはあまり発達しておらず,中島氏が所属していた東京大学まで電話をして磁気テープを送ってもらったことを覚えている。もちろんオープンリールである。

 Prolog/KRは,LispとPrologと融合した言語で,十分な制御構造が備わっていた。ただし,追加された制御構造は手続き型の側面が強く,述語論理の特徴を生かせていたとは言い切れない。ところで,どうでもいいことだが,1986年に広島で開催された情報処理学会全国大会で偶然中島氏をお見かけしたので,著書にサインをいただいた。今でも大事にとってある。

 一方,ICOTではPrologを拡張したGHC(Guarded Horn Clause)をベースに,KL-1を開発した。こちらは,述語論理の特徴を生かし,さらに並列処理まで実現していた。ただ,Prolog固有の構文が色濃く残っており,慣れないと使いこなすのは難しいだろう。

 話を戻そう。渕氏は政治的手腕に長けた人だと聞いている。政府主導のプロジェクトに海外製のコンピュータ(DEC System 20)を購入できたのは,渕氏の政治手腕の表われだ。「ICOTは,渕氏の個人的知識欲を満たすためのプロジェクトだった」と批判する人もいる。多分,そういう面もあっただろう。考えてみたら,渕氏の役割はベンチャー企業の創設者と同じだ。自分の考えを実現するために,投資家(通産省)から資金を引き出すとともに,株主(納税者)に夢を与えた。その夢が,文字通り「夢物語」だったことは問題だが,慎重な投資家を動かすには仕方なかったのかもしれない。

 渕氏はICOTの成果に満足したのだろうか。楽しかっただろうとは思う。あれだけの予算を使って,プログラム言語などのソフトウエアだけでなく,述語論理マシンや関係データベース・マシンというハードウエアまで製作したのだから。しかし,満足したのだろうか。また,ICOTに対する批判にはどう思っていたのだろう。ICOT批判の多くは,もとをただせば自分の発言のせいである。せめて,ご自身の発言に対する総括だけはしてほしかったが,今となってはかなわない。渕氏のご冥福をお祈りする。