「デザイナーは感性で勝負!」なんてデザンの専門学校の広告を目にしました。デザイナーの私としては,なんともトホホ笑いのコピーに感じてしまいます。

 クライアントさんの中にも,「いやあ,私は感性が鈍くて,デザインのことはまったくわからんのですわ」などと自嘲される方もいらっしゃいますが,感性というものは持って生まれた才能だと感じている人が多いのではないでしょうか。

 私はそうは思いません。感性は知性と同じで,訓練して身に付けるものだと思っています。大学に進学していなくとも,知性のある人はたくさんいますよね。学校の勉強だけが知性を付けるのではなく,生活の中でどんな本を読み,何に関心を持ち,何を考えているか,その頻度と温度(熱意)で知性は磨かれていきます。感性も似たようなものだと思います。

感じる必要がある事柄を他人よりも感じることができる能力

 いったい感性とは何でしょうか? 一言で言うならば,「感じる能力」なのではないでしょうか。

 腕のいい大工や料理人,伝統工芸などを何十年も作り続けている職人さん,下町の町工場で大企業と一緒にプロジェクトを組む技術屋のおやじさん,紙を手で触るだけで厚みを当ててしまう印刷会社の営業マンなど,感性を研ぎすまし,仕事の一線に立って活躍している人たちがいます。皆さんそれぞれの分野で,「感じる必要がある事柄を他人よりも感じることができる能力」に長けた人たちです。長い経験の中で,知識ではなく体で覚えてきたこと,繰り返し,繰り返し訓練して身に付けるものが感性だと思います。

 しかし,ただ長年従事していれば良いということではなく,基本の上に立たなければ,感性は育たないと私は思います。つまり,基本ができていないと,感じる力,インプットするセンサーの働きが鈍いのです。

 美術大学やデザイン学校の入学試験には,必ずデッサンの試験があります。入学した後も,1,2年間はデッサンの授業が続くのです。それは,絵を上手に描くためというよりも,モノを見る目を養うため――つまりモノの形や色,質感,量感などのあらゆる情報を正確にとらえるアタマを作るために行われるのです。正確なインプット能力がなければ,アウトプットもままなりません。デザイナーや美術家にとってはデッサンが基礎だとされている理由です。

 先日テレビで,高名な歌舞伎役者が師匠の教えとして面白いことを言っていました。

 役者の中には若いときには何か新しいことをやりたくなる者もいるけれども,基本をしっかり抑えてからでなければならない。新しいことをやるにしても,型をしっかり身に付けてからやるので「型破り」と言われるのであって,古典をしっかり身に付けもしないで突飛なことをするのは「形無し」だ。

基本がわからなければ,新しいものを作れない

 「型」という基本を身に付けた上での新しいことでなければ,ただのアバンギャルドであり,次世代に残るものにはなりえないと思います。型を知らずして経験することと,型を習得した後に経験することを比べるのであれば,当然,基本ができたうえで見聞きしたことのほうが身に付く情報量が多いのです。

 目利きになるには,良いものをたくさん見て,多くの知識も必要になります。料理人も,うまいものをたくさん食べ歩き,建築家も世界の建築を訪ね歩きます。感じるセンサーを働かせまくることが感性を磨くためには必要です。しかし基本ができていなければ,うまい?!とか,すごい?!とかで終わってしまいます。感動することはもちろん大切ですが,その感動を分析し,新しいものを作っていくための考察に転嫁していくには,基本が身に付いていなければなりません。

 エンジニアにも当然感性は必要ですし,重要な要素なのではないでしょうか。

 ひらめき,気づき,第六感などはすべて,研ぎすまされた感性から出てきます。皆さんは自分の仕事の中で「感じる必要がある事柄を他人よりも感じること」ができているでしょうか?


感性を磨くことはもちろん,基本を身に付けること自体も時間がかかります。技術職って,そういうものだと思います。